『かげふみ』
朽木祥 作 光村図書 2023年5月29日
今回も原爆に関する本を紹介する。作者は「読書ノート」に過去2回別の作品を紹介している朽木祥である。以前の読書ノートに記載したが、彼女は広島出身で被爆2世である。そのため多くの原爆に関する作品を生み出しているが、過去の2回については戦争をテーマにしているものの直接的に原爆を扱うものではなかった。今回の作品は舞台が広島でありまさにそれである。
関東地方に住んでいる小学5年の拓海は夏休みを利用して、母親の実家である祖母の家に遊びに来ていた(実際は妹のセツが水疱瘡に罹ったので、「強制隔離」というのが拓海の弁)。しかし連日の雨のため外に出ることが出来ず、少しうっぷんがたまっていた拓海に、祖母が家の近くにある児童館を紹介してくれる。この児童館は、戦前は学校で、昨年までは行政センターだったのだが、移転のため児童館になったという。この児童館には図書室があり、拓海はその奥のテーブルで本を読んでいる一人の三つ編みをした女の子を見かけるようになる。勇気を出してこの女の子に声をかけたところ、彼女は「もりわけすみえ」と言い、「影の話」が内容となっている本を探しているという。拓海は自分が知っているだけの「影の話」が書かれたものをすみえに紹介するのであるが、どれもすみえの思っているような本ではなかった。
この作品を読んで私の中で衝撃的だったのが、拓海の母親が被爆2世であるという設定。つまり、私と同世代か少しだけ上の世代であるということである。と言うことは、主役の拓海は被爆3世ということになる。いつの間にか原爆に関する物語において被爆3世が登場人物の設定として可能になったのである。そして、原爆のあの日から随分と歳月が流れてしまっていることに改めて感じ取り、何とも言えない焦燥感に襲われてしまった。しかし、この作品の中ではその3世となる世代の子ども達が原爆に関する様々な事象やメッセージを前の世代から、いや広島という都市からきちんと受け取り、それを身近なものとして至る所で描写されている。すみえの「影の話」はもとより、子ども達の遊び場、そして平和資料館。まだまだ風化するには早すぎる原爆をどのようにしてつないでいけばいいのか、作者のその思いが物語全体から表されていた。
本書には巻末に『たずねびと』という物語が付随されている。これは2020年から使用開始となった小学5年生の国語の教科書(光村図書)に書き下ろされたものである。それが今回本書に掲載されたのである。教科書用のため物語はとても短いものであるが、本編以上にインパクトの残る作品であった。
この作品は「さがしています」という駅に張り出されたポスターに自分と同姓同名の名前をみつけた少女の話である。このポスターは「原爆供養塔納骨名簿」であった。このことをきっかけに少女は当時の同姓同名の女の子に思いを馳せ、追悼平和祈念館に足を向けることになる。
普段でも自分と同姓同名の人に会ったり、何某かに記されているのを目にすると驚くと共に親近感が湧きだしてくる。しかし、それが「原爆供養塔納骨名簿」だったらどうなのだろうか。親近感が湧くかは分からないが、とても気になる存在となるのではないだろうか。気になることで少しでも当時の様子に思いを重ねることができるのなら、この名簿で自分と同じ名前を見つけ出すという行為は決して悪い行いではないと思った。ただ残念なことに「原爆供養塔納骨名簿」を広島以外で目にすることはあまりない。この時期だけでもいいので、全国各地の目につくところに大規模に張り出して欲しいとこの作品を読んで気付かされた。
=======文責 木村綾子
『丸木俊』
岡村幸宣 著 あかね書房 2023年3月
私の本棚には何十年もの間鎮座している作品『ひろしまのピカ』(小峰書店 1980年6月25日)がある。そして、時折ふと思っては手に取ってそれを読む。この作品はご存じの方も多いとは思うが広島の原爆を扱った作品である。画は激しく荒々しく作者の感情をそのままストレートに表わしており、それがより強烈に読み手にインパクトを与える。そして、今なおこの作品は世代を超えて読み継がれている。
本書はこの作品の作者である丸木俊の伝記である。「丸木俊」という名前はパートナーの丸木位里と共に私の中では聞きなれた名前であった。先にあげた作品が何よりも自分の本棚にあること。そして、私の出身である広島では頻繁に耳にする名前であったからである。しかし、本書を書店の本棚で見た時、名前と作品は知っているもののその生い立ちについては丸っきり知らないということに気が付いた。遅ればせながらであったが、本書を手にして彼女の人となりを知ることとなった。
当たり前のように耳にしていた名前なのと、強烈なインパクトを残す原爆を題材とした作品を発表しているため、てっきり広島出身なのだと思い込んでいた。が、それはパートナーの位里の方で、彼女自身は北海道出身であった。また、二人の出会いは戦前の話であり、その時にはまだ原爆とはほど遠いところに二人はいた。それどころか、位里と出会う前は単身でモスクワに行ったり、パラオに行ったりと当時の女性としてはかなり先進的な考えを持ち、かつ行動派であった。そして位里と結婚した4年後、広島に原爆が落とされる。
俊が原爆を題材とした作品を発表するようになったのは、戦後民主主義になったと言われながらも雑誌や新聞に原爆に関する記事が掲載されていないことを不思議に思ったことからである。これは「自由」ではないのではないか。「広島や長崎で起こったことをなかったことにしてはいけない。それに、何があったかをくりかえし思いだすことは、これからはじまろうとしている戦争を防ぐ力になる。芸術は、そんな役割をはたせるのではないか(p72)」。これが原動力となっている。こうして位里と共に次々と作品を発表。そして、我が家に鎮座している『ひろしまのピカ』もその1つなのである。
二人の作品の中でも「原爆の図」は世界各国で展示され大きな反響を呼んだという。そしてこの巡回展で広島・長崎で何が起こったのかを知った海外の人も多くいたようである。今でこそ、多くの外国の人たちが平和祈念資料館に足を運び、原爆のことを能動的に学んでくれている姿を目にするようになったが、当時は二人の作品が広島や長崎での出来事を伝える先駆けであったことが分かる。もし、この作品が世界を駆け巡っていなければ、現在のように多くの海外の人が足を運んでくれたのであろうか。考えすぎなのかもしれないが、それでも今に至る大きな布石になったことは間違いないと思っている。また彼女が若かりし頃から海外とつながっていたということも、作品が海外を巡ることとなる一助になっていたとも考えている。位里と出会うまでの彼女の歩みがこうして今も読み継がれる「原爆」の作品となることに不思議な縁を感じる。本書の読みどころはまさにそこではないかと思っている。……そして、78回目の夏を迎える。
文責 木村綾子