京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『きりのなかのはりねずみ』

2022年06月30日 | KIMURAの読書ノート


『きりのなかのはりねずみ』
ユーリー・ノルシュテイン セルゲイ・コズロフ 作
フランチェスカ・ヤルブーソヴァ 絵 こじまひろこ 訳
福音館書店 2000年

今回取り上げる絵本は、心温まるものでありながら余韻を大きく残す作品となっている。

日が沈み辺りが暗くなった頃、はりねずみは二人でお茶を飲みながら星をかぞえるためにこぐまの家に出かける。こぐまの大好きな野イチゴのはちみつ煮がお土産である。はりねずみはこぐまの家への道中にある水たまりや井戸に興味を持ちながら、こぐまの家に向かう。そしてその途中、目の前に霧が立ち上り、そこに白い馬が浮かんでくる。はりねずみはその白い馬に惹かれ、白い馬を追いかけるように霧の中に入っていく。しかし、白い馬を見つけることができないばかりか、はりねずみは霧の中を彷徨うことになり、足を滑らせ川に落ちてしまう。そこに川底から何かがやってきて、はりねずみを背中に乗せ、岸まで送ってくれる。そしてやっとはりねずみはこぐまの家に着き、二人で星を見るのである。

この作品を知ったのは、6月10日NHKで放送された『72時間』の番組でのことである。この番組は対象となる場所にカメラを72時間向けて、そこに来た人にインタビューをするという内容であり、この日カメラを設置したのは神田神保町にある絵本専門店であった。この本屋に足を向けた人がどのような絵本を購入したのか、また絵本に関する記憶などを語っていた。そして番組の最後にインタビューされたのは、この春大学を卒業したばかりの男性であった。インタビューに彼は、卒業したら本来ならロシア文学を学ぶために、ロシアに留学をすることになっていたと言う。しかし、それがウクライナ侵攻により出来なくなってしまい失意の日々を過ごしていた時に友人が紹介してくれたのがこの『きりのなかのはりねずみ』だったという。彼がこの作品を書店で手にしてページをめくっている姿も最初に映し出されていた。インタビューに対して彼は「温かい感じの絵本だ」と話した後に「誰も悪い人が出てこない」とも応えている。実際この作品を読んでみて分かったのだが、ここには多くの動物たちが登場する。しかし、はりねずみが目に見えているものは数少ない。しかし、はりねずみにハプニングが起こるたびにそっと誰かしらが手を貸していくのである。また、冒頭からはりねずみの後ろを追いかけながら、はりねずみがやることを真似していくみみずくに対して、はりねずみはその言動に対して全く干渉しない。相手に対して干渉しないけど、いざという時にはそっと手を貸していく姿勢がこの作品では始終貫かれているのである。

ロシアに行くことのできなかった男性に対してこの作品を薦めた友人はまさにこの作品の真髄を体現していたわけである。しかしそれ以上にこの作品の作者はもちろんのこと、ロシアの人の多くの本心はここにあるのではないかと感じた。なぜなら、この作品は刊行以来、ずっとロシア国内で読み継がれている作品だからである。本当は他国のこと干渉するべきではない。しかし、何かあったらそっと手を差し伸べてあげたい。それが出来なくなっている今、ロシアの人のことを思うとただただ切なく感じた。

=========文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『そして陰謀が教授を潰した』

2022年06月16日 | KIMURAの読書ノート

『そして陰謀が教授を潰した』
早瀬圭一 著 小学館 2022年1月

昭和48年(1973年)㋂、青山学院大学教授が学生に乱暴したとして、強制猥褻・強姦致傷の容疑で逮捕され、懲役3年の実刑を受けるという事件があった。加害者となった法学部春木教授は刑を受けたものの、その後亡くなるまで「冤罪」を訴えた。著者は事件当時社会部の記者であり、この事件に関して取材をしていたが、当初からきな臭いもの感じていた。そのため刑が確定し、春木教授が収監された後もこの事件を地道に追いかけることになる。その年月45年。そして、著者なりの「真実」を見つけることになる。

この事件のことは本書を手にするまで全く知らなかった。しかもなぜ著者が45年も真実を見つけるために事件を追いかけなければならなかったのか。本書で事件のあらましを知っただけでもそれについては納得することができた。と言うのも、当時の供述調書などが本書には掲載されているが、この事件を全く知らない私ですら、被害者の言動がかなり矛盾だらけであるということが分かるのである。ただ、加害者側は「合意」の上であったと思っていたこと、お互いに好意を持っていたと感じていたこともあり、当初は事件にさせず、被害者側が提示する「金銭の支払い」と「大学辞任」を受け入れる形で和解することとなっていた。その回答の日の午前中になり、突然被害者側から交渉の打ち切りの通告があり、告訴されてしまったのである。ここから著者、そして関係者の長い旅が始まることになる。

実はこの事件を追いかけたのは著者だけでなく、他にも幾人かの記者が、多くの矛盾点をはらむこの事件に関して疑問を抱き、それぞれが地道に資料を集め、「真相」を探していたことが本書に記されている。しかし、その着地点が見つからぬまま時間だけが経過していき、多くの関係者は鬼籍に入っていく。著者はそれらの莫大な資料と思いを受け継ぐ形で「真実」をもとめて資料と格闘するのである。

45年の歳月を経て出した結論は一読者として言うなれば「納得できない」ものであった。なぜなら、なぜ春木教授は本書に書かれているような逮捕をされたのか、長期間における勾留、裁判の展開、何よりもこの程度(とあえて書くが)の事件で執行猶予が付かなかったのか、そこについての結論が全く出ていないのである。読後は落胆と後味の悪さだけが残るものになってしまった。この事件は教授と学生の思惑だけでなく、学生の両親や両者の周囲の人たちの思惑も入り混じったものであり、実は複雑な人間関係がより事件を奇怪なものにしていることは否めない。しかし、そことは別の客観性を本来持たななければならない司法があまりにも被害者に肩入れしているという点の気持ち悪さ。あえて、どこの事件とは言わないが、今問題となっている当時の政府のトップが絡んだ事件のあれこれと同じ臭いを感じてしまう。結局45年もかけて事件を追いかけてもその部分を暴くことはできないのか、いや触れてはいけないのか。触れたけど、書けないのか。だとしたら、今の事件も今後起こるであろう多くの事件においても同じことが起きる可能性しかないような気がする。「司法」とは何なのか。そう思えば被害者となっている人物も良いように使われただけだったのかもしれない。今はただただ春木教授のご冥福を心から祈るばかりである。

     文責 木村綾子

 


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