『ぼけますから、よろしくお願いします。』
信友直子 著 新潮社 2019年10月
私が本書を知ったきっかけは、昨年12月にフジテレビ系列で放映された『ザ・ノンフィクション』を観たことである。このテレビ番組は、2019年10月、令和元年度の文化庁映画賞で「文化記録映画部門」の大賞を受賞したドキュメンタリー映画の受賞を記念して、記録映像を再編集・再構成した「特別編」であった。それが書籍化されているということで手にしたのである。
このドキュメンタリーの主役は本書の著者であり、この映画の監督でもある信友直子の両親である。2012年電話で話す母親の言葉に異変を感じ、著者は帰省する。直接母親と会話をして認知症ではないかと疑いを持つ。これまでも著者は自分で購入したビデオカメラを帰省するたびに両親の記録として回していた。そして著者はその母の変化をこれまで通りカメラに記録することになる。2014年、母親はアルツハイマー型認知症の診断を受けるが、その時母親は85歳。そしてその母親を介護する父親は93歳。母親の認知症と「老々介護」の現実と日常を娘である「私」の視点から丁寧に本書は記されている。
これまでも認知症に関わるノンフィクションは幾つか読んできたが、その中で本書は私にとってはいちばん欲しい情報が綴られているように思えた。例えば、著者が母親の異変を感じたのが2012年。しかし、認知症と診断されたのは2014年。この2年余りの空白の間、著者や父親は黙って母親の変化をみていたわけではない。実際にはこの間に病院で「認知症」の検査を行っているのである。しかし、その時の結果は「認知症ではない」というもの。認知症初期の状態ではMRIに萎縮が見られないこともあるということ、また問診で使用されるスケールでは患者が通常よりも敏感になってしまい、いい結果が出てしまうのだそうだ。また、著者は老々介護の限界を感じて、ヘルパーさんなどを頼みたいが、その術が分からない。しかし、「取材」として地元の地域包括センターに行くことで、その手段を得ることになる。そこに至るまでの過程も細かく記されている。
そして、もう一つの情報。認知症の患者が自分の病気に対してどのような思いでいるかということ。本書では母親の言動を例にたくさん綴られている。例えば、人知れず、母親が認知症の薬の説明書きを読んでいたこと。「私が物忘れをするから、恥ずかしいとか迷惑がかかるとか思っているのか」と、父親に質問する母親。詐欺グループに騙されたことを何度も父親や娘に謝る母親。「何もわからんようになった」と訴える母親。娘の著者が母親の異変を感じる2年前、母親自身自分の異変に気づいて大好きだった趣味を突然に辞めてしまっていたこと。「認知症」の症状は一般的に「忘れること」としてざっくりと解釈されるが、当事者はその「忘れてしまう」ことに関して、何とも言えない不安と苦しみを抱えていることが本書ではっきりと示されていた。
読後少なからず私はここまで素の状態をさらしてくれた信友家に感謝の念しかなく、そして著者の母親からは認症患者代表としての全身全霊のメッセージとして受け止めた。このメッセージは恐らくこれまでの「認知症」の認識を大きく変えてくれるものであるとも思っている。
====文責 木村綾子
信友直子 著 新潮社 2019年10月
私が本書を知ったきっかけは、昨年12月にフジテレビ系列で放映された『ザ・ノンフィクション』を観たことである。このテレビ番組は、2019年10月、令和元年度の文化庁映画賞で「文化記録映画部門」の大賞を受賞したドキュメンタリー映画の受賞を記念して、記録映像を再編集・再構成した「特別編」であった。それが書籍化されているということで手にしたのである。
このドキュメンタリーの主役は本書の著者であり、この映画の監督でもある信友直子の両親である。2012年電話で話す母親の言葉に異変を感じ、著者は帰省する。直接母親と会話をして認知症ではないかと疑いを持つ。これまでも著者は自分で購入したビデオカメラを帰省するたびに両親の記録として回していた。そして著者はその母の変化をこれまで通りカメラに記録することになる。2014年、母親はアルツハイマー型認知症の診断を受けるが、その時母親は85歳。そしてその母親を介護する父親は93歳。母親の認知症と「老々介護」の現実と日常を娘である「私」の視点から丁寧に本書は記されている。
これまでも認知症に関わるノンフィクションは幾つか読んできたが、その中で本書は私にとってはいちばん欲しい情報が綴られているように思えた。例えば、著者が母親の異変を感じたのが2012年。しかし、認知症と診断されたのは2014年。この2年余りの空白の間、著者や父親は黙って母親の変化をみていたわけではない。実際にはこの間に病院で「認知症」の検査を行っているのである。しかし、その時の結果は「認知症ではない」というもの。認知症初期の状態ではMRIに萎縮が見られないこともあるということ、また問診で使用されるスケールでは患者が通常よりも敏感になってしまい、いい結果が出てしまうのだそうだ。また、著者は老々介護の限界を感じて、ヘルパーさんなどを頼みたいが、その術が分からない。しかし、「取材」として地元の地域包括センターに行くことで、その手段を得ることになる。そこに至るまでの過程も細かく記されている。
そして、もう一つの情報。認知症の患者が自分の病気に対してどのような思いでいるかということ。本書では母親の言動を例にたくさん綴られている。例えば、人知れず、母親が認知症の薬の説明書きを読んでいたこと。「私が物忘れをするから、恥ずかしいとか迷惑がかかるとか思っているのか」と、父親に質問する母親。詐欺グループに騙されたことを何度も父親や娘に謝る母親。「何もわからんようになった」と訴える母親。娘の著者が母親の異変を感じる2年前、母親自身自分の異変に気づいて大好きだった趣味を突然に辞めてしまっていたこと。「認知症」の症状は一般的に「忘れること」としてざっくりと解釈されるが、当事者はその「忘れてしまう」ことに関して、何とも言えない不安と苦しみを抱えていることが本書ではっきりと示されていた。
読後少なからず私はここまで素の状態をさらしてくれた信友家に感謝の念しかなく、そして著者の母親からは認症患者代表としての全身全霊のメッセージとして受け止めた。このメッセージは恐らくこれまでの「認知症」の認識を大きく変えてくれるものであるとも思っている。
====文責 木村綾子