『わたしも、昔はこどもでした。』
「子どものしあわせ」編集部 編 かもがわ出版 2019年8月15日
本書は月刊誌の巻頭インタビュー「私を育ててくれた人たち」を1冊にまとめたものである。構成は最初にその人の現在の肩書や仕事などを語ってもらい、その後に自身が子どもだった時のこと、その当時の自身を取り巻く大人のやり取りが綴られている。本書では17名の著名人がインタビューを受けているため、1人当たり6ページの配分となっている。
実は当初この「読書ノート」は別の本を紹介する予定であった。それを急遽こちらに変更したのは、インタビューを受けていた人のひとり池田香代子さんのページを読んだ時であった。ご存じのように池田香代子さんは『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス・2001年)の翻訳者である。それまでも彼女はドイツ文学の翻訳を手掛けていたが、この著書により一気に注目された。このことに関して彼女は次のように語っている。「その生活が一変したのが、『世界がもし100人の村だったら』でした。2001年の9.11後、アフガニスタンで住民の生活支援をされている中村哲さんに呼びかけられて、印税を寄付するために翻訳したのです(p31)」。折しも本書を私が手にしたのは、中村哲さんの訃報が世界を駆け巡った翌日だった。まさかこのようなタイミングで彼の名前をたまたま手にした本で目にすることになろうとは。しかもあのベストセラーとなった本のきっかけとなった人が中村哲さんだったとは。中村哲さんのことに触れているのは、この一文にすぎないが、これ以降、本書を読むにあたり、改めて襟を正して目にしていくことができた。
インタビューを受けた人たちに共通することは、自分が幼かった時、自身を認めてくれる大人がわずか一人でもいてくれていたということである。「東大を受験したい」と言った時、誰も相手にしてくれなかったのに、高校2年の時の担任だけが「やってみろ」と言ってくれたと語る鈴木宣弘さん。「プロのライターになりたいけど、なれるか」と国語の先生に尋ねた時に、「なれるかは分からないが才気は感じる」と応えてくれたことが今でも自分の背中を押してくれるという津田大介さん。小学校時代、農家の出身であることで差別を感じていたが、担任から授業で畑を作った時に「鍬の使い方に腰が据わっている」と評価してもらい誇りを持つことができた宇都宮健児さん。イギリスに住んでいたピーター・バカランさんは親がうるさいことを言わず、13歳の時には友人と二人でフランス旅行に、また見ず知らずの人達が集まるサマーキャンプにも参加させてくれることで社会的なやりとりの方法が身に付いたと語っている。全員をとりあげることはできないが、些細な大人の声がけがその人の支えとなることが多分にあるということを改めて本書は教えてくれる。
そして、再度中村哲さん。彼がアフガニスタンでは医師としてだけでなく、灌漑事業に手掛けていたことは誰もが知っていることではあるが、それは表に見える顔であり、池田香代子さんの著書がそうであるように、もっと見えないところでも平和を願い、地に根をはるような活動を行っていたことを知るきっかけともなった1冊でもあった。中村哲さんのことに触れてくれた池田香代子さんに感謝をしつつ、中村哲さんのご逝去を心よりお悔やみ申し上げる次第である。 文責 木村綾子
「子どものしあわせ」編集部 編 かもがわ出版 2019年8月15日
本書は月刊誌の巻頭インタビュー「私を育ててくれた人たち」を1冊にまとめたものである。構成は最初にその人の現在の肩書や仕事などを語ってもらい、その後に自身が子どもだった時のこと、その当時の自身を取り巻く大人のやり取りが綴られている。本書では17名の著名人がインタビューを受けているため、1人当たり6ページの配分となっている。
実は当初この「読書ノート」は別の本を紹介する予定であった。それを急遽こちらに変更したのは、インタビューを受けていた人のひとり池田香代子さんのページを読んだ時であった。ご存じのように池田香代子さんは『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス・2001年)の翻訳者である。それまでも彼女はドイツ文学の翻訳を手掛けていたが、この著書により一気に注目された。このことに関して彼女は次のように語っている。「その生活が一変したのが、『世界がもし100人の村だったら』でした。2001年の9.11後、アフガニスタンで住民の生活支援をされている中村哲さんに呼びかけられて、印税を寄付するために翻訳したのです(p31)」。折しも本書を私が手にしたのは、中村哲さんの訃報が世界を駆け巡った翌日だった。まさかこのようなタイミングで彼の名前をたまたま手にした本で目にすることになろうとは。しかもあのベストセラーとなった本のきっかけとなった人が中村哲さんだったとは。中村哲さんのことに触れているのは、この一文にすぎないが、これ以降、本書を読むにあたり、改めて襟を正して目にしていくことができた。
インタビューを受けた人たちに共通することは、自分が幼かった時、自身を認めてくれる大人がわずか一人でもいてくれていたということである。「東大を受験したい」と言った時、誰も相手にしてくれなかったのに、高校2年の時の担任だけが「やってみろ」と言ってくれたと語る鈴木宣弘さん。「プロのライターになりたいけど、なれるか」と国語の先生に尋ねた時に、「なれるかは分からないが才気は感じる」と応えてくれたことが今でも自分の背中を押してくれるという津田大介さん。小学校時代、農家の出身であることで差別を感じていたが、担任から授業で畑を作った時に「鍬の使い方に腰が据わっている」と評価してもらい誇りを持つことができた宇都宮健児さん。イギリスに住んでいたピーター・バカランさんは親がうるさいことを言わず、13歳の時には友人と二人でフランス旅行に、また見ず知らずの人達が集まるサマーキャンプにも参加させてくれることで社会的なやりとりの方法が身に付いたと語っている。全員をとりあげることはできないが、些細な大人の声がけがその人の支えとなることが多分にあるということを改めて本書は教えてくれる。
そして、再度中村哲さん。彼がアフガニスタンでは医師としてだけでなく、灌漑事業に手掛けていたことは誰もが知っていることではあるが、それは表に見える顔であり、池田香代子さんの著書がそうであるように、もっと見えないところでも平和を願い、地に根をはるような活動を行っていたことを知るきっかけともなった1冊でもあった。中村哲さんのことに触れてくれた池田香代子さんに感謝をしつつ、中村哲さんのご逝去を心よりお悔やみ申し上げる次第である。 文責 木村綾子