京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書のノート『下剋上受験』

2017年01月22日 | KIMURAの読書ノート
『下剋上受験』
桜井信一 著 産経新聞出版 2014年

中卒の父親が我が子を塾に行かさずに「親塾」と称して、自分自身で指導をし、最難関の中学校を受験させた記録が本書である。そして、これはドラマ化され、この1月からTBS系列(金曜日午後10時から)で放映されている。

中卒の父親が自らの指導で最難関中学を受験させるというと、何らかの理由で高校に行くことができず、しかし今は自らの努力でそれなりの立場になったという印象を受けるが、著者はどうも勝手が違うようである。著者の妻も中卒であり、親も中卒。著者の中学時代はとりあえず学校に行っている不良。高校は受験さえすれば誰でも合格できる高校に入学し、周囲の在学生の例にもれず、中退。その後転職を繰り返し、今は転職するのが面倒くさい年齢になり仕方なく落ち着いている状況。著者の言葉を借りれば「負のスパイラル」。しかし、とある一件の出来事がそれを「断ち切らなければならない」という思いを駆り立てることになる。それが「全国統一テスト」。四谷大塚という受験塾が主催している全国規模の無料のテストである。著者の娘は、学校の宿題をこつこつする努力家のようである。そのため、決して悪い結果が出る訳がないという確信のもと、そして「無料」という言葉にそそられ、著者はこのテストを娘に受けさせたようである。しかし、現実は非情で受験者2万6000人中の2万番目。偏差値は41という結果であった。そこから父親、つまり著者は娘に対しての将来を考え始めるのである。

この「親塾」は正直並大抵のものではない。なぜなら、前述したように著者自身中学校はただ登校していただけ。高校も受験さえすれば合格するという学校である。中学受験に出題されるような問題を解く力がないのは、明らかである。しかし、著者の「負のスパイラル」を断ち切る思いは半端ではなく、まさに身を削って娘に尽くしている姿がそこに現れる。そこまでして受験をさせようとした思いが綴られている文章が次の通りである。

「勉強することの大切さを大人になってから気付かされる。後の祭りだと気付かされる。もう今更嘆いても遅いよと囁かれる。小学生の睡眠時間を2時間減らすことが虐待だと考える人は、大人になり定年までの40年間を惰性で生きていく運命になること、眠れないほど将来の不安が襲ってくることをどう考えているのだろう。大人になってからの人生はその本人が責任を持つべきことという常識は、『前提』があってのことではないのだろうか。」(p189)

ここでの「前提」は間違いなく、大学まで普通に卒業した人のことを指すのであろう。18歳人口の半数以上が大学に進学する時代である。大学に進学することが「普通」になってしまった今、著者が指摘する「前提」が一般的に「当たり前」になってしまっていることに本書を読むことで気付かされる。しかし、とりわけ著者のような人生を歩んだ人にとってはその「当たり前」のことが、決して「当たり前」ではないし、「教育が大切である」というような基本的な情報を入手できずに、大人になる、いや、大人になっても入手できないことが多いと指摘している。本書は受験体験記という括りにはなっているが、一方で、日本における学歴分断社会の一端を知るものとなっている。

この1月からのドラマはホームコメディータッチで描かれるようであるが、是非とも原作で綴られている著者の本当の思いを深く掘り下げた作品に仕上げてくれることを期待する。

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KIMURAの読書のノート『九十歳。何がめでたい』

2017年01月10日 | KIMURAの読書ノート
『九十歳。何がめでたい』
佐藤愛子 著 小学館 2016年8月6日

明けましておめでとうございます。本年も変わらずダラダラと本を読んだ中から、その一部の感想をこれまたダラダラと書いた駄文を皆様にお届けします。どうぞお付き合いくだされば幸いです。

さて、新年のこのおめでたい日の一冊目、「何がめでたい」という強烈なパンチのあるタイトルを引き当ててしまいました。直木賞作家で数々の作品を生み出してきた巨匠佐藤愛子さんのエッセイが本書です。昨年8月に刊行されて以来、未だに売れ続け、昨年の11月末日現在トーハンのランキングで第4位。勢いが衰えることはないようです。

御年93歳。抱腹絶倒、毒舌満載とはこのことではないでしょうか。売り上げの勢いもさることながら、本書の佐藤愛子さんの怒りの勢いは凄まじい。最初から「こみ上げる憤怒の孤独」として、自らの老いに怒っております。もちろん、老いだけではありません。日本人に対しては「総アホ時代」と銘打って憤っており、新聞の内にある人生相談の相談者だけでなく、回答者にも嘆いており、丸ごと1冊怒りに満ちています。しかし、読み手としては、それに対していちいち納得しながら、笑っているのだから不思議です。例えば、先の最初の章。佐藤さんがおっしゃるには、ご自身声が大きいらしい。そのため、「声が大きい」だけで、「元気」と思われ、あれこれ依頼が来るので困っていらっしゃる様子。弱弱しく見せようと小声でしゃべっていても、攻防戦が繰り広げられるとうっかり地声になり、「元気」じゃないですかと言われる始末。挙句には佐藤さん「声がでかいのが病気」と言わざるを得ないとか。しかし、現実的には90歳を超えた体は声が大きかろうと小さかろうと、日々の衰えを身をもって感じ、徒歩15分で行けた場所に倍以上かかったりとその年齢にならないと理解できない状況を佐藤節でまくし立てています。そして、最後彼女は、周囲の人から卒寿に対して「おめでとうございます」と言われることに対して、この状況から「何がめでたい」と一蹴するのです。

しかし、彼女の怒りは決して、彼女の年齢になったから分かるというものだけではありません。今の日本の政治や社会の流れに対しても愁いを感じています。それは間違いなく、私達がひそかに心の中で思っていることばかりです。ただその中には、それを一般の人が世間話にでさえも、口に出したらはばかるような内容も含まれています。日本は民主主義で表現や言論の自由があるはず。なのに、本書を読んでいると、案外今の日本、これらのものが不自由になってきているのではないかしらと感じてしまいます。それこそ年の功ではありませんが、御年93歳の佐藤愛子さんだからこそ、いや、彼女の筆力だからこそ、こうして笑いに変えて代弁してくれているのです。

と書いてしまうと、新年早々暗い感想となってしまいますが、本書は間違いなく素直に笑えます。「笑う門には福来る」。新年の幕開けにはもってこいの1冊です。  (文責 木村綾子)

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