京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『1秒先の彼』

2023年07月17日 | KIMURAの読書ノート


『1秒先の彼』
山下敦弘 監督
チェン・ユーシュン『1秒先の彼女』 原作 宮藤官九郎 脚本
岡田将生 清原香耶 出演 2023年7月7日 公開
 
予備知識なしの「清原香耶ちゃん推し」という理由だけで鑑賞した本作品。正直、タイトルだけを見ているとただの「ラブスト―リ-」というイメージしか出てこない。それでも、脚本が「クドカン」こと「宮藤官九郎」なだけに、そこそこ面白いかもというほのかな期待は無きにしも非ず。しかし、遥かにそれを超える圧巻の作品だった。

鑑賞後にこの作品のことをリサーチして分かったことは、もともと台湾のユー・チェン監督が20年温めていた脚本で満を持して作品として作り上げ、第57回台湾アカデミー賞で、最多5冠(作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、視覚効果賞)を受賞している。その作品を今回山下監督は男女反転させたリメーク版として手掛けたものであった。

高校卒業後郵便局に勤務し、30歳になるハジメ。彼は何をするのもせっかちで運動会では必ずフライング、卒業アルバムは目をつぶって写っているだけでなく、郵便配達では幾度となくスピード違反で捕まり、そのため現在は窓口業務となっている。またレイカは何をするのにもスローテンポで運動会ではみんながスタートした後で走り出し、現在はそのために留年を繰り返し現在大学7年生の25歳。物語はハジメが交番に紛失届の紛失物を「昨日」と書いたところから始まる。失われた「1日」がどのようなものであったのか、二人の視点から描かれている。

「二人の視点」というのがかなり明確な作品で前半はほぼハジメしか出てこない。逆に後半はレイカを中心として物語が進行していくという、ある意味とても分かりやすい作品である。しかし、これを俯瞰的に見てみると、いや、そのように見ようとしなくても知らずに俯瞰的に見せられる映像であり、それだけで作品の力を見せつけられるのである。そして、それだけでなく何と言っても俳優陣全てが試されている作品である。しかもそれは「表現する」ということにとどまらず、「技術的」に試されている。更にそれはスタッフ陣も同様で、明らかにはっきりと「技術力」を試されているのである。それを「ラブストーリー」で行われているのであるから、かなり挑戦的な作品である。だからこそ鑑賞後は、その作品の圧に仰け反るだけである。ただただブラボーとしか言いようがない。

また、これはある意味「ファンタジー」要素が大きいのであるが、舞台(ロケ地)を「京都」にすることで違和感を持たせないようにしている。京都なら「ありだよね」と見ているものを納得させる説得力をもってきている。それはかつて上映された『鴨川ホルモー』に通じるところでもある(2009年読書ノート)。些細な発言や動き、人間関係を京都(しかも、京都市内だけでなく、北部も含めて丸ごと京都)という鍋に入れて料理している辺り、かなり心得ている印象である。

「ラブストーリー」でありながら、全く「ラブストーリー」を感じさせないこの攻めた作品を是非鑑賞してもらいたい。因みに私が鑑賞した回は8割の客席が埋まっており、そのうち4割が私よりも年配の方であったことに驚いた(あくまでも私の個人的計測)。これは清原香耶ちゃんの「朝ドラ」浸透の影響なのか、それとも「クドカン」人気なのか、それは分からない……。

     文責 木村綾子


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KIMURAの読書ノート『コロナ漂流録』

2023年07月02日 | KIMURAの読書ノート

『コロナ漂流録』

海堂 尊 作 宝島社 2023年5月

2020年11月、2021年9月の読書ノートで紹介した「コロナ」シリーズ。いよいよ今回で完結である。作者はこのコロナについて国が何を行ったかということを記録しなければならない使命感のためにこれを書いたと、第1作目にインタビューで応えていることから、私もそれを受けてこれを最後まで取り上げることにした。

これまでの1、2作に関してはコロナに対して医療現場がどのような動きをしていたか、それに付随して政府はどのように対応してきたかということが物語の中で展開されていたが、今回は明らかに様子が変わっていた。

物語のスタートは2022年6月3日から始まり、2023年㋀15日で終わっている。その間に『コロナ漂流録』は元安倍首相(本書では元安保首相)が亡くなったことにも当然のように描かれている。亡くなった人に対しては鞭を打たないというのが一般的な感覚であるが、作者は容赦ない。それどころか彼の生前の行いについて傾倒した新任の医師を登場させることで、逆に彼の行いがどのように可笑しいことであったかということを医療現場側から論理的に激しく言及している。市井の人間にとっては「可笑しい」と思っていても、それを上手く言葉で表現することがなかなかできなかったが、現場で翻弄させられた医療従事者がある程度の専門用語を用いながら語ることによって、それがはっきりと露わになっていた。

それと並行して物語の中心となっていったのが、大阪(本書では浪速)で行われている府政ついてである。その中には国産のワクチン開発をなぜ大阪が乗り出したのか、そして頓挫したのか、あくまでも物語なのでそれを全て鵜呑みにする訳には行かないが、それでも国民の1人として知りたかった情報の一部をこの作品を通して得ることができてしまったことにより、暗澹たる思いを持ってしまう。またそれに付随して2025年に開催される大阪万博に関しても触れている。そこでは「浪速万博は東京五輪の相似形」と記されており、更に深い闇をみてしまった感じである。

つまり、今回の完結編では、コロナ罹患患者に対する医療現場の物語というよりは、政府に対する批判やこの間の時事問題を表に出して物語を進行しているのである。これを良しとするのかどうかは読者の手に委ねられるのであろうが、国民がコロナで右往左往し、命を脅かされている時に、裏でこのようなことが密かに行われていたのかと思うと「国民の命」よりも「自分たちの利権」を最優先に考えてたであろう一部(と思いたい)の政治家に関して改めて嫌悪感を持ってしまう。その人たちが今なお、テレビを付ければ破顔で政治を語っているという現実。心の中はもやもや感でいっぱいとなる。作者はエンディングでこのようにも主人公に語らせている。「社会全体がコロナに慣れ、冷静に対処していることです。市民は、安全ではなく、安心もできない不安定な世界で、淡々と生き抜いていくしかないと、覚悟をきめたのでしょう(p299)」。そして、このことを「奇妙に明るい絶望感」としている。

現在、表立って大きくアナウンスされていないが、コロナ患者が増加。「第9波」に入ってきているようである。今後はこの状況下を物語として記されることはないので少し残念である。作者が記したように私たちは「淡々と生き抜いていくしかない」のであろうか。

======文責 木村綾子
 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする