京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURA の読書ノート ペットが死について知っていること

2022年01月15日 | KIMURAの読書ノート

 

『ペットが死について知っていること』

ジェフリー・M・マッソン 著 青樹玲 訳 草思社 202110

 

私事ですが、昨年10月に最愛の息子(猫・享年92か月)を亡くしました。とてもやんちゃなくせに、ヘタレで甘えん坊で彼が「猫」という種を超えて、私にとっては間違いなく我が家の長男でした。3年に渡る闘病生活を送り、私も介護の日々でしたが、息子と過ごした時間はとてもかけがえのないものでした。そのため、彼が旅立ったことが未だに信じられないというのが本当のところです。彼を失ってから、彼にしてあげたことは本当に正しかったのか、もっとしてあげられることがあったのではと今でも考えてしまいます。そのような中でたまたま新聞の書評欄で紹介されていたのが本書です。

 

著者は精神分析学を学び、1990年代から動物の感情的生態について研究しており、本書以外にも数々の動物の感情に関する著書を多く出しています。その著者が本書の冒頭で、とある動画を観て涙が止まらなかったと記しています。それは病に侵され何も受け付けなくただ横たわっていたチンパンジーが唯一心を許した研究員と再会した時、体を起こして彼にずっと撫でてもらうことで穏やか時を過ごしたという動画でした。このことから、「なぜ人は種の境界を超えた愛を見ると、泣きたくなるのか(p12)」という問いを投げかけてきます。そして、すぐにその解として「それは私たちが太古の昔から、異なる種とつながりたいと深く焦がれてきたからだろう(p12)」と綴っています。しかしながら、この研究に関しては意見が分かれるところで十分に探究されていません。それでも、著者は生き物を最も理解する時は死に際した時だとし、本書ではその事例を多く取り上げています。そして、その結果として著者は、動物は死を理解し、その際には、人から離れて死に向かうのか、家族の中で見つめられて最期を迎えるのか、そこまで考えていると言うのです。それでも著者は動物たちが最期を迎える時にいちばん大切なことは、家族がそばにいてあげることなのだと断言しています。

 

正直、本書を読んで自分自身の問いに対しては全く解決しませんでした。確かに息子は死を理解していたような気がします。私たち家族がそろっている時間を選び、娘の腕の中で最期を迎えました。そのタイミングは後にカレンダーを見返しても天晴としか言いようのないものでした。そういう意味では著者の断言通りです。しかし私が知りたいことはそこに至るまでの息子の気持ちであり、思いです。それまでに、もし息子がネガティブな感情をもってあきらめの「死」への理解だったとしたら、家族にとっては後悔しかありません。ただ、息子は人間の言葉を話すことができません。それを推し量っても何とか彼の気持ちに寄り添うことができていたのか、そうでなかったのか、そのヒントというのは残念ながら本書では見つかりませんでした。

 

しかし、新たな発見というのはありました。本書はもともとアメリカで発行されたものです。そのため事例はもちろんアメリカをはじめとした海外のものです。日本でのことは含まれていません。そうなると、動物たちの死の間際が日本の状況とは異なってきます。これらの多くが、ペットを安楽死させるタイミングについて語られているのです。日本でも末期がんで痛み止めが全く効かずに、のたうち回るだけのペットに対して家族が安楽死を選択するという話はしばし耳にしますが、あまり公にはされませんし、恐らくまだ少数派ではないでしょうか。しかし、ここでの事例ではそのタイミングに対して苦悩する家族の様子が多く記されているのです。死をどのように捉えるかというのはその国の文化や歴史に大きく反映されるので、どれが正解というものではないと思います。安楽死を選択するにしても、家族の葛藤は果てしなく大きいのは間違いないことですから。そのように、海外の「死」に対する動物福祉・医療について本書から知ることとなりました。その点で本書を手にしたことはよかったですし、何よりも息子がうちの子になってから学んだ動物福祉・医療。この本への出会いはそのタイミングからも、息子からの最後のギフトではなかったのかと思っています。

文責 木村綾子

 


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KIMURA の読書ノート『命知らずの湯』

2022年01月03日 | KIMURAの読書ノート


『命知らずの湯』
瀬戸圭祐 著 三才ブックス 2021年11月

あけましておめでとうございます。本年も変わらず読書三昧の日々で過ごしていきたいと思っています。昨年末知ったことなのですが、作家の登竜門の一つでもあります宝島社が主催の「このミステリーがすごい!」大賞が今年20周年ということで、歴代大賞全作品がそのサイトに掲載された訳ですが、本好きを自認する私、何と20作品中3作品しか読んでいないことが判明。中には受賞作品は未読でそれ以外の作品を読んでいるという作家のものはあるのですが、それはいかんのではないかとふと立ち止まり。そんな訳で本年は読書の目標として「このミス」大賞受賞作品をコンプリートするということを掲げてみました。はてはてどうなることやら(その幾つかは読書ノートに取り上げるかもしれません)。

さて、新年最初の読書。毎年この時期になると頭の中を駆け巡るのは「温泉」。とにかく温泉に浸かってまったりしたいと思うのですが、まだまだコロナ禍ですので、先行き不透明。となると、やはり温泉本を読んで少しでも心を満たすしかありません。というところにばったりと出会ってしまったのが本書。「温泉」は「温泉」でも「野湯」、しかも「秘湯」中の「秘湯」。どれだけ「秘湯」なのか、まさにタイトル通り、命をかけなければたどり着かない場所。「温泉」にたどり着く前に命を神さまに差し出してしまうこともあながち嘘ではありません。帯には「道なき道の先に沸く『誰も知らない』64湯 火傷、骨折、ガス中毒……。命をかけても浸かりたい野湯の魅力とは?」。

本書内の各温泉を記す主な構成は、(1)温泉の場所となる都道府県名と市区町村名(但し市区町村名は仮名)(2)おおよその所在地MAP(3)野湯までのアクセス難易度(4)登山道入り口などの起点から野湯までの往路歩行時間(5)野湯にたどり着くまでの行程や野湯の感想などの著者の説明書き(6)その写真 など。

どの温泉もまぁとにかく大変なこと。いや、本書はその大変さが売りなので分かってはいるのですが、実際にそのデータを見るとタメ息がでます。片道1時間の温泉なんて序の口です。栃木県にあるN温泉は片道に4.5時間かかります。もちろん、アクセス難易度も★5つ。しかし、40分で到達できるのに、アクセス難易度は★5つという野湯もあります。福島県の断崖横穴からの湯滝がそれ。著者によるとルートには何の手がかりもなく、とにかく山道からがけ崩れの跡を見つけて崖を下りられそうな場所を見つけて、数十m下り、そこから斜面を水平方向に移動。目の前は自分の背丈よりも高い藪ばかりで前方が見えないまま突き進むというのです。たかが40分と言えども確かにアクセス困難だと納得します。しかし、著者はやみくもにルートのないところを歩いているわけではありません。その先に野湯があるという確信があるため。なぜ初めての場所で「ある」と分かるのか。それは事前の入念な調査による場所の特定と文明の利器スマホの「GPS」のおかげ。著者が言うにはGPSは必須で、しかも数分おきにGPSの確認をし、それでもルートを見失ったら、確実にわかる地点まで戻ることが野湯アクセスをする上での鉄則と断言しています。

そこまでして野湯に浸かりたいのかと思う人もいるかもしれません。しかし、到達した野湯の写真を見てしまうと共感するのではないでしょうか。一般に私たちが入る「温泉」とは「色」が違うのです。これまで目にしたことのないような神秘的な色の温泉の多いこと。透明感のある薄い青であったり、翡翠色であったり、オレンジ色であったり、黄色だったり。目の前でこれを見てしまったら確かに魅了されます。また、野湯ですので、周囲は自然に囲まれています。これらの温泉の色が周囲の色と相まってなんともいえないコントラストを作り出しています。一般の「温泉」でも露天風呂は人気があるのですから、このような場所にはよりそそられるのは安易に想像ができます。

実は私、かつて「野湯」にチャレンジしたことがあります。ここまでハードなものではなく、到達徒歩時間15分ほどの場所だったのですが。偶然にこの崖の下に源泉となる野湯があることを聞き、当時小学生だった娘も巻き込んで家族3人、崖下りにチャレンジしたのです。無事に到達した源泉は熱くて入れるものではありませんでしたが、達成感は半端ではなかったのを本書を読みながら思い出しました。幻の湯への到達は簡単にはできませんし、素人は安易に手に出すものではないとも思っています(それでも、好奇心の沸いた人用に、プランニング方法や所持品なども指南しています)。なので、本書を手にして未知なる「温泉」をゆったりと味わって欲しいと思います。

=======文責 木村綾子


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