『富士下山ガイド』
岩崎仁・著 静岡新聞社 2024年7月
昨年、富士登山の人気はインバウンドにより、更に高まった。しかし、装備なく登る人も多く、事故やトラブルが相次いだため、今年は山梨県側で規制が設けられ、登山客は減少。しかし、連日の遭難事故の報道は変わらず多く、映像を視る限り山頂までの道のりは渋滞をしており、果たしてこれを登山と言えるのか、正直げんなりしている。そんな時に出会ったのが本書である。
目から鱗であった。富士山は山頂で迎えるご来光が美しいと言われ、多くがそのご来光を目的と、日本で一番高いところに登りたいという欲求で山頂に向かうものだと思っていた。つまり、「富士山は登る山」という固定観念があったという訳である。しかし、本書のタイトルにもあるように、車の侵入が許される五合目から下山しても、相当な距離を歩き、様々自然に触れ合うことが可能なのだ。なぜなら、五合目ですら標高が軽く2000mを超えているのである。そこから下山する醍醐味がないはずがない。私自身の最高峰は関西最高峰と言われる八経ヶ岳であるが、ここですら、若干2000mを切るのである。しかし、標高2000m弱の世界は明らかに下界とは異なっていた。本書の冒頭には次のように書かれている。
「私が提案している『富士下山』は、富士山を「下る」ことで新たな魅力を発見するトレッキングツアーだ。富士の登山道というと、岩肌が露出した無機質な光景を思い浮かべる人もいるかもしれない。だが、五合目から下には、我々の想像をはるかに超える豊かな自然が広がっている。砂礫地に生きるたくましい植物や、悠久の時を刻む巨木、溶岩を覆い尽くす瑞々しいコケ、そして懐に広がる青木ヶ原樹海や富士五湖。下るごとに次々と見える風景が変わっていくのは、標高差のある富士山ならではの楽しみだ。また、道中には石物や神社、朽ち果てた山小屋などが残りかつて同じ道を歩いた先人たちの営みが感じられる。こうした史跡を巡り、その背景にある信仰の歴史を理解していけば、富士山の自然や文化をどのように次世代へ継承していくべきか、自分なりに考えるきっかけにもなるだろう。(p6~7)」
ここに書かれていることは登山というよりも、私が週末に行っている「登拝」に近いものである。先人たちが残した軌跡を巡ることでそこに思いを馳せることのできる醍醐味を本書は余すところなく伝えてくれている。
本書はガイドブックというカテゴリーに入るが、コースに関する情報だけにとどまらず、写真集と見紛うばかりの画像がたくさん掲載されている。純粋に写真集として楽しむことができる1冊となっている。普段映像で映される富士山の風景とは異なり、画像だけ観ていたら、そこが富士山の一部とは思えない程、樹木が青々と生い茂り、山頂を目指すよりはるかに自然の営みを感じられる。本書を手にしてそう感じるのであるから、実際にそこを歩いた時はどのような感覚を得ることができるのであろうか。これまで富士山映像が流れるたびに足を踏み入れるのはよそうと思っていたが、2000m辺りから下りていくのは決して間違いではないなと思い始めた。山頂へ向かう人は渋滞中でも、下山する人はもしかしたら人っこひとりいない貸し切り状態かもしれない。そんなところで雄大な自然と先人たちの信仰に出会ってみたいと思った。本書は富士山の新たな魅力に出会うきっかけをくれる1冊である。
文責 木村綾子