京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『大学教授、発達障害の子を育てる』

2021年10月14日 | KIMURAの読書ノート

『大学教授、発達障害の子を育てる』
岡嶋裕史 著 光文社 講談社 2021年2月

 「発達障害」という言葉が認知されて久しい。関連書も多く出版され、一度は目にした人も多いのではないだろうか。本書もその中の1冊ではある。決して目新しいものではないが、「発達障害」と一括りに言っても、個人差が多く、1冊読んだからと言って、その多くが分かるわけではない。本書を読むことによって、「発達障害」の新たな一面を知ることができるのではないかと思う。
 

本書は私が知る限り、他の関連本と異なるのは著者自身が「発達障害」であったと我が子を通じて気づき、この記録を執筆するにあたり、自分が幼い頃から感じていた特異な感覚や行動というのを他者でも分かるように、文字に起こしていることである。例えば、発達障害の人は知覚過敏であると言われている。著者の場合、聴力に関しては機能的には問題ないものの、周囲の人からは「人の話を聞いていない」と評価されている。彼の説明によると単純に呼ばれても聞こえていないだけなのらしい。それは、「音としては聴こえているけど、認知していない」ということのようである。人は一般的に雑踏の中でも知っている人の声や音を拾い上げるメカニズムになっているが、彼の場合、それができないようである。雑音の中の様々な音はそのままごちゃまぜの音としてしか聴こえないという。彼は一般的な人の音の認知機能に関してこのような感想を述べている。「人間の音声域の情報を全部残したら、他にもまだ色々な雑音がまじっているだろうし、仮に人の声だけを抜き出したとしても、それがどうでもいい人か、家族や友だちかの判定までしなければならない。高度というか、めんどくさい処理である。これをふつうの人は適正に、リアルタイムにやっているかと思うと、くらくらする。みんなすごいや!(p115)」。もちろん、我が子のことも記載しているが、それが自分とはまた異なる感覚や言動を持っており、自分とどのように異なるのかということも分かりやすく説明している。それだけを抜き出して読むだけでも、発達障害は多種多様であることがよく分かる。
 
著者は大学で情報学を研究しているため、「発達障害」に関する症状をコンピュータに例えて説明している。これが案外分かりやすい。表紙の袖に本文の一部を改変してそのことに関して掲載しているので、それをそのまま引用する。「知的障害はCPU(中央処理装置)がトラブルを抱えている状況であり、発達障害は入出力装置(コミュニケーション装置)がトラブルを抱えている状況であると思う。ディスプレイやマウス・キーボード・タッチパネルといった入出力装置に問題のあるコンピュータは、とてもとても使いにくい。どんなに内蔵されているCPUが高性能だったとしても、である。だから、知的障害より発達障害のほうが症状が軽い、社会に適応しやすいという話ではない。また、両者を併発している子も多い。もちろん、併発しているこのほうが、人生で抱える困難は大きくなる」

本書は自らの経験、我が子のことを踏まえて、現在の教育システム、とりわけ障害を持つ子、定型発達の子が共に机を並べる共生教育について言及している。当事者から言わすとこのシステムはどちらにも負荷が大きすぎるのではないかという。著者は人が集まるところが苦手だったため、中学校までは卒業したものの、高校には行かずに大検で高校卒業の認定を受けている。そして、大学に進学したのは20歳の時。その間、著者は自宅にこもってゲームをやり込んでいたという。そして、彼はその時の5年間を「至福の5年間」と言っている。そのような彼だからこその妙な説得力がある。もちろん、その理由については論理的かつ経験的に伝えている。そして、現在社会は「多種多様性」を認めた「共生社会」の流れで進められているが、その「共生」というのはどういうことなのか改めて考えさせられた。またそのことだけでなく、「コミュニケーション」そのものについてや、コロナ禍の日常にいたるまで深くも軽やかに「発達障害」という視点から今の社会の本質に迫っている。

本書は最新の発達検査における区分なども掲載されているので、是非ともその辺りもしっかりと目にして欲しい。
 

   文責  木村綾子

 

 


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KIMURAの読書ノート『暁の宇品』

2021年10月01日 | KIMURAの読書ノート

『暁の宇品』
堀川惠子 著 講談社 2021年7月
 
7月下旬、私が購読している新聞に、とあるインタビュー記事が1ページの半分を割き、しかもカラーで掲載された。それが本書について語る著者である。そして、そこには興味深い一文があった。「以前の私を含め、宇品を軍港と思う人は広島でも少ない」。そう、私自身広島出身で小・中・高校と平和教育をどっぷり受けてきた世代であるが、宇品については一切触れられたことはなく、この一文を目にするまで全く知らない事柄であった。著者も同郷で且つ私と同世代であり、更には広島の放送局に勤務していたにも関わらず、このことを知ったのは10年前であったとこの一文の後に続いて語っている。私にとっての宇品は県内の島を結ぶ定期航路の港という印象しかない。宇品が軍港というのはどういうことなのか、いてもたってもいられなくなり、本書を手にした。
 
著者は取材の出発点が、「なぜヒロシマに原爆が投下されなくてはならなかった」という素朴な疑問を突き詰めることから始まったと序章に記している。なぜ著者はそのような疑問を持ったのか。それはアメリカが投下の候補地を選定する時、ヒロシマのみが最初から最後まで候補地として挙がり続けていたためである。なぜ「ヒロシマ」だけが終始「候補地」とされたのか。アメリカ国立公文書館所蔵の「目標検討委員会会議要約」に「重要な軍隊の乗船基地がある」と記述されているのである。これが広島市内の海辺にある宇品地区であり、日本軍最大の輸送基地(陸軍船舶司令部・暁部隊)だったのである。しかし、その実態については、現在に至るまでほとんど情報がない。その理由は終戦すぐに大本営から「機秘密書類を焼却する」という命令が下り、戦時中の記録が焼却し尽くされ、現在参考にできる史料がほとんど残されてないためである。その中で筆者はこの宇品で重要な役職に従事した3人の軍人の手記を発掘することに成功。その3人の手記を中心に暁部隊の全貌を明らかにしたのが本書である。
 
また本書は暁部隊のみならず、著者の言葉を借りれば「国家の意思決定の枠組み」にまで深く掘り下げ、日本の海洋輸送の歴史、上陸作戦の近代化、開戦に至る経緯、その最前線に立たされた船員たちの歩みに至るまで記されている。しかし、ページをめくればめくるほど、これはあの戦時中の出来事なのかという不思議な感覚を覚えてくる。というのも、当時の陸軍や国のトップの言動が今まさにコロナ禍における政府の言動と何ら変わりなく、全てがシンクロしているのである。兵器の開発を命令しながらも、予算は一銭も配分せず、責任を背負おうとしない参謀本部。日本の船舶問題の窮状を参謀本部や陸軍省に「意見具申」として宛てた中将は罷免され、その後、国力低下の報告書があがってもみんなで力を合わせれば「ナントカナル」という都合のいい戦争計画を立てる。ここに挙げる事例はほんの一握りで本書ではこのような出来事が随所に現れる。「歴史から学ぶ」という言葉があるが、戦後76年経った今、コロナ禍における非常事態において、国民の上に立つ人間が何も変わっていないのかということに暗澹たる思いを感じる。
 
しかし、悲観的なことばかりではない。広島では知られていることであるが、原爆投下のその日の午後には給水再開、投下2日後に山陽本線、その翌日にはチンチン電車を復旧など、かなり早くにインフラが整備されている(kimuraの読書ノート2019年5月『まんがで語りつぐ広島の復興』関連記事あり)。これは宇品最後となる中将が広島の原爆投下35分後から救援救護活動の陣頭指揮を執ったことによる。なぜ彼はこのような行動をとることができたのか。彼は陸大卒業後、参謀本部に配属されており、その9か月後に関東大震災に見舞われる。この時に救援救護活動を行った経緯があり、その経験がそのまま原爆投下の広島に活かされたのである。またこの時、彼は部下たちに記録を残すように重ねて促している。このことでこれが後に膨大な原爆犠牲者の記録となり後世に伝えられることとなる。「記録を残す」ことも含めて、これらの活動は中将が独自の判断で行っていることも注目すべき点である。現場とそこから離れた国との温度差をここでも感じることができる(陸軍は記録をほぼ焼却処分したことは前述した通りである)。


 あとがきに著者は「中将(司令官)という肩書を持つ将官であっても、与えられた歯車のひとつとなって邁進せねばならぬ不条理が滲んで見えた。その彼がたった一度、自身の判断で取った原爆投下後の行動は、軍隊と災害救助活動という現代的なテーマと重なって見えた。~略~ あの夏の10日間の陸軍船舶司令部の足跡は、軍隊という組織が何のために存在するのかという根源的な問いを包含している(p381)」と綴っている。それと共に私は国とそれを支える現場との乖離はいつになったら狭まるのだろうかという問いも本書から改めて感じた。国はこのことについて真摯に向き合ってくれているのであろうか。

    文責 木村綾子

 


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