京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURA の読書ノート >『わたしも、昔はこどもでした。』

2019年12月17日 | KIMURAの読書ノート
『わたしも、昔はこどもでした。』
「子どものしあわせ」編集部 編 かもがわ出版 2019年8月15日

本書は月刊誌の巻頭インタビュー「私を育ててくれた人たち」を1冊にまとめたものである。構成は最初にその人の現在の肩書や仕事などを語ってもらい、その後に自身が子どもだった時のこと、その当時の自身を取り巻く大人のやり取りが綴られている。本書では17名の著名人がインタビューを受けているため、1人当たり6ページの配分となっている。

実は当初この「読書ノート」は別の本を紹介する予定であった。それを急遽こちらに変更したのは、インタビューを受けていた人のひとり池田香代子さんのページを読んだ時であった。ご存じのように池田香代子さんは『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス・2001年)の翻訳者である。それまでも彼女はドイツ文学の翻訳を手掛けていたが、この著書により一気に注目された。このことに関して彼女は次のように語っている。「その生活が一変したのが、『世界がもし100人の村だったら』でした。2001年の9.11後、アフガニスタンで住民の生活支援をされている中村哲さんに呼びかけられて、印税を寄付するために翻訳したのです(p31)」。折しも本書を私が手にしたのは、中村哲さんの訃報が世界を駆け巡った翌日だった。まさかこのようなタイミングで彼の名前をたまたま手にした本で目にすることになろうとは。しかもあのベストセラーとなった本のきっかけとなった人が中村哲さんだったとは。中村哲さんのことに触れているのは、この一文にすぎないが、これ以降、本書を読むにあたり、改めて襟を正して目にしていくことができた。

インタビューを受けた人たちに共通することは、自分が幼かった時、自身を認めてくれる大人がわずか一人でもいてくれていたということである。「東大を受験したい」と言った時、誰も相手にしてくれなかったのに、高校2年の時の担任だけが「やってみろ」と言ってくれたと語る鈴木宣弘さん。「プロのライターになりたいけど、なれるか」と国語の先生に尋ねた時に、「なれるかは分からないが才気は感じる」と応えてくれたことが今でも自分の背中を押してくれるという津田大介さん。小学校時代、農家の出身であることで差別を感じていたが、担任から授業で畑を作った時に「鍬の使い方に腰が据わっている」と評価してもらい誇りを持つことができた宇都宮健児さん。イギリスに住んでいたピーター・バカランさんは親がうるさいことを言わず、13歳の時には友人と二人でフランス旅行に、また見ず知らずの人達が集まるサマーキャンプにも参加させてくれることで社会的なやりとりの方法が身に付いたと語っている。全員をとりあげることはできないが、些細な大人の声がけがその人の支えとなることが多分にあるということを改めて本書は教えてくれる。
そして、再度中村哲さん。彼がアフガニスタンでは医師としてだけでなく、灌漑事業に手掛けていたことは誰もが知っていることではあるが、それは表に見える顔であり、池田香代子さんの著書がそうであるように、もっと見えないところでも平和を願い、地に根をはるような活動を行っていたことを知るきっかけともなった1冊でもあった。中村哲さんのことに触れてくれた池田香代子さんに感謝をしつつ、中村哲さんのご逝去を心よりお悔やみ申し上げる次第である。   文責 木村綾子

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KIMURAの読書ノート『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

2019年12月02日 | KIMURAの読書ノート
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』レイディみかこ 著 新潮社 2019年6月

2019年ノンフィクション本大賞受賞作品。著者はイギリスで保育士の資格を取り、当時底辺託児所と自身が勝手に呼んでいた保育園に勤務。息子もそこの託児所に預けての勤務となるが、小学校は市のランキングでもトップクラスの私立のカトリック系小学校に入学させる。しかし、中学校になる段階で見学した「元底辺中学校」を選択。その中学校生活の1年半を綴った成長記録。

本書は「成長記録」としているものの、大きくはイギリスの教育制度、社会制度を息子の中学生活を通して語ったものである。驚くほど、日本と似ている部分もあったり、まったく逆のこと然りでページをめくるごとに新鮮な刺激を受ける。

日本と状況が同じだとひしひしと感じた点は、貧富の拡大が子ども達にしわ寄せとなっているという点であろう。息子が通う学校の先生はこのように話している。「私たちだって、できれば教育に専念したい。子どもたちに試験でいい成績をおさめて、成功してほしいし、階級を上って行ってほしい。だけど、彼らにはその前段階である衣食住が整っていない。福祉課の手が回らないというのなら、少なくとも日中は生徒を預かっている学校がやるしかないじゃない(p106)」。著者はこの言葉に対して、次のように付け加えている。「この国の緊縮財政は教育者をソーシャルワーカーにしてしまった(p108)」。この2人の台詞は決してイギリス国内だけのことではない。日本国内でも同じように対応している学校の教師はたくさんいる。これを対岸の火事として流してしまうのか、自分の周囲でも起こっていると感じ取れるかは読み手にかかってくるが、少なからず著者と息子の親子の現実的なやり取りを見ていると、自分達家族の周囲でも起こっている出来事の一つとして捉えることができる。

逆に日本と大きく異なる点をあえて一つ取り上げるとしたら、「性教育」について。今日本でも小学生の時から段階を追って、男女同じ教室で「性教育」の授業を受けることが一般的になってきたが、その内容はようやく「子どもが生まれてくること」についてである。しかしながら、イギリスにおいては、すでにその先を進んでいる。少なからず著者の息子はこの授業で「FGM(女性器切除)」について学んでいた。それはイギリスにはおいては移民が多く、夏休みにこっそり母国に我が子を連れて帰りそれが行われているという現実もあるため、予防の一環として授業に取り入れられているという側面があるようでもある。しかし、それをそれだけで終わりにせずに、そこから発展して「人権」とは「子どもの権利」とはということを学んでいる。しかし、それは決して美談では済まない。この知識が逆にこのような文化を持つ国の出身者たちをつい穿った目で見てしまう現実もイギリスにはある。それでも著者は「この国の教育はあえて波風を立ててでも少数の少女たちを保護することを選ぶ(p139)」と断言する。
 
本書はこのような内容を織り込みながらも親子の活き活きとした会話。そして息子の徐々に進化していく発言が何よりも魅力的である。決して順風満帆な子育てではないことも本書を手にすると一目瞭然であり、どこに住んでいようと子育ては紆余曲折であることが逆にホッとさせてくれる1冊となっている。

=====  文責  木村綾子


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