『少年たちの戦場』
那須正幹 作 はたこうしろう 絵 新日本出版社 2016年5月20日
7月22日、本作品の作者那須正幹さんが79歳で亡くなった。私が小学生の時に彼が上梓し、以来50シリーズとなる『ズッコケ三人組』(ポプラ社)は全巻読破し、更に近年出版された「中年三人組」、「熟年三人組」に至るまで長い間心の糧としてお世話になった。また、作者は広島市出身であり、自身も被爆しており、作品では数多く戦争や原爆に関する物語も紡いでいる。今回はその中の一つを哀悼の意を込め取り上げる。
この作品は全4話から成り立つ。第1話、2話は戊辰戦争が舞台で、第1話は政府軍のとして従軍した少年、第2話は政府軍に対抗する二本松藩の少年が主人公となっている。第3話は第2次世界大戦中の満州に満蒙開拓青少年義勇軍として渡った少年を、第4話では同じく第2次世界大戦で唯一地上戦が行われた沖縄での少年を主人公としている。
この作品での注目点は第1話と第2話ではないだろうか。日本で「戦争」と言えば「第2次世界大戦」を思い浮かべる人がほとんどであると思うが、実際は昔から「戦(いくさ)」と言われた内戦が多く起こっている。そこでも現実には多くの子ども達が兵士として駆り出され、命を失っていることを直球で伝えている。それは時代劇や大河ドラマで観るような勇ましいものでもかっこいいものでもない。大人が子どもを敵であれば容赦なく武器を向け、命を奪うという行為を少年の目を通して描かれており、読んでいるだけではっと息が止まるほどである。ここで主人公になっている少年たちは最後大人の手により絶命している。
これを踏まえた上で第3話、第4話を読み進めていくと、最初の2話がこの作品全体の布石になっていることが分かる。なぜ作者はあえて、国内の戦を舞台として取り上げたのか。「戦争」と言えば、敵国との戦いというイメージがあるが、本当の敵とは誰なのか、どこなのか、少なからず子どもにとっての当時の敵は決して民族や人種が異なる人たちではないことを思い知らされる。本来なら子どもを守るべき、同じ国民の大人が「戦争」では簡単に自国の子ども達を裏切り、場合によっては敵とみなして追い詰めていく。その様子がこの作品ではありありと描かれているのである。
あとがきに作者は「戦争は大人たちがやるもので、子どもは常に被害者となります。爆弾の下を逃げ回ったり原爆で肉親を失ったり、疎開先でひもじい思いをします。しかし、過去の戦争を見ると、子どもたち自身が先頭に加わった例が結構あります。子どもが大人に交じって武器を持ち、敵と戦うのです。今回はそうした戦場に赴いた少年たちの物語を書いてみました(p211)。」。本書は児童書としてカテゴライズされているため、あとがきも子どもたちに向けてやんわりと書かれている。しかし、作品そのものも時代背景が分からないと読み込めない内容となっており、決して子どもたちに向けて描いた作品でないことが分かる。そして、作者が本当に伝えたかったこと、あとがきで子どもたちに直接伝えられなかったこと。恐らく「戦争は大人たちさえ、自国の子どもを守ってくれなくなる。それだけ人の心を豹変させるものである」ということではなかったのではないだろうか。そして時代背景が分かった大人になった時、再読して気づいて欲しいという期待を込めてこの作品を発表したのではないだろうか。本当の敵は自国にいると。そこまで計算してこの作品を発表したであろうと思われる作者に思いを重ねずにはいられない。そして、今年76回目の広島・長崎の原爆の日、終戦の日を迎え、彼らの世代からの思いバトンをどうつないでいくのか、私たち世代の大きな宿題の重みをひしひしと感じるのである。
文責 木村綾子