京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート 『少年たちの戦場』

2021年08月17日 | KIMURAの読書ノート


『少年たちの戦場』
那須正幹 作 はたこうしろう 絵 新日本出版社 2016年5月20日
 
7月22日、本作品の作者那須正幹さんが79歳で亡くなった。私が小学生の時に彼が上梓し、以来50シリーズとなる『ズッコケ三人組』(ポプラ社)は全巻読破し、更に近年出版された「中年三人組」、「熟年三人組」に至るまで長い間心の糧としてお世話になった。また、作者は広島市出身であり、自身も被爆しており、作品では数多く戦争や原爆に関する物語も紡いでいる。今回はその中の一つを哀悼の意を込め取り上げる。
 
この作品は全4話から成り立つ。第1話、2話は戊辰戦争が舞台で、第1話は政府軍のとして従軍した少年、第2話は政府軍に対抗する二本松藩の少年が主人公となっている。第3話は第2次世界大戦中の満州に満蒙開拓青少年義勇軍として渡った少年を、第4話では同じく第2次世界大戦で唯一地上戦が行われた沖縄での少年を主人公としている。
 
この作品での注目点は第1話と第2話ではないだろうか。日本で「戦争」と言えば「第2次世界大戦」を思い浮かべる人がほとんどであると思うが、実際は昔から「戦(いくさ)」と言われた内戦が多く起こっている。そこでも現実には多くの子ども達が兵士として駆り出され、命を失っていることを直球で伝えている。それは時代劇や大河ドラマで観るような勇ましいものでもかっこいいものでもない。大人が子どもを敵であれば容赦なく武器を向け、命を奪うという行為を少年の目を通して描かれており、読んでいるだけではっと息が止まるほどである。ここで主人公になっている少年たちは最後大人の手により絶命している。
 
これを踏まえた上で第3話、第4話を読み進めていくと、最初の2話がこの作品全体の布石になっていることが分かる。なぜ作者はあえて、国内の戦を舞台として取り上げたのか。「戦争」と言えば、敵国との戦いというイメージがあるが、本当の敵とは誰なのか、どこなのか、少なからず子どもにとっての当時の敵は決して民族や人種が異なる人たちではないことを思い知らされる。本来なら子どもを守るべき、同じ国民の大人が「戦争」では簡単に自国の子ども達を裏切り、場合によっては敵とみなして追い詰めていく。その様子がこの作品ではありありと描かれているのである。
 

あとがきに作者は「戦争は大人たちがやるもので、子どもは常に被害者となります。爆弾の下を逃げ回ったり原爆で肉親を失ったり、疎開先でひもじい思いをします。しかし、過去の戦争を見ると、子どもたち自身が先頭に加わった例が結構あります。子どもが大人に交じって武器を持ち、敵と戦うのです。今回はそうした戦場に赴いた少年たちの物語を書いてみました(p211)。」。本書は児童書としてカテゴライズされているため、あとがきも子どもたちに向けてやんわりと書かれている。しかし、作品そのものも時代背景が分からないと読み込めない内容となっており、決して子どもたちに向けて描いた作品でないことが分かる。そして、作者が本当に伝えたかったこと、あとがきで子どもたちに直接伝えられなかったこと。恐らく「戦争は大人たちさえ、自国の子どもを守ってくれなくなる。それだけ人の心を豹変させるものである」ということではなかったのではないだろうか。そして時代背景が分かった大人になった時、再読して気づいて欲しいという期待を込めてこの作品を発表したのではないだろうか。本当の敵は自国にいると。そこまで計算してこの作品を発表したであろうと思われる作者に思いを重ねずにはいられない。そして、今年76回目の広島・長崎の原爆の日、終戦の日を迎え、彼らの世代からの思いバトンをどうつないでいくのか、私たち世代の大きな宿題の重みをひしひしと感じるのである。  
            文責 木村綾子


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KIMURA の読書ノート『臨床の砦』

2021年08月02日 | KIMURAの読書ノート

『臨床の砦』

夏川草介 作 小学館 2021年4月
 
地域で唯一感染症指定機関である信濃山病院での2021年1月3日から1か月の出来事をここでコロナ診療に従事する敷島の目を通して描かれた物語である。
 
と言っても完全なるフィクションではない。作者自身、現在長野県で地域医療に従事する現役内科医である。勤務先は感染症指定医療機関としてコロナ患者を受け入れ、作者自身現場の最前線に立っており、その経験を物語にしている。帯の言葉を借りれば「ドキュメント小説」である。
 
この作品で描かれた時期は国内で「第3波」と言われていた時期であり、都市部では非常事態宣言が発令された時期と重なる。ニュースでは東京都をはじめとする都市部でのウイルスの感染状況について報道されることはあったが、地方のことはなかなか知ることはない。しかし、この作品から地方であっても第3波の影響は大きく、医療崩壊をしていることが明らかとなる。その中で苦悩や葛藤をしながらも患者や自身の家族、同じ現場の同僚たちと向き合いながら日々格闘していく姿には物語であろうとただただ感服するばかりである。
 
作品の中では多くの医療人たちの叫びが投影されている。それのみをここに引用していくだけで、現場の臨場感と作者の思いが伝わるのではないだろうか。
 
・去年の感染一波、二波のときに、うまくいきすぎたんだよ。~略~ その成功体験が残念ながら裏目に出ているんだと思う。あの時とは比較にならない大きな波の気配があるのに、役所の対応は鈍重で、周辺の医療機関も無警戒。一般人の態度も明らかに緩んで見える(p19)


・この間なんか、新規感染者は若い元気な世代ばかりだから、医療にはすぐには影響が出ない。まずは冷静に対応を、なんて言ってる専門家がいましたが、一度頭のCTでも撮った方がいいんじゃないかと思いますよ(p30)


・僕たちは、毎日命を危険にさらしながら働いているんですよ。でもその分を保証しろなんて言いません。だいたい世の中のほとんどの人たちは、なんにも言わずに黙って耐えてるんです。テレビだけがバカみたいに、国中の人が経済を心配して不安と不満を抱えているみたいな報道してるんじゃないですか。お金の話も大事でしょうが、死んだらどうにもならないんですよ(p32)


・かつてない敵の大部隊が目の前まで迫っているのに、抜本的な戦略改変もせず、孤立した最前線はすでに潰走寸前であるのに、中央は実行力のないスローガンを叫ぶばかりで具体案は何も出せない。国家が戦争に負けるときというのは、だいたいそういう状況だと言います。感染症の話ではなく、世界史の教科書の話ですけど(p48)


・もっと多くの病院が患者を受け入れるべきだとは思っているけど、病院にはそれぞれの事情がある。無差別に受け入れを要請し、拒否したら制裁を加えるというのは、けって感染を拡大させることになりかねない。これだけ多くの人が亡くなっているのに、国のトップはまだコロナの怖さや難しさを理解していないみたいだ(p77)


・今回なんとか持ちこたえたのは、個人の必死の努力と熱意が集まって、偶然、幸運な結果を生んでくれたからに過ぎません。次に来る第四波には通用しないと思います。コロナ診療における最大の敵は、もはやウイルスではないのかもしれません。敢えて厳しい言い方をすれば、行政や周辺医療機関の、無知と無関心でしょう。今回乗り切ったからといって、このまま当院と筑摩野中央医療センターだけでなで戦い続けるのは危険です(p200)
 
図らずとも現在第5波に突入してしまった。第3波の時ですらこのような医療現場であったというのに、それ以上の感染者数を出している今、現場はどうなっているのか。それを簡単に想像させてくれる作品である。
 
そして、何よりも現在過酷な医療現場に立ちながら、作者を含めて作家活動をしている人たちが身を削ってこのような作品を上梓している。本書はそのひとつに過ぎないが、それは何を意味するのか。今は医療に集中できる環境を整えて欲しいと切に願う。

=======文責  木村綾子



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