京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『絶対に行けない世界の非公開区域99』

2023年06月16日 | KIMURAの読書ノート


『絶対に行けない世界の非公開区域99』
ダニエル・スミス 著 小野智子 片山美佳子 訳 
日経ナショナルジオグラフィック 2022年

まさにタイトル通りの本である。国内外の非公開区域を紹介している。私の場合タイトル通りの場所でイメージできるのは「北朝鮮」位なのであるが、日本はもとより海外にこのようにたくさんの場所があるのかということに驚いた。

本書ではなぜそこが「非公開区域」になっているのか、その理由を幾つかのカテゴリーに分類している。例えば、「高度なセキュリティ」や「機密事項」。これはその国の中枢を担う場所のため、厳重な警備の下で管理されており「非公開」はもとより、一般には存在場所すら知らされていないと理解できる。また、「立ち入り制限」というのもすぐに理解できるだろう。危険な場所のために、一般の人は立ち入れないということである。しかし、全く理解できない項目もある。その1つが「存在未確認」。未確認だから入れないというのは分かるが、なぜそれがどこかにあるということが分かるのであろうか。例えば、イギリスの「ホワイトホールの地下トンネル」。本書によると、この場所は「ロンドンの国会議事堂とトラファルガー広場とを結び、英国政府の中枢であるホワイトホールで働く人々がりようしたというトンネル網の存在は、いまだ不確かな噂のままである(p118)」。つまり世界的な規模で噂になっている場所や建築物についても本書では取り上げられているのである。この項目が案外好奇心をそそられる。うっかりすれば、自分で探してみようかという気にさえさせてくれる、説明文なのである。この項目が思った以上に多いというのも特筆しておきたい。世界にはまだまだ未確認の場所があるということでる。

本書で紹介されている場所の中で、私にとってインパクトが強かったのが、アメリカのペンシルベニア州にあるセントラリアという町。こちらは「立ち入り制限」となっているが、その理由がなんと50年間町が燃え続けているのだという。1962年に炭鉱の坑内で火災が発生。火災は町にも広がったらしい。消火活動に失敗したため、自然鎮火を待つことにしたのだそうだ。鎮火までにまだ250年かかるらしい。当時人口は2000人を超えていたが、現在は10人前後ということである。火災の規模も凄いが、自然鎮火を待つというその判断というのが、何とも言えずアメリカ的である。国土が広いアメリカならではの事かもしれないが、これが国土の70%が山林となる日本なら、自然鎮火を待っていたらあっという間に国土全てが焼き尽くされそうな予感しかない。

日本の非公開区域も紹介されている。それは「伊勢神宮」。紹介文にはこのように記述されている。「日本に1億2千万人の信徒がいるとされる神道は、唯一神信仰ではなく自然の中に神を見出す伝統宗教だ。伊勢の神宮は神道であるため、内院という奥の聖域への立ち入りは厳しく制限されており、皇族出身の高位の神職しか入ることができない(p236)」。
この紹介文を目にした時、確かに「伊勢神宮」の内院は一般には入れない。しかし、国内にある多くの神社は内院ではないが、本殿まで立ち入って参拝はできない。入ることが可能なのは、拝殿までである。また、本殿だけでなく境内には「神域」を持つところも多く、注連縄で結界が張られている場所は入ることができないだけでなく非公開のところも多い。そう考えるとそれだけでも日本にはかなり多くの「非公開区域」というのはあるのではないだろうか。これは日本人にとって「当たり前」の感覚なのであるが、著者はアメリカ人である。この日本の文化、伝統が他国の「非公開区域」と同列に並べてしまうほど、特殊な場所なのだと感じてしまうのであろう。実は本書を読んでいちばんの発見はこのことであった。
      文責  木村綾子


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KIMURAの読書ノート『(萌えすぎて)絶対忘れない!妄想古文』

2023年06月03日 | KIMURAの読書ノート

『(萌えすぎて)絶対忘れない!妄想古文』

三宅香帆 著 河出書房新社 202210

 

いわゆる日本の「古典(古文)」について、ちょくちょくこの読書ノートでは取り上げている。それもこれも自分自身が大の苦手だからなのであるが、ちょっとしたきっかけで大人になり読んでみようという気になった作品がある。それが、「源氏物語」。当時出版されていた現代語訳の訳者違いを何冊も読んだ程である。「きっかけ」は人によって異なるのが当たり前であるが、それでも一般論として、その作品の「裏話」だったり、それらの物語が現代の何のエピソードに該当するのかということを知ると案外すんなりと古文の世界に入れるということが分かった。そのような訳で、古文に関するよもやま話が書かれた本を見かけるとつい手にしてしまうのである。本書もまさにそれである。

著者は大学院で古文(万葉集)を研究。研究でお腹いっぱいになり卒業後は古文とは全く関係のない仕事に就いたが、諸般の事情で退職。その頃に再び古文の本を手にして、古文の良さを再認識して現在に至っている。その著者がまず古文の美味しい部分として挙げたのが「人間関係」。しかも「推しカップリングを見つけること」が面白さを知る最重要項目と記している。例えば、第1章で取り上げている『枕草子』。誰もが1度は学校の授業で学ぶし、冒頭の「春はあけぼの」は多くの人が知っているフレーズである。しかし、そもそもこの「春はあけぼの」に読者は惑わされていると著者は指摘する。このように四季の情景を綴っているところもあるが、それはこの作品の中ではごく少数であり、本来は作者・清少納言と彼女が使えた中宮定子の親密な関係を記しているのだという。「親密」にも様々な意味が込められているが、著者の言葉を借りれば「女性同士の(友愛を含めた)親密な関係性」なのだという。更に著者はなぜ清少納言はこの『枕草子』を書くことになったのか知っているかと読者に問う。実は、その理由がこの作品の中できちんと記述されているのである。その箇所が「跋文」、つまり「あとがき」である。学校では冒頭の「春はあけぼの」は教えてもらっても、跋文なんてまず触れることはない。もし、枕草子の執筆理由を学校で学ぶこととなったら、恐らく教科書に掲載される「春はあけぼの」は逆に触れることはなかったのではないかと私は思ってしまった。この流れるようなリズムを持つフレーズは現代人にとってお蔵入りとなってたことであろう。仮に私が教科書会社に勤務していたとしたら、かなり悩ましい問題のような気がする。もちろん、清少納言は遠い将来、自分の作品が教科書に掲載されるなんて思ってはいない。

枕草子とくれば、紫式部の『源氏物語』も気になるところであるが、もちろん、こちらも述べられている。但し枕草子のように清少納言と中宮定子だけの関係性ではこちらは終わらない。著者は「現代の少女漫画の様々な『型』が出尽くしたのでは」と指摘している。そのくらい多様な関係性がここでは描かれているのである。そのため、カップリングも多様である。その中の幾つかを本書では紹介しているのであるが、かなり笑えて納得したのが、主人公・光源氏と幼馴染の頭中将の関係性。著者は「元祖BL」と言ってのける。

本書では著者が専門の「万葉集」からも幾つか取り上げている。額田王と大海人皇子との関係性、額田王と鏡大君、石川郎女と久米禅師の関係性など。そして、何よりも意外なものだったのが、『竹取物語』の竹取の翁とかぐや姫の関係性。竹取物語に関しては物語も分かりやすいので、「古文」と意識しなくても物語の内容を知っている人は多いと思うのだが、著者の説明を目にするとまた違う世界が見えてくる。

このような関係の著書を手にすると、毎度のことながら「学校でも教えてくれればよかったのに」と思ってしまう。これを知ってから古文を読むと単語や文法について多少知らなくても案外すんなりと読めてしまうのではないかと思ってしまう。著者はあとがきで「学校の授業ではないところで、もっと古典の面白さをわかってほしい(p249)」とあるが、授業でこの面白さを伝えて欲しいと切に思った。

====文責 木村綾子

 


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