京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート 『分水嶺 ドキュメントコロナ対策専門家会議』

2021年07月15日 | KIMURAの読書ノート

 


河合香織 著 岩波書店 2021年4月6日
 
新型コロナウイルスが世界中を駆け巡って早1年半余り。当初はこのウイルスが何者なのか全く分からず右往左往状態であったが、感染症の専門家の方々の尽力のお陰でウイルスの正体が徐々に明らかになり、かつウイルスへのワクチンも出回るようになり、パンデミック当初よりは少し見通しが立ってきたように感じる。それでも日々変異を繰り返すこのウイルスに対して気の抜けない日々が続いている。本書は日本国内に感染が始まった当初に立ち上げられた「専門家会議」の発足から廃止までの5か月間を追いかけたノンフィクションであると共に貴重な記録である。
 
今回のオリンピック開催についてもそうであるが、発足当時から政府と専門家でこのウイルスに対してや、それに関わる国民の生活に関しての温度差が顕著にみられることが分かる。とにかく必死でウイルスの正体を解き明かして、国民の命を守ろうとする専門家。それに対して、専門家の意見の一つ一つが「出し抜かれた」とだけ感じて、我が身の方がリーダーシップを取っているということをアピールしたい政府。最初からこのような状況であるのだから、日本がこのウイルスに対して後手に回るのは致し方ないと政府に対する諦め感だけが読後に残った。もちろん、専門家と政府の間に入り何とか専門家の意見を政府に取り込もうとする大臣がいたことも事実である。専門家会議の副座長・尾身氏よると、彼は合理的なことを提案すれば理解を示し、ほとんどの場合専門家会議の意見を採用してくれ大きな抵抗というものはなかったと言う。しかし、彼が政府にそれらの意見を伝えると、どれだけ交渉しても『政府の意向が固い』時は、彼からの助言も政府は受け入れられなかったようである。そしてこのような状況であっても、政府は「専門家の意見を伺って」と国民に発信し、責任は全て専門家にあるように仕向けていた。実は専門家の意見を受け入れていたというのが、先日飲食店に関して要請(時短や休業など)を受け入れなかった所には金融機関から働きかけをしてもらう方針と発言した西村経済担当大臣である。彼の発言は脅しであり、そのような介入はあってはならないと思うものの、本書を読むと(彼のことを擁護するわけではないが)少なくとも他の政治家よりは今の状況に危機感を抱き何とかしたいと切羽詰まっての発言だったのではないかと見方が少し変わっている。
 
もちろん、専門家たちも自分自身がやっていることが全て正しかったとは思っていない。前のめりになりすぎていたのではないかと、反省の弁も多い。また、政府に固い意志があったとしても、それを押し切らなければならなかったのではないか、そうすることでもしかしたら今の状況が変わっていたかもしれないと後悔さえしている。しかし、この専門家会議が発足当初、いや、新型コロナウイルスが日本にやってきて以来、政府が専門家をはじめ国民が見ているその後の日本の光景とあまりにも違いすぎるという点で彼らの反省や後悔も政府には届かないと思われる。それを象徴するとある専門家委員の発言がある。「安部首相の自民党総裁の任期との関係で、官邸チームの分裂、各省の責任回避のなか、責任の押し付け合いがおこりうるため、これに巻き込まれないことが重要です。常に専門家に責任を押し付け、丸投げしようという傾向は避けられない(p180)」これは首相が変わった今も何も変わっていないのではないだろうか。
 

この5か月の間に警護を付けたり、訴訟を起こされたり、入院までしなくてはならなくなった委員がいることも本書で知ることとなる。なぜ彼らがこのような状況に追い込まれなくてはならないのか。それでも国民のために前を向き続け、今は「新型コロナウイルス感染症対策分科会」でウイルスと向き合う専門家たちに尊敬と信頼を抱かないわけにはいかない。
======  文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『たかが殺人じゃないか』

2021年07月02日 | KIMURAの読書ノート


『たかが殺人じゃないか』
辻真先 作 東京創元社 2020年
 
昭和24年、新制高校の3年で推理研究会の風早勝利は、顧問の提案により映画研究会と共に「修学旅行」に行くことになる。そこで遭遇したのが密室殺人事件。事件は未解決のまま、勝利たちは現場を後にすることになる。そして、夏休み最後の夜、勝利たちは再び殺人事件に遭遇する。二つの事件はあくまでも別々のように思われたが…。
 
この作品は昨年、ミステリー界をかなり騒がせた作品である。その理由の一つが、
・第1位『このミステリーがすごい! 2021年版』国内編
・第1位〈週刊文春〉2020ミステリーベスト10 国内部門
・第1位〈ハヤカワ・ミステリマガジン〉ミステリが読みたい! 国内篇
と三冠を獲得したことによるのだが、もう一つの理由が、作者が御年88歳と最高齢だったということにある。作者、辻真先氏は推理作家としても巨匠であるが、アニメの脚本家としても大御所である。私自身、辻真先作品に出合ったのは中学生の時で、その作品の登場人物が同じ中学生だったということもかなり彼の作品には当時のめり込んで読んでいた。しかし、彼が脚本家でもあるということを知ったのは、その後のことであり、その事実を知った時、ミステリー作品よりも早くにアニメという媒体を通して彼の作品に接していたのかということに不思議な感覚を覚えた記憶がある。つまり、私が幼い頃には各種媒体で活躍をされていたことを考えると、御年88歳であっても何の不思議もないのであるが、本作品を読了した後、失礼ながら、88歳の方が描いた作品とは到底思えないほど、登場人物の高校生たちが活き活きと描かれており、とりわけ、彼らの会話は軽快闊達でああ言えばこう言うとリズム感よく、そこに大人のもどかしさを感じない、あくまでも10代の若者たちの会話がひしめいているのである。舞台が昭和24年と作者がその時を過ごした時期と重なっているということもあるのかもしれないが、それだけでは説明できないような今どき感がある。また、会話の中には当時の時代背景も詳細に盛り込まれており、文字を追いかけるだけで戦後間もない景色が脳裏にしっかりと浮かんでくるだけでなく、舞台が75年前という距離を感じさせない、今のすぐ側で起きている出来事のようにも感じる。そう、言い方が悪いかもしれないが、戦争の臭いさえ感じさせない爽快感があるのである。なるほど、世間が騒いでいた理由が腑に落ちたという訳である。
 

しかしである。タイトルの「たかが殺人じゃないか」という台詞が、とある登場人物から発せられることで、これまでの爽やかさが一変する。作者はまさにこれが言いたかったのかと愕然とさせられた。これまでも、作者と同じ世代の作家たちが自らの戦争体験を作品の中で描き、平和を訴え続けてきた。そう考えると、この作品は、ミステリー作品としての三冠とはまた違った意味合いが見えてくる。この作品もまたその世代からのバトンであり、作者からの強烈なメッセージであることをしみじみと感じたのである

      文責 木村綾子


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