オフィーリアは、もともとシェイクスピアの名作『ハムレット』に登場する薄幸の少女。デンマークの王につかえる宰相の娘である。王子ハムレットの寵愛を受けながらも、亡き父王の仇を打つために気狂いのふりをするハムレットにこころ乱され水難事故で水死する。オフィーリアの死の場面はハムレットの母にしてハムレットの仇である現王の妃からオフィーリアの兄への報告の台詞として語られるだけである。
「オフィーリアは(周りのきんぽうげ、いら草、ひな菊、シランなどを集めて)花環をつくり、その花の冠をしだれた枝にかけようとして、枝は運悪く折れ、花環もろとも流れの上に。すそが拡がり、まるで人魚のように川面の上をただよいながら、祈りの歌を口ずさんでいた……」(福田恒存・訳)
その死の場面を、流れに身を横たえ、長い裳裾は水を含んで膨れ上がり、長い髪は水面に拡がり、深い森の間を浮かび漂う眠ったようなオフィーリアの姿として一枚のロマンティックなタブローに仕上げたのが、ラファエル前派の画家のひとりであったミレーである。1851年に若干23歳のミレーはそのたぐいまれなる表現力でオフィーリアを物語(シェイクスピア劇)の世界から、神話のようにこの世界に降臨せしめた。いや、ミレーの絵画的表現はあらたな神話的テーマをつくったと言っていいだろう(図版1)。
さて、こうしてオフィーリアはシェイクスピア劇の世界からあらたな旅立ちをする。いわば、水と親和する少女の神話性を獲得して、さまざまな文学作品はては絵画作品にまで描かれるテーマとなってゆくのだ(絵画のテーマとして一番早くとりあげたのは、ドラクロワである(1844年)。しかし、ドラクロワの描くオフィーリアは、木の小枝をつかみ、もう片手には花環を持ち、必至に死にあがらっている姿として描かれている)。
ラファエル前派のウォーターハウスも、水辺の木に腰掛け髪に花飾りを付けるがごとく、髪くしけずる死の忍び入る寸前の若く美しいオフィーリアのタブローを描く(1894年)。
オフィーリアはラファエル前派の画家たちの手によって、かれらが好んで描いた「宿命のおんな(ファム・ファタール)」のひとりとなったのだ。
1870年5月、16歳のアルチュール・ランボーは修辞学の課題として高踏派的な詩作を試みる。その豊かなランボー的なイマジネーションはシェイクスピアの戯曲の枠を越え、あたかもミレーのタブローを眼前にして描いたかのような多くの類似点をもった絵画的な詩作品「オフィーリア」をものする。後年(1872~73年)ランボーは年上の愛人ヴェルレーヌとともにロンドンに逃避行を敢行するが、テイトギャラリーに所蔵されていたミレーの「オフィーリア」を見たかどうかは記録はない。もし見ていたとするならば自身の書いた詩作品とのイマジネーションの一致に狂喜したのではあるまいか?
「こ、これはオレが16歳の時に詩作した『オフィーリア』そのものだ!」
と。
(つづく)
(図版1)ジョン・エヴァレット・ミレー作『オフィーリア』1851~2年。油彩。
「オフィーリアは(周りのきんぽうげ、いら草、ひな菊、シランなどを集めて)花環をつくり、その花の冠をしだれた枝にかけようとして、枝は運悪く折れ、花環もろとも流れの上に。すそが拡がり、まるで人魚のように川面の上をただよいながら、祈りの歌を口ずさんでいた……」(福田恒存・訳)
その死の場面を、流れに身を横たえ、長い裳裾は水を含んで膨れ上がり、長い髪は水面に拡がり、深い森の間を浮かび漂う眠ったようなオフィーリアの姿として一枚のロマンティックなタブローに仕上げたのが、ラファエル前派の画家のひとりであったミレーである。1851年に若干23歳のミレーはそのたぐいまれなる表現力でオフィーリアを物語(シェイクスピア劇)の世界から、神話のようにこの世界に降臨せしめた。いや、ミレーの絵画的表現はあらたな神話的テーマをつくったと言っていいだろう(図版1)。
さて、こうしてオフィーリアはシェイクスピア劇の世界からあらたな旅立ちをする。いわば、水と親和する少女の神話性を獲得して、さまざまな文学作品はては絵画作品にまで描かれるテーマとなってゆくのだ(絵画のテーマとして一番早くとりあげたのは、ドラクロワである(1844年)。しかし、ドラクロワの描くオフィーリアは、木の小枝をつかみ、もう片手には花環を持ち、必至に死にあがらっている姿として描かれている)。
ラファエル前派のウォーターハウスも、水辺の木に腰掛け髪に花飾りを付けるがごとく、髪くしけずる死の忍び入る寸前の若く美しいオフィーリアのタブローを描く(1894年)。
オフィーリアはラファエル前派の画家たちの手によって、かれらが好んで描いた「宿命のおんな(ファム・ファタール)」のひとりとなったのだ。
1870年5月、16歳のアルチュール・ランボーは修辞学の課題として高踏派的な詩作を試みる。その豊かなランボー的なイマジネーションはシェイクスピアの戯曲の枠を越え、あたかもミレーのタブローを眼前にして描いたかのような多くの類似点をもった絵画的な詩作品「オフィーリア」をものする。後年(1872~73年)ランボーは年上の愛人ヴェルレーヌとともにロンドンに逃避行を敢行するが、テイトギャラリーに所蔵されていたミレーの「オフィーリア」を見たかどうかは記録はない。もし見ていたとするならば自身の書いた詩作品とのイマジネーションの一致に狂喜したのではあるまいか?
「こ、これはオレが16歳の時に詩作した『オフィーリア』そのものだ!」
と。
(つづく)
(図版1)ジョン・エヴァレット・ミレー作『オフィーリア』1851~2年。油彩。
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