京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『新・戦争論~僕らのインテリジェンスの磨き方~』

2015年02月17日 | KIMURAの読書ノート
『新・戦争論~僕らのインテリジェンスの磨き方~』
池上彰 佐藤優 著 文藝春秋 2014年11月20日

前回の読書ノートが更新された時には、イスラム国に捕えられていた後藤健二さんもまた残念な結果になってしまったこと、改めて心よりご冥福をお祈りいたします。

それから数日後、我が家に転がってきたのが本著である。言わずと知れたジャーナリストの池上彰氏と、鈴木宗男事件で収監された元外務省主任分析官の佐藤優氏の対談集。目次を開くと第4章『「イスラム国」で中東大混乱』という文字。それだけでも、一見の価値はありそうであった。

本書は「イスラム国」に限定されたものではない。アジア、中東、ヨーロッパ、そしてアメリカそれぞれの国や地域について二人で論じたものである。それ以前に、序章では、そもそも日本が世界からずれているということに言及し、第1章ではまず世界全体を見回し、地球が今危険に満ちていることを示唆している。そして第2章。世界の地域を論じる前に「戦争」という括りでみた時、必ず関係してくるのが「民族」と「宗教」。本章ではその2つについて二人がお互いの言葉を重ね合わせながら、日本にいるとなかなか理解しづらい内容をかみ砕いて説明している。例えば、一つの宗教をとっても、その国には「土着」と「外来」があり、国は「土着」は認めても「外来」は認めない。仏教という括りの中に様々な宗派が共存する日本においては、理解しがたいことがこの一つの事例からも分かってくる。

そして、この章でも「イスラム国」に触れている。佐藤氏はここで「イスラム国」を「国家とのあり方として不気味だ」と発言している。その理由は他の国(シリアやイラクなど)を支配しようとしていないからであり、ここが目指すのは、イスラム王朝が支配していた土地を取り戻すものだという。これが事実だと仮定するなら、西アジアを含むヨーロッパはそれぞれの国の領土が歴史上大きく変化している。第2次世界大戦時に、大陸に領土を広げたこともかつて日本ではあったが、そのスケールは他の国からすると微々たるものであり(それがいい、悪いということではない)、戦後は結局元の島国に戻ってしまっているということを鑑みれば、「イスラム国」を含む、その周辺の内戦や争いは口先や現在の状況だけで判断して、外交をしていこうとする体制、少なからず日本の場合は改めなければならないのではないかと考えざるを得なくなる。実際、それが序章の「ずれている」ということにつながるのではないだろうか。

だからと言って、本書のすべてを信じてくれと両著者は思っていないだろう。しかし、少なからず、2人は現地に何度も出向いて得た情報を本書で報告してくれている。危険な場に足を踏み入みこんだであろうという発言もしばしば表れる。亡くなった後藤さんは政府の制止を振り切って「イスラム国」に入ったと報道されている。しかし、それは後藤さんだけではない。似たような場所にも2人も赴いているようである。そのやり方が正しいかどうかは別として、そのようなところから情報を流してくれる人がいるからこそ、日本にいるだけで、他の国の様子を得ることが私たちにできていることも覚えておかなければならない。そのようなことも本書の行間から伝わってくる。

蛇足であるが、本書の本当の読みどころは序章で二人が今の総理について共有して語っている部分であろう。「心の問題」と。しばし、日本では「商売は三代目がつぶす」といわれるが、総理は政治家三代目。日本は潰されるのか?その一端も本書から読み取ることができるかもしれない。

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KIMURAの読書ノート『ダイヤモンドより平和がほしい』

2015年02月01日 | KIMURAの読書ノート
『ダイヤモンドより平和がほしい~子ども兵士・ムりアの告白~』
後藤健二 著 汐文社 2005年

1月20日、イスラム国に捉えられた後藤健二さんと湯川遥菜さんの映像が流され、そこから10日余りの間に、湯川さんは最悪の状況をむかえ、後藤さんの行方は不明というのが承知の事実である(1月30日現在)。このような状況の中、今再び注目されているのが、後藤さんが著した本書である。本書は、2006年に第53回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞している。

タイトル、サブタイトルからも想像できるように、ダイヤモンド産出世界一のシエラレオネで兵士として戦地に送り出された子どもたちを取材しまとめたものである。彼がここを取材する理由はこの国で写し出されていた1枚の写真。それは、銃を持った子ども兵士ではなく、両腕に白いプラステック製のギプスをはめた人。その人の表情には喜怒哀楽が全く見えず、感情を失っていた。なぜそんな表情をしているのか、そこに何があったのかという疑問だったという。そして現地に赴いて分かった事実が、本書に記されているのである。

実際にギプスをはめた人は、一人や二人ではなく著者が想像を絶する人数であることも彼を驚かすが、それ以上に著者が驚愕したのは、子どもが銃を持たされて戦場に送り込まれているという現実。しかも、その手法がまず子どもたちの親を目の前で殺し、右も左も分からない状況にしたまま、子どもを連れ去り、兵士にするというもの。そこには恐怖しかない。
しかし、子どもたちが兵士になってしまうのは、それだけではない。それ以上に想像を絶する現実が本書では綴られている。そのヒントが表紙に子どもの写真である。よく見ると、頬に三日月のような傷跡がある。その傷跡が意味するものは……。本書を手にした職場の上司は一言「知らないことが多すぎる」。おそらく、両親を目の前で殺され、そしてそのまま連れ去れるということは本書だけでなく、多くの著書や番組でも見聞きすることは多いだろう。しかし、それだけでは物足りず、子どもたちに加える一つの制裁。人はどこまで、非人道的になれるのか。その一つ一つの真実に感情を抑え込みながら綴る文章が、かえってその現状を強く訴えかける。

また、兵士だった子どもたちがそこから抜け出し、保護施設で暮らしている様子も取材している。ここでは子どもたちに1対1でスタッフが付き添い、目を離さないという。兵士だったという現実は保護施設で安心して暮らせるようになっても、様々な形で子どもたちを襲ってくる。読み進めていくと、これらのことがシエラレオネにだけ該当するものではないことが徐々に分かってくる。少なからず、日本の子どもたちに起きている、とりわけ今課題となっている虐待、貧困状況に置かれた子どもたち。本書が遠く離れたアフリカの一国の出来事と思えなくなっているのではないだろうか。それは、この運営に携わる神父、そして取材の中心となった元子ども兵のムリアの言葉から伝わってくる。

著者がイスラム国に捉えられてしまったことで本書が再び脚光を浴びてしまうのは皮肉なことではある。しかし、なぜ彼らが危険と言われる国に行くのか。それは私の上司が呟いた言葉「知らないことが多すぎる」。この一言に尽きるだろう。誰かが真実を伝えないと、世界の現状だけでなく、実はその全てが今住んでいる日本につながっていること、いや、国内で起こっていることにすら気が付かずに過ごしてしまうことになる。知らないままで過ごすことが果たしていいことなのだろうか。著者が無事戻ってきてくれることを心より祈っている。そして、また私たちに「知らないこと」を語ってくれるのを望んでいる。     (筆者  木村綾子 2015/1/30  )

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