京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『災害にあったペットを救え』

2024年03月18日 | KIMURAの読書ノート

『災害にあったペットを救え』
高橋うらら 著 小峰書店 2019年

今年のお正月に能登半島で巨大な地震が起こったことは誰もが知っていることである。そして、地震が起こった直後すぐに派遣されたのがDMATである。DMATは「災害派遣医療チーム」のことであり、被災した人達の生命を守るために被災地に駆けつけ救急治療を行う団体である。この団体に関しては多くのメディアで報道されていたので、知っている人は多いと思われる。しかし、このチームだけでなく、DHEAT(災害時健康危機管理支援チーム)、JRAT(大規模災害リハビリテーション支援関連団体協議会)など、表で報道はされていないが、多くの専門支援団体が直後から現地に入って活動を行っており、そしてそれは震災から3ヶ月近くたった今も継続している。これら専門団体は、1995(平成7)年に起こった阪神淡路大震災や2011(平成23)年の東日本大震災の反省を踏まえた上で、国や行政などが組織的に創設したものである。と、ここまでは人間に対する専門支援に関することである。

翻って今や「家族」として認知されつつある犬や猫はどうなっているのだろうか。実は東日本大震災をきっかけに動物たちを救助・保護する団体が各自治体の獣医師単位で結成されていた。それがVMAT(災害派遣獣医療チーム)。そして、本書はこの医療チームが立ち上がるまでの軌跡を綴ったものである。

VMATが創設された時、あちこちから「VMATの理想としてはすばらしいけれど、災害が起きたときは人命優先にあるから、実際にうまく活動するのはむずかしいんじゃないか(p146)」という声があちこちから聞こえたようである。確かに人命が優先されるのは当たり前なのであるが、例えば、DMATはあくまでも人への治療が目的で支援に入るが、倒壊した家屋から治療しなければならない人を救助するのはDMATではなく、消防隊や自衛隊の人たちである。なぜなら、それが彼らの専門だからである。先に挙げたDHEATもすぐに現場に向かうがそれは避難所などの衛生を保つためであったり、薬がない人たちの対応をするためである。そして、JRATは避難所で日常の生活ができず体を動かすことが困難な状況に置かれた被災者がそれに伴い死亡(災害関連死)するのを予防するために支援する。全ての専門団体が治療をする訳ではなく、それぞれの専門性のある分野で支援していくわけである。そうなると、獣医師が被災現場に入った場合、もちろん人間を診察できるわけではないので、動物を支援していくというのは理にかなったことなのである。逆に現場にいる医師や保健師、理学療法士の人が目の前にけがをした動物たちがいても、治療できる術をもっていない。また、動物を支援していく理由は他にもある。本書でこのように記されている。「動物の死体が山積みになり、のら犬やのらネコがふえ、伝染病がはやり、状況はますますひどくなり、すべての復興が終わるまでに、よけい時間がかかってしまうのです(p147)」そして、続いて「ペットを助けることは、飼い主を助けることにつながります。人間を救うのは人間をみる医師ですが、獣医師は、動物をみることで、飼い主の精神的ショックをやわらげることができます。緊急時には人命優先が当然とはいえ、今後VMATが全国で組織され、出動するしくみが整えられれば、きっと多くの飼い主が救われるにちがいありません(p148)」

本書は2019年に刊行されたもので、東日本大震災後に起こった熊本地震での支援活動については記述されている。今回の能登半島地震での活動については、その報告を待つばかりである。そして、VMATではないが、今回の地震では多くの動物保護団体が被災地に入り、迷子になった犬や猫の捜索にあたっている。そして震災から1ヶ月以上経ってからも、無事に救出した嬉しい報告がSNS上に流れてきている。また、環境省も早々に動物対策本部を立上げ、 各市町の避難所において、置き去りにされたペットの存在等の課題を把握するようにしていた。

先月の読書ノート『福田村事件』で私自身「被災者の行動様式の変容には大きな進化があることをこうして対比するものがあるからこそ気付くことがある」と書いたが、支援する側も間違いなく大きな進化が見てとれる。しかし、まだ復興には長い時間がかかると思われる。少しでも被災者とその家族としての犬や猫が安心して生活できるように祈るばかりである。
=======  文責 木村綾子


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KIMURA の読書ノート『ざんねんな万葉集』

2024年03月02日 | KIMURAの読書ノート

『ざんねんな万葉集』
岡本梨奈 著 飛鳥新社 2019年

何匹目のドジョウを狙う気なのかとお𠮟りを受けることは、簡単に想像ができましたが、やはりあまりにも可笑しくて、しかし、人間味有りすぎて、ここに紹介しなければもったいないと思ってしまいました。かつてのドジョウの言葉を借りれば、今回は『万葉集』の「超現代語訳」。しかも、本書はこれまでとは異なり、教科書では「絶対」と言い切っていい程、登場することはない歌ばかりが掲載されています。本書で出逢わなければ、どこで出逢うのと言っていい程のものばかりです。これを上梓した著者は冒頭でこのように説明しています。「万葉集は日本最古の和歌集で歌の収録数は日本最多の4516首!もはや、集めすぎたと言っても過言ではありません。ですから微妙な歌もたくさんあって、カスな奴らが、身勝手なイタい歌を詠んでいたりするのです(p5)」

そして、いちばん最初に登場する歌が作者未詳のこちらとなります。
「愛しと 我が思ふ妹は はやも死なぬか 生けりとも 我に寄るべしと 人の言うはなくに(うるはしと あがおもふいもは はやもしなぬか いけりとも あれによるべしと ひとのいはなくに)」
これの一般的な現代語訳は次のようになります。
「美しいと 私が思う愛しいあの娘は 早く死なないかなぁ 生きているとしても 『私になびくだろう』と 誰も言ってくれないので」
現代語訳ですら、すでに不穏な空気が流れてきており、と言うか、超現代語訳は必要ないと言っていい程十分に詠み人の意図は伝わります。そして、そこに風情も優雅さもありません。それでも、とりあえず超現代語訳ではどうなるのか。
「付き合ってくれないなら死ね」

「春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ」
こちらは万葉集を編纂した人の1人とされている大伴家持の歌で、私が中学生の時の教科書に掲載されていた歌でもあります。私が記憶する限り、桃の花の可愛さを描写することにより、その下に立っている少女の可愛さが更に強調され、雅な歌の1つとして学びました。しかし、本書によると、彼は当時かなり女性からもてていたようで、この万葉集に女性からもらったラブレター、つまり家持宛の歌を数多く載せたそうです。それだけならまだしも、それらに対して自ら以下のような歌を詠んで、しかも自身でちゃっかり掲載させたというのです。
「なかなかに 黙もあらましを なにすとか 相見そめけむ 遂げざらまくに」
(現代語訳:いっそ黙っていればよかったなぁ。どういう理由で逢いはじめたのだろうか。最後まで愛しぬくなんてできないであろうに。超現代語訳:口説いた女がめんどくさい)
更に家持は自身が編者であることを良いことに、この万葉集に自らの歌を479首載せているそうです。つまり、1割以上が家持の歌。

更に付け加えておきますと、同じく編者である山上憶良に関してもかなり目の当てられない歌を詠んでいます。教科書では貧窮問答歌を詠んだ、弱い者に対して目を向ける社会派的な人として教えられたはずなのですが、「超現代語訳:一万円あげるからこの子を天国へ」。もう、学校で学んだことは木端微塵。本来の和歌ではどのように詠んでいるのかは是非本書を手にしてみて下さい。超現代語訳が突拍子ではないことが一目(一読)瞭然です。

本書はここ最近の古典ブームに乗っかって刊行されたのかと思っていたのですが、6年前に元号が「令和」に変わった時、その出典が万葉集からということで、より身近に感じるようにとその時に刊行したようです。令和になって以降の「超訳」としては先駆的な本でもありました。それにしても、「万葉集」という和歌集は編纂することにより、ずっと読み継がれるであろうということは編者たちには分かっていたはず。それでも自らの危ない歌を掲載してしまう辺り、よほどナルシストだったのだろうかと想像してしまいました。ただ、これらが残ることで現代も1300年前も人間臭さというのは何も変わらないということをここでも教えてもらうのでした。

=======文責 木村綾子


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