TVは、こうしてボクたちから「現実」を奪った。TVの公共性とは、支配の装置のことだった。情報の編集や意図やアナウンスによって世論操作が可能な便利な装置となったのだった。
「現実」認識からリアルさが失われて久しい。現実は、映画の中で主人公の長谷川がやるように、ピンホールカメラや、小型カメラによって覗き返すことによってしか奪い返されないかもしれない。アーバン・トライバル(都市型部族)であるタトゥ・ボディピアスの盗撮魔長谷川とゴスロリの萌は、こうして渋谷ハチ公前で出会う。
世界を覗き返すことでしか、淫靡な性欲を晴らすことができない人間は、別にアーバン・トライバルでなくともたくさんいる。どこかの病院の医者は、治療といつわって麻酔まで使って眠らせ女性患者の裸を写していた。どこかの保育園の園長は女性用トイレにピンホールカメラを仕掛け、モニターがつけっぱなしになっていたためにバレてクビになった。早稲田の経済学者は手鏡を使って女子高校生のスカートの中を覗いてその社会的な地位を失った。警察に没収されたのは愛用の手鏡だったらしい!
それらは淫靡な自分の愛欲を充たすための手段でしかない。だが、盗撮魔長谷川は覗き見た映像をインターネットで流すのだ。それが「PEEP"TV"SHOW」なのである。ゴスロリ少女萌は、自分の部屋の中にカメラを仕掛けさせて日常を中継させ、コンテンツを有料にしようと提案する。アダルト・サイトの常套手段だ。しかし、「PEEP"TV"SHOW」が映し出すものは、壊れた若者たちの日常そのものだ。
そのコンテンツを見入るものも、同じような壊れた日常を抱え込むものたちだ。壊れたものたちは、まるで同じように壊れた他者の日常を覗き見ることによってまるで自分を確認する手段であるかのように正規会員登録をする。
客観化された日常でしか、自己確認ができないのだとしたら、自分を覗き見ることでしか自己認識は得られないだろう。壊れた自意識は、壊れた他者を覗き見て自分を知る。自分自身を覗き見るように……。
映画の中で、ふと我にかえる場面がある。コンビニ勤めのフリーターの兄ちゃんが、一生懸命TVや、天声人語で仕入れたような反戦思想を同棲中の彼女に語る(むしろ、彼女の方が食わせているらしい)。彼女はウザッタイと思っている。ブッシュ批判を含めた政治状況の認識は、昨夜のニュースステーションもしくは筑紫哲也のNEWS23 あたりで聞いたような、もしくは『華氏911』の受け売りじゃないかと思われている。
彼女は言う。「分かったよ。でも『世界を救う』前に、ワタシが貸した金返してよ!」。女性こそが「リアル」だ。TVに洗脳されていることに、気付きもしないオトコに比べれば、他人の言葉で「天下国家」を語り、「世界の救済」を語るのなら、その前に借金を返せと!
お前自身の自立はどうなのだと! まるで、「リアル」なフェミニズムのように足下を突いてくる。
ならば、そんな「リアル」な「突き付け」でも、我にかえれない「リアル」な社会の中で壊れたものたちはファッションやタトゥやピンホールカメラを、鎧(よろい)や護符や武器にして「現実」にたち向かうしかない。これは、ゲームの中でしか存在できない「勇者の物語」と同じだろう。勇者はトライバル(部族)社会の中にしか、生きられない。だとしたら、この英雄的だが、なおかつ犯罪者でしかない盗撮魔長谷川の行為はアーバン・トライバル(都市型部族)の勇者の戦いだ。なぜなら、現実は、リアルは構築され直されなければならないからだ。倒錯されたリアルは、再度覗き返され再構築されてこそ回復されるものだからである。
だとすると、
「リアル」な世界はリアル・プレイヤーもしくは、メデイア・プレイヤーの再生の中にしかない!?
この映画の中で、盗撮魔長谷川が撮ったということになっている映像は公式サイトで現在、公開されている。各部屋のシーンを、リアル・プレイヤーで覗き見ることができる。土屋豊監督が仕掛けたもうひとつの疑似体験のコンテンツとして「PEEP"TV"SHOW」というサイトは、「現実」(!)に作られている!→http://www1.cts.ne.jp/~w-tv/peeptvshow.html
『PEEP"TV"SHOW』監督/脚本/編集:土屋豊、共同脚本:雨宮処凛
渋谷シネ・ラ・セットでロードショー公開中!(4月22日まで)
※画像は、「PEEP"TV"SHOW」公式サイトより。宣伝のための画像として貼りました。
「現実」認識からリアルさが失われて久しい。現実は、映画の中で主人公の長谷川がやるように、ピンホールカメラや、小型カメラによって覗き返すことによってしか奪い返されないかもしれない。アーバン・トライバル(都市型部族)であるタトゥ・ボディピアスの盗撮魔長谷川とゴスロリの萌は、こうして渋谷ハチ公前で出会う。
世界を覗き返すことでしか、淫靡な性欲を晴らすことができない人間は、別にアーバン・トライバルでなくともたくさんいる。どこかの病院の医者は、治療といつわって麻酔まで使って眠らせ女性患者の裸を写していた。どこかの保育園の園長は女性用トイレにピンホールカメラを仕掛け、モニターがつけっぱなしになっていたためにバレてクビになった。早稲田の経済学者は手鏡を使って女子高校生のスカートの中を覗いてその社会的な地位を失った。警察に没収されたのは愛用の手鏡だったらしい!
それらは淫靡な自分の愛欲を充たすための手段でしかない。だが、盗撮魔長谷川は覗き見た映像をインターネットで流すのだ。それが「PEEP"TV"SHOW」なのである。ゴスロリ少女萌は、自分の部屋の中にカメラを仕掛けさせて日常を中継させ、コンテンツを有料にしようと提案する。アダルト・サイトの常套手段だ。しかし、「PEEP"TV"SHOW」が映し出すものは、壊れた若者たちの日常そのものだ。
そのコンテンツを見入るものも、同じような壊れた日常を抱え込むものたちだ。壊れたものたちは、まるで同じように壊れた他者の日常を覗き見ることによってまるで自分を確認する手段であるかのように正規会員登録をする。
客観化された日常でしか、自己確認ができないのだとしたら、自分を覗き見ることでしか自己認識は得られないだろう。壊れた自意識は、壊れた他者を覗き見て自分を知る。自分自身を覗き見るように……。
映画の中で、ふと我にかえる場面がある。コンビニ勤めのフリーターの兄ちゃんが、一生懸命TVや、天声人語で仕入れたような反戦思想を同棲中の彼女に語る(むしろ、彼女の方が食わせているらしい)。彼女はウザッタイと思っている。ブッシュ批判を含めた政治状況の認識は、昨夜のニュースステーションもしくは筑紫哲也のNEWS23 あたりで聞いたような、もしくは『華氏911』の受け売りじゃないかと思われている。
彼女は言う。「分かったよ。でも『世界を救う』前に、ワタシが貸した金返してよ!」。女性こそが「リアル」だ。TVに洗脳されていることに、気付きもしないオトコに比べれば、他人の言葉で「天下国家」を語り、「世界の救済」を語るのなら、その前に借金を返せと!
お前自身の自立はどうなのだと! まるで、「リアル」なフェミニズムのように足下を突いてくる。
ならば、そんな「リアル」な「突き付け」でも、我にかえれない「リアル」な社会の中で壊れたものたちはファッションやタトゥやピンホールカメラを、鎧(よろい)や護符や武器にして「現実」にたち向かうしかない。これは、ゲームの中でしか存在できない「勇者の物語」と同じだろう。勇者はトライバル(部族)社会の中にしか、生きられない。だとしたら、この英雄的だが、なおかつ犯罪者でしかない盗撮魔長谷川の行為はアーバン・トライバル(都市型部族)の勇者の戦いだ。なぜなら、現実は、リアルは構築され直されなければならないからだ。倒錯されたリアルは、再度覗き返され再構築されてこそ回復されるものだからである。
だとすると、
「リアル」な世界はリアル・プレイヤーもしくは、メデイア・プレイヤーの再生の中にしかない!?
この映画の中で、盗撮魔長谷川が撮ったということになっている映像は公式サイトで現在、公開されている。各部屋のシーンを、リアル・プレイヤーで覗き見ることができる。土屋豊監督が仕掛けたもうひとつの疑似体験のコンテンツとして「PEEP"TV"SHOW」というサイトは、「現実」(!)に作られている!→http://www1.cts.ne.jp/~w-tv/peeptvshow.html
『PEEP"TV"SHOW』監督/脚本/編集:土屋豊、共同脚本:雨宮処凛
渋谷シネ・ラ・セットでロードショー公開中!(4月22日まで)
※画像は、「PEEP"TV"SHOW」公式サイトより。宣伝のための画像として貼りました。
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