京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURA の読書ノート『ぼけますから、よろしくお願いします。』

2020年02月16日 | KIMURAの読書ノート
『ぼけますから、よろしくお願いします。』
信友直子 著 新潮社 2019年10月

私が本書を知ったきっかけは、昨年12月にフジテレビ系列で放映された『ザ・ノンフィクション』を観たことである。このテレビ番組は、2019年10月、令和元年度の文化庁映画賞で「文化記録映画部門」の大賞を受賞したドキュメンタリー映画の受賞を記念して、記録映像を再編集・再構成した「特別編」であった。それが書籍化されているということで手にしたのである。

このドキュメンタリーの主役は本書の著者であり、この映画の監督でもある信友直子の両親である。2012年電話で話す母親の言葉に異変を感じ、著者は帰省する。直接母親と会話をして認知症ではないかと疑いを持つ。これまでも著者は自分で購入したビデオカメラを帰省するたびに両親の記録として回していた。そして著者はその母の変化をこれまで通りカメラに記録することになる。2014年、母親はアルツハイマー型認知症の診断を受けるが、その時母親は85歳。そしてその母親を介護する父親は93歳。母親の認知症と「老々介護」の現実と日常を娘である「私」の視点から丁寧に本書は記されている。

これまでも認知症に関わるノンフィクションは幾つか読んできたが、その中で本書は私にとってはいちばん欲しい情報が綴られているように思えた。例えば、著者が母親の異変を感じたのが2012年。しかし、認知症と診断されたのは2014年。この2年余りの空白の間、著者や父親は黙って母親の変化をみていたわけではない。実際にはこの間に病院で「認知症」の検査を行っているのである。しかし、その時の結果は「認知症ではない」というもの。認知症初期の状態ではMRIに萎縮が見られないこともあるということ、また問診で使用されるスケールでは患者が通常よりも敏感になってしまい、いい結果が出てしまうのだそうだ。また、著者は老々介護の限界を感じて、ヘルパーさんなどを頼みたいが、その術が分からない。しかし、「取材」として地元の地域包括センターに行くことで、その手段を得ることになる。そこに至るまでの過程も細かく記されている。

そして、もう一つの情報。認知症の患者が自分の病気に対してどのような思いでいるかということ。本書では母親の言動を例にたくさん綴られている。例えば、人知れず、母親が認知症の薬の説明書きを読んでいたこと。「私が物忘れをするから、恥ずかしいとか迷惑がかかるとか思っているのか」と、父親に質問する母親。詐欺グループに騙されたことを何度も父親や娘に謝る母親。「何もわからんようになった」と訴える母親。娘の著者が母親の異変を感じる2年前、母親自身自分の異変に気づいて大好きだった趣味を突然に辞めてしまっていたこと。「認知症」の症状は一般的に「忘れること」としてざっくりと解釈されるが、当事者はその「忘れてしまう」ことに関して、何とも言えない不安と苦しみを抱えていることが本書ではっきりと示されていた。
読後少なからず私はここまで素の状態をさらしてくれた信友家に感謝の念しかなく、そして著者の母親からは認症患者代表としての全身全霊のメッセージとして受け止めた。このメッセージは恐らくこれまでの「認知症」の認識を大きく変えてくれるものであるとも思っている。

====文責 木村綾子


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KIMURA の読書ノート<strong>『戦場の秘密図書館』</strong>

2020年02月03日 | KIMURAの読書ノート
『戦場の秘密図書館』
マイク・トムソン 著 小国綾子 編訳 文溪堂 2019年12月

著者はBBCの海外特派員で、これまで何度も紛争地帯の取材をしてきた。2012年にシリアのダラヤはアサド派勢力に包囲されて以来、外部からの援助が受けられていない状態で人々はどのようにして生き延びているのかという疑問を持ち、著者はダラヤに暮らす人々と連絡を取ろうと試みる。そのような時に、このダラヤに秘密の地下図書館があるという噂を耳にする。2015年のことである。この時、著者はシリアの内戦の中に「希望」を感じ、取材を行うことになる。とは言え、著者はシリア内部には入ることはできず、SNSなどを駆使して情報提供者を探し出し、取材はインターネット回線を使ったスカイプで行っている。

本書にはこの図書館やその周辺の街並みの写真が掲載されており、これを目にすると、この図書館がなぜ「秘密図書館」と言われているか、なぜ著者がここに「希望」を見い出し深く興味を持ったのかが一目瞭然となる。図書館の周囲は完全に破壊しつくされ、廃墟化しているのである。その廃墟化した地下部に外とはうってかわって、明るい雰囲気の室内。それを目にするだけでそこに「希望」を誰もが感じ取るであろう。しかし、このような現状でなぜダラヤの人々は「本」だったのか。取材の中で、ここで活動する若者たちはこのように語っている。

「体に食べ物を必要とするように、魂には本が必要なんです」(p60)

このように語るだけ、ここに集められた本は若者たちによって徹底した管理と保存が行われ、ここが戦場であるということを知らされなければ一般の図書館と何ら遜色はないほどである。また、ただ本を読むというだけの場所ではなく、そこでは講座なども行われるようになり、ちょっとしたコミュニティーの場にもなっている。しかし、ここに至るまでの過程では多くの苦難があり、その場面を読んでいくと改めてここが戦場であることを思い知らさる。それでも、若者たちが図書館を開設しようとした想い。何とも言えない気持ちが心にのしかかる。

2013年冬に開館した図書館であるが、戦況は刻々と悪化し、2016年ダラヤに残っていた市民はダラヤからの退去を求められる。無論、図書館を運営していた若者も同様であり、図書館を残してダラヤを去る彼らの心情を思うと心がそれだけで痛む。しかし、その後の彼らの詳細まで本書には記されているが、まさにそこには「希望」があった。
著者はこの取材に関して、自分自身は安全な場所で取材をすることに矛盾を感じ、苦悶している。それでも、この「秘密図書館」の存在を世界に発信しなければならないという使命感。著者の心の揺らぎを通して、私たち読者も自分の現在の位置と世界で起こっている戦地との距離感をリアルに感じ取ることができるのではないだろうか。そして、そこから自分は何を考え、自らの生活にどのようにつなげていくのか、そのようなことを教えてくれる1冊である。
====文責  木村綾子


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