京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『卒業の歌』

2019年03月19日 | KIMURAの読書ノート
『卒業の歌』
本田有明 作 PHP研究社 2010年

校内放送で職員室に呼び出された6年生の翔太。「おばあちゃんが入院した」ということを聞かされ、その足で病院に向かう。骨折しただけであったが、七夕の日が誕生日のおばあちゃんは病院でその日を過ごすことになる。そこで翔太と姉のマオはおばあちゃんに誕生日プレゼントのリクエストをしたところ、「歌がいい。翔ちゃんの作った」と答えるおばあちゃん。歌を作ったことのない翔太は気が重いまま病室を後にしたところ、病院の受付に同じクラスの細川さんがいることに気づく。その日は彼女の姿を遠目に帰宅の途についたものの、後日おばあちゃんのお見舞いに行った時、再び彼女に出会う。そこで翔太は彼女におばあちゃんからのリクエストのことを話すと翔太が作った詩に彼女が曲をつけてくれるという。実際に出来上がった歌はおばあちゃんが「子守歌」として気に入ってくれる。同じ頃、学校では2学期に行われる合唱コンクールの曲を決めていた。翔太のいる3組はまとまりがなく、合唱コンクールも全体的に士気が下がっていた。しかし、翔太と細田さんがおばあちゃ
んのために歌を作ったことを耳にしたクラスメートが自由曲を創作曲で挑戦してはどうかという提案をしてから、クラスが徐々にまとまっていく。テーマは「卒業」。そして、2学期の初め歌が出来上がり、更にクラスが一つになっていこうとしている最中、細川さんが、合唱コンクールを待たずしてアメリカに引っ越すことがクラスに告げられる。

この作品はわずか160ページの児童書であるが、思わずハッと考えさせられる場面が随所に織り込まれている。とりわけ、翔太と細川さんの家族構成とその背景。子ども達に分かるように平易な言葉で描写されているため、さらっと読んでしまうとその作者の真意を読み過ごしてしまいそうになる。しかし、そこにある言葉は決して簡単に片づけることのできない、今の日本の直面している家族の形というのをしっかりと示してくれている。

そして、テーマとなる「卒業」。学校を卒業するということが大きな意味となるが、それだけでなく、そこに至る過程で更に一回り成長する子ども達の姿が丁寧に描かれている。誰もが迎えたことのある「卒業」であるが、自分自身を振り返ってみてもなかなか渦中にいる時は客観的にその姿を捉えることができない。それをこの作品を読むことで、もしかしたら自分にもこのような成長があったのかも知れないと思わせてくれる安堵感に包まれる不思議な作品でもある。

この作品で翔太と細川さんが作った歌は合唱コンクールのために作ったものであるが、あくまでも自分たちの「卒業」に向けて作っている。3組のメンバーはもちろん、卒業式でも歌う気満々。しかし、作品は合唱コンクールの場面で終わっている。この後、卒業式で3組はどのような形でこの歌を歌うのか、いやその前に3組はどのように卒業式を迎えていくのか。その姿を読者にゆだねられているのもこの作品の醍醐味である。そして巻末には翔太と細川さんが作った歌2点が楽譜で掲載されている。この楽譜により、更にこの作品の世界に浸れる粋な計らいとなっている。

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文責 木村綾子


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KIMURA の読書ノート  『原爆』

2019年03月04日 | KIMURAの読書ノート
 『原爆』
石井光太 著 集英社 2018年7月10日
 
これまでも「原爆」について綴られた本を取り上げてきたが、それは原爆そのものの悲惨さやその当時の状況について語られるものが多かったように思える。本書は広島が「原爆」にあったその直後から復興に携わった4名(長岡省吾・浜井信三・丹下健三・高橋昭博)に焦点を当てて取材し、まとめられたものである。
 
この4名の中で「長岡省吾」という名前に聞き覚えがないだろうか。実は昨年の10月にこの読書ノート『ヒロシマをのこす』で焦点化された人物である。そして、「読書ノート」で私はこのように記している。改めて引用する。
「本書はこの資料館の初代館長であり、ここを開館させるまで地道な活動を行った長岡省吾について初めて書籍化されたものである。」
確かに『ヒロシマをのこす』は長岡省吾だけにスポットを当てた本であり、今回取り上げる『原爆』は長岡省吾だけでなく、他3人にも視点が向けられている。しかし、同じ時期に別の作家が彼に注目して取材を進め、そして同じ月に本を上梓していることに、何とも言えない長岡省吾の運命というものを感じた。また、『ヒロシマをのこす』は子どもたちにも彼の功績を知って欲しいということで、児童書扱いとなっている。しかし、『原爆』は一般書のため、子どもには少し目を触れて欲しくない、長岡省吾の負の部分にも深く追求し、そこから更に「戦争」で一般の人達が背負わされ、表にはなかなか出てくることのない壮絶な闇の部分にも光を当てている。実際には、本書は長岡一人だけを綴ったものではないにも関わらず、彼の生涯が克明かつ詳細に記されており、彼の部分を読むだけでもかなり価値のある1冊である。
 
しかしながら、彼の功績を直接バックアップしてきた人物や、結果として彼を後押しする形となった他3人の足跡も決して見逃してはならない。この3名の中で、誰もが恐らく知っている名前としては建築家の丹下健三ではないだろうか。彼が平和記念資料館及び平和公園をデザインしたことは有名であるが、ここに至るまでに何度も挫折し、苦境に立たされた経緯が本書では詳細に綴られている。そこには、「丹下健三」というきらびやかな肩書からは決して想像のできない過去であり、彼もまた「戦争」「原爆」に翻弄させられた一人であることが分かる。
 
「復興」を目に見える形で力を注いでいったのが、元市長の浜井であり、市職員の高橋である。まず立ちはだかるのが「復興」にかかる予算。広島を「平和都市」として国に認めさせ、法律として明文化させ、復興のための予算を獲得している。またそれだけでなく、「復興」のシンボルの一つ「広島東洋カープ」の創設にも関わったり、「原爆ドーム」の永久保存にも尽力している。
 
「原爆」が投下されてから今年で74年。原爆投下直後は「広島には、75年間は草木も生えない」と言われていた広島。その75年にまだ至っていないにも関わらず、今では中国地方の中心都市となっている広島。毎年、原爆の日には国内外から5万人もの人が集まる平和記念公園。貧乏球団と揶揄されながらも、昨シーズンついに3連覇を成し遂げた広島東洋カープ。これらの出発点となった4名の軌跡を3年に及ぶ地道な取材で明らかにしたこの1冊を是非目にして頂きたい。

======= 文責 木村綾子










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