風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

隣の中也(7)/ダダの受容 その6「邪悪なる批評家/小林秀雄」

2007-06-20 02:13:18 | コラムなこむら返し
Hideo_k_1 現在、文芸批評といふジャンルがどの程度すすみ、社会的にも認知されているのか知らない。幾人かの文芸評論家の名前は心得ているが、その作品を読んだのはわずかである。
 もしかしたら、1999年7月江藤淳が手首を切つて自殺してから気骨ある文学の王道としての批評といつた矜持を持つやうな文芸批評は消滅したのかも知れない。21世紀を目前にして江藤淳がリストカッターとして、その生涯を自ら精算するなんて事は誰も予想もしていなかつただろふ。リストカッターはもつと江藤淳を神格化して、その作品を読むやうにした方がよいのではないかとボクは思ふ。

 少なくとも、そのやうな文学活動の王道としての批評といふ矜持は、生涯に渡るライフワークのやうに夏目漱石と格闘した江藤淳にはあつた(『漱石とその時代』など)。その江藤淳に『小林秀雄』といふ評伝がある。江藤淳にとつて小林秀雄と格闘することは、自分がなぜ文芸批評をしているのか、文芸批評とは何かといふことを問ふことでもあつた。そして言ふまでもなく1960~61年、28~29歳の江藤淳によつて書かれたこの評伝『小林秀雄』の中に中也、泰子への言及はたくさんある。

 江藤淳によれば、小林秀雄をして文芸批評に自立させえた存在こそが長谷川泰子といふことになる。中也はむしろ泰子への恋慕という思ひを隠すどころか詩の形でも残しているが、小林秀雄には一見、長谷川泰子の影は差していないやうに見へる。だが、小林の決意のやうな、宣言のやうな否定的措定(反措定)には、泰子との生活、そして中也を含んだ「奇怪な三角関係」の影がきざしていると江藤淳は言ふ。

 「女は俺の成熟する唯一の場所だつた。書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行かうとした俺の小癪な夢を一挙に破つてくれた。」(小林秀雄『Xへの手紙』)

 この評伝の中で、ボクにとても美しい箇所と思へたのは、中也、泰子、小林秀雄を小林の「『白痴』について」に読み取つたところである。言ふまでもなくそれは小林によるドストエフスキイの『白痴』論であり、ムイシュキン、ナスタアシア、ラゴオジンの登場人物の錯綜した関係に小林の体験が重ねられていると書く。

 「ここに小林が<滅んで行く>三つの生命に、自分と中原中也と長谷川泰子との、<憎み合ふ事によつても協力する>あの<奇怪な三角関係>を投じて見ていることは疑いをいれない。」(江藤淳『小林秀雄』)

 それにしても、次の言葉は『白痴』を語つて、なんて素晴らしい表現なのだろふ!
 真実の認識を獲得するためには、悪魔にたましひを売つても恥じないだろふと、思つていた小林の冷徹で、ニヒルな言辞にこんなにも優しいたましひが眠つていたのかと感じさせる一文。

 「……ムイシュキンがラゴオジンの頬を撫でた様に、作者は主人公の頬を撫でた。……泣いているのは作者だ、ただ彼はいやでも自分の涙も自分の偽る事も知つていなければならなかつた」(小林秀雄「『白痴』について」)

 人間精神の中にも「邪悪なるもの」がひそんでいる事さえも、喝破してしまふ批評家小林秀雄の洞察力はこうして、批評の地平を切り開いてゆく。だが、「地獄の季節」をあたかも共犯者のやうに生き抜いた中で、イノセント(無垢)な道化ともいふべき中原中也と、長谷川泰子を仲介した葛藤は、小林にとつても、中也にとつても長く尾を引き、茫洋たるヴィジョンしか見出せなかつたのであつた。

 こうして、小林を<父>、中原中也を<子>として仮定する中から、論旨を進めて来た江藤淳の『小林秀雄』は、中也の「死児」のイメージあたりから屈折していく。小林の「菊池寛」への執拗な関心から、江藤はこのやうな認識に達するのだ。

「ここに私はむしろ小林秀雄自身の「秘密」を見ずにはいない。彼が、長谷川泰子、中原中也との間につくりあげた重苦しい個人的な時間に「堪へ」つつ、「民衆」が現に生活している実際社会に進み入ろうとする決意が、ひそかに語られているものと考えられるからである。」(江藤淳『小林秀雄』)

※参考文献:「小林秀雄」江藤淳/講談社文芸文庫
      「Xへの手紙」、「『白痴』について」小林秀雄/全作品・新潮社




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2 コメント

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少々文脈から外れますが、リストカッターに江藤淳を... (敦)
2007-06-27 17:07:24
少々文脈から外れますが、リストカッターに江藤淳を評価せよ、と求めるのはどうかと。結局、江藤は日常を妻におんぶにだっこで、精神的に自立できなかったから死んだと理解しています。それに比べて森茉莉や大庭みな子のつれあいの方は立派だと思います。
うん、敦さん。たしかに……。 (フーゲツのJUN)
2007-06-27 23:52:59
うん、敦さん。たしかに……。
しかし、日常自立の出来ない夫はすべてダメなんでしょうか?
ま、男女共同参画法の現在では、ダメなんですが……(笑)。
実は、男の中にも、普通に社会生活を営んでいる、それもいわゆる社会的地位のある男のなかには、日常自立の出来ないその意味では障害者なのかもと、思えるような男がたくさんいます。
というか、現在60歳以上の戦中派とかいった世代にこれが多い。「熟年離婚」のささやかれている世代ですよね。それから、父権的、マッチョな伝統をもつ地域??たとえば九州ですが(笑)??に、このような潜在的障害者が多いと思います(障害者を悪く言っているのではありません。念のため)。
同時にこれらの世代が妻を失ったり、仕事を失ってからうつになることが多いようです。
ボクは、ここではリストカッターも含めてもっと本を読んで、人生を考えようと言いたかっただけです……。

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