路上で生き死にするのは、なにもインドだけとは限らない。「下層社会」もしくは、この国における「格差」の拡大が、最近よく論議されるようになっている。身分階層社会が訪れているという分析をする社会学者もいる。
日本人はバブルがはじけたのち、この国をなりたたせていたシステムさえもが、崩壊していたことにあまりにも無頓着だった。棄民政策は確実に進行していた。
言うまでもなく社会的不平等をただし、公平な富の分配をはかるのは政治もしくは政治家、そして行政官庁のトップおよび職員(公務員)の責務であるはずだ。そのような国家の運営のために税金は払われ、集められているに違いない。しかし、税金と言うこの国の運営資金を福祉や、インフラ整備やのために公平に使うのではなく私物化したり、不正に着服しようと言う不逞のヤカラは絶えることはなかった(近くは国民の老後の資金をあずかる社会保険庁での不正を思い出そう!)。
政治や行政が民を忘れさった時、かくして、路上に置き去りにされるもしくは棄てられる人々が出現する。物乞いをする訳でもなく、ただただ小春日和の路上をホテルの快適なテラスのようにして日がな一日、群集の中で眠りこける……。
38年前にフーテン族のいなくなった新宿駅東口駅都市銀行の真ん前、まるで「透明なひと」のように行き場もなく家もない男たちは眠りこけていた。行き交う人々からは、彼らはまるで見えないかのようだった。
彼らは教えてくれている。時にはストリートは、快適なホテルのテラスでもある。しかし、だれかれの分け隔てなく平等に身体を温めてくれた太陽が沈んだのち、暖をとるのに焚き火を焚くしかない、底冷えがして凍死の危険もある夜の路上を別にすれば……、ということを。
この国のストリートにも生き死には存在しているのだ。
(写真は2月上旬。新宿東口駅前にて)
<ワレ路上デ発見セリ!(13)/路上はホテルである>
日本人はバブルがはじけたのち、この国をなりたたせていたシステムさえもが、崩壊していたことにあまりにも無頓着だった。棄民政策は確実に進行していた。
言うまでもなく社会的不平等をただし、公平な富の分配をはかるのは政治もしくは政治家、そして行政官庁のトップおよび職員(公務員)の責務であるはずだ。そのような国家の運営のために税金は払われ、集められているに違いない。しかし、税金と言うこの国の運営資金を福祉や、インフラ整備やのために公平に使うのではなく私物化したり、不正に着服しようと言う不逞のヤカラは絶えることはなかった(近くは国民の老後の資金をあずかる社会保険庁での不正を思い出そう!)。
政治や行政が民を忘れさった時、かくして、路上に置き去りにされるもしくは棄てられる人々が出現する。物乞いをする訳でもなく、ただただ小春日和の路上をホテルの快適なテラスのようにして日がな一日、群集の中で眠りこける……。
38年前にフーテン族のいなくなった新宿駅東口駅都市銀行の真ん前、まるで「透明なひと」のように行き場もなく家もない男たちは眠りこけていた。行き交う人々からは、彼らはまるで見えないかのようだった。
彼らは教えてくれている。時にはストリートは、快適なホテルのテラスでもある。しかし、だれかれの分け隔てなく平等に身体を温めてくれた太陽が沈んだのち、暖をとるのに焚き火を焚くしかない、底冷えがして凍死の危険もある夜の路上を別にすれば……、ということを。
この国のストリートにも生き死には存在しているのだ。
(写真は2月上旬。新宿東口駅前にて)
<ワレ路上デ発見セリ!(13)/路上はホテルである>
それさえも、行政や金ピカ主義者が容赦なく排除しようとするし。
この前、朝方の新宿で
ガッチガチブルブル震えて足踏みしながら東の方を向いて
太陽を待ってるおじさんを見たよ。
泣きたくなった。
きっと、ボクもさっちゃんもハナも路上生活者の話題は身につまされるのではないのかな?
ストリートで生活することをボクは「アーバン・キャンピング」もしくは「アウトドア・ライフ」とシャレて言ってみるが(笑)、それは孤独でまた凍えるものであるのだよね。
手足も尻も身体が冷凍されたかのように、冷えきってそして心も冷えきってしまうのだよね。
そう言えば、太陽のぬくもりが待ち遠しかったそんな夜が、幾度もあったなぁ。それは、棄民された身の底なしの孤独感でもあったなぁ。
そんな夜でした。
都会は心やさしい人間にとって一種地獄のように思う今日この頃です。
そう、バビロン・シティの風は持たざる者には冷たく、消費社会から脱落したものは人間扱いされないのです。
それを「下層社会」と言うのでしょうが、もともと闇市だったションベン横丁ですら金を持たないものには安酒すら提供しません。
消費社会の欲望の増大とともにバビロン・シティは、さらなるシティ・オブ・インフェルノ(City of INFERNO)に仕立て上げられたんでしょう。