京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

『ふしぎなもるもくん』

2014年01月22日 | KIMURAの読書ノート
『ふしぎなもるもくん』(児童書)

斉藤洋 作 江田ななえ 絵 偕成社 2008年

前回の読書ノートは新春にふさわしく、この春新たな世界に踏み出す著者のほろ苦い思春期の様子を綴ったものを紹介した。今回もまた新春にふさわしい本をお届けする。それが、『ふしぎなもるもくん』。こちらは、対象が小学校低学年となっているため、絵本ではないがかなり絵がふんだんに使われている。しかし、あえて、今回は絵の描写をしない。是非私の紹介文だけでみなさんのイマジネーションを膨らませていただきたい。

出だしは、こんな感じである。
「もるもくんがふってきました。ふってきて、一ねんせいのあたまにとまりました。あめもふってきました。でも、だいじょうぶ。もるもくんがあたまにのあっているからね。一ねんせいはぬれません。それに、一ねんせいは、もるもくんがのっているので、もるもなきぶんになっているから、よけいにだいじょうぶ。」(p4~p6)

もるもくんと共に行動する人物の表記は「一ねんせい」。名前もなければ、一人称書きの「わたし」や「ぼく」でもない。最後まで「一ねんせい」。なぜ、「一ねんせい」でなければならないのか、という疑問が読み進めていけばいくほど、膨らんでくるが、高校生の娘によれば、「読み手の一年生が、自分のことだと思って読めるからじゃない」という指摘。さすが、脳みそはまだまだ小学生なだけある、わが娘。となると、冒頭からほんわかムード全開のこの物語、そこにエッジの利いた理論的志向が組み込まれていることになる。おそるべし、斉藤洋である。

ここで、少し私流に作者を紹介すると、彼の作品は、歴史ファンタジー『白狐魔記』シリーズ(偕成社)やSFファンタジー『イーグル号』シリーズ(偕成社)など、大作とも言える正統派の物語を書く一方で『ぶたぬきくん』シリーズ(佼成出版社)など、とんでもなくバカバカしいナンセンスな作品も多量に生み出している。その中にこっそりと哲学的なことを盛り込んでいるのが、彼の真骨頂である。となると、今回の作品もまたゆるい物語の中に一本筋が通った軸があるということはいうまでもないと解釈する。

では、「もるもなきぶん」とはどんな感じなのだろうか。「もるもな」を取り出すと、ここは形容動詞ということになる。これは「もるもだろ」「もるもだっ」「もるもで」「もるもに」「もるもだ」「もるもな」「もるもなら」と活用するのであろうかと、思わず考えながらページをめくっていくのであるが、基本「もるもな気分」であった。が、ただひとつ、「もるもなたまいれ」が存在した。「もるもな」が今後活用されるのかは定かではないが、作品の内容から間違いなく、この「もるもな」は形容動詞であることが伺えるし、今後新たな日本語の新語として定着する可能性も期待できないことはない。しかし、ここで再び考えなくてはならないことが起こる。この「もるもなきぶん」の「もるもな」の出所は、出だしの部分からもわかるように、「もるもくん」から派生したものである。この「もるもくん」が形容動詞に値する性質や状態を持ち合わせていることになる。ここまで計算しているのか!?斉藤洋!!!!

ここで、この読書ノートの冒頭に戻る。本作品は「新春にふさわしい」と紹介した。なぜ「新春にふさわしい」のか。まさにそれは「もるもなきぶん」だからである。文中では「たまいれ」や「がいこつ」「しゅうがくりょこう」といったお正月とはまったく関係のない言葉ばかり出てくる。実際、年明けと内容は関係ないことは断言しておく。しかし、「もるもなきぶん」がこれだけ文中に多用されていると、自分もなんとなく「もるもなきぶん」になり、「あぁ、もるもだなぁ」とうっとりしながら、そんな自分にくすっと笑ってしまうのである。「笑う門には福来る」。「もるもくん」は福をもたらしてくれるのである。みなさんも是非、新春「もるもなきぶん」にひたっていただきたい。
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