風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

ワレ路上デ発見セリ!/幸福な王女

2006-03-19 21:56:05 | ワレ路上デ発見セリ!
Go_comicgirlボクは、何を求めて路上を徘徊しているのだろう?
と、自問してみる。路上には、ありとあらゆるものがある。幸せな家庭生活以外のものなら世界は路上にこそある、とそう断言したいくらいだ。
しかし、路上にないものは「幸せ」だ。個人の人生の「幸せ」??それこそが路上に存在しないものなのだが、その片鱗は、欠片(かけら)くらいはどこかに落ちているかも知れない。

ある日、路上を歩いていたら某遊戯場の脇に写真のような像を見つけた。永井豪風のコミックキャラクターがブロンズ像のような色に塗られてあられもないかっこうで立っていたのだ。
しかし、このような永井豪のコミックキャラクターにボクも「萌える」ことができたのなら「幸せ」だったのかも知れない。残念なことにボクはこのようなものを「オタク」と見る前に「ポップ」と見てしまう。現在花盛りのコミックキャラのアートでの進出ぶりは、ポップアートにその根をもつだろうなんて、ひとくさり呟いてしまうタイプなのだ。
それでも、その遊戯場の意図がパロディにも似た遊び心であることも充分に読み取れる。というのも、その街は鋪道や、街角にかなりの数の彫刻作品を設置している街で、駅前のビルには市営の美術館さえ配している。ボクの好きな美術館のひとつだ。

で、ボクは夢想してしまった。このコミックキャラが「幸福な王子」(オスカー・ワイルド作)ならぬ「幸福な(半裸)の王女」で、ボクは仲間からはぐれたツバメで、この半裸の少女の哀願のままにサファイアの目をくり抜き、ルビーの宝石をほじくりかえしては王女が夢中になっているホストクラブのホストのために貢ぎ物を届けてあげるのだ。
そして、持てるものをすべて捧げつくした王女はボロボロのみすぼらしい姿となって倒壊し、ツバメであるボクは南へ渡る時期を失って王女の足下で寒さのために死んでしまうのだ。

でも、こんな妄想でもボクは萌えることができない!
幸せは路上には落ちていないことを、「幸福な王子」以上にボクは知っている。街の中心にたたずむ銅像だった「幸福な王子」は、本当は見ていたんだ。幸せそうな街の人家の赤い灯の向こうには、諍いと喧嘩と不幸と貧困があったことを!
だから王子は、身ぐるみを剥ぐように分け与えて鉛のこころのみを残して崩れてゆくのである。

<ワレ路上デ発見セリ!(14)/幸福な王女>



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