京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

『家族喰い~尼崎連続変死事件の真相~』

2014年03月21日 | KIMURAの読書ノート
『家族喰い~尼崎連続変死事件の真相~』(一般書)
小野一光 著 太田出版 2013年

2011年11月、複数の家族を崩壊させ死者・行方不明者は10人を超え、主犯格の角田美代子容疑者はその約1年後留置所で自殺をはかった、あの事件のルポタージュである。

実際事件が報道され始めた時、ここまで死者が増え、更にはよく分からない人間関係と家族関係が展開されるとは思ってもみなかった。次々と発表される驚愕の事実に、我が家では「誰か相関図を書いてくれ」と言うのが不謹慎ながら合言葉になってしまっていた。それくらい事件の上面だけでも飲み込めない複雑さがこの事件にはあった。

著者は、最初からこの事件を追いかけていたわけではない。取材を開始したのは美代子容疑者が逮捕され、約1年後の2012年10月からである。どちらかと言うと、他の取材班にいたってはすでに陰りを見せていた頃である。たまたま、単発の仕事としてこの取材を依頼されたために、尼崎に入ったまでであった。しかし、単発の仕事とは言え、すでに報道されていることを書いても意味がないことを知っていた著者は1週間尼崎に滞在することにした。その間に得た情報が美代子容疑者が自殺した後も、事件を追いかけることになったのである。

本書はライターとしての著者の執念が浮き彫りとなる1冊でもあり、主犯格の美代子容疑者の半生を追いかける内容とも読める。更には、「家族」とは、「犯罪」とは「事件」とは、多角的な視点で考えさせられる。中でも、「民事不介入」という言葉に多くのひっかかりを感じた。本書ではこの言葉がたくさん出てくる。この事件の発端は正直どこまで遡ればよいのか分からないほど根深い。しかし、「尼崎連続変死事件」のみにクローズアップした場合、何度も美代子容疑者を捕まえることの出来るチャンスがあったようである。黙って10年も彼女を野放しにしていたわけではなかったのである。後に殺されてしまう幾人かや近隣の人が警察に訴えていたのだが「家族だから、民事不介入」として、警察が動かなかったようである。「虐待」や「DV」という家庭内暴力が話題になっている近年「民事不介入」で終わらせてしまった警察の態度には開いた口がふさがらない。

直接的に美代子容疑者に暴力を振られていない人たちも今でも「あの時」という心に大きくしこりを残してしまっている。いわゆる、2次被害が続出しているのである。それを見通しての美代子容疑者の巧みさというのも否めない。だからこそ、遠い親戚を次々と離婚させ、自分の近くにいる人物と結婚させたり、養子縁組して彼女は「擬似家族」を作っていったのである。と同時に、著者や彼に語った人たちの言葉を借りれば、彼女が自殺した理由は、事件がばれたことではなく、「家族と信じていた者に裏切られた」という思いが強いということ。つまり、自らが作っていった擬似家族が逮捕され、自供していったことが彼女にとって青天の霹靂であり、「裏切り」に感じてしまったということである。そこまで血のつながっていない「擬似家族」を信じきっていた彼女の心のうちはいかばかりだったのだろうかと思うと切なくもなる。

表には報道されていないこの事件の後と前、そして渦中。更には複雑に絡まった人間関係と彼女の歴史が本書によって白日にさらされているようにみえる。しかしそれは錯覚かもしれない。ますます、闇が深くなっただけのような気がする。

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『ビブリア古書堂の事件手帖2』

2014年03月04日 | KIMURAの読書ノート
『ビブリア古書堂の事件手帖2 ~栞子さんと謎めく日常~』(一般書)
三上延 作 メディアワークス 2011年

北鎌倉にある古書店「ビブリア古書堂」の店主栞子さんとそこで働くことになった大輔くんの周囲で起こる古書にまつわる謎を2人が紐解いていくというもの。と言っても大げさな殺人事件が起こるわけではない。古書を通して描かれる複雑になった人間関係を解きほぐしていく。

この作品は古書店が舞台だけあり、それぞれの出来事は本のタイトルがモチーフとなっている。
これは、以前ブレイクした『文学少女』シリーズ(野村美月・作 エンターブレイン)と全く同じ構成である。
こちらのシリーズの最初は2006年に刊行されているので、二番煎じとも二匹目のドジョウとも言えなくない。
いや、ここ最近何某かの名作や古典をモチーフにしたこのような形式の作品が実際増えているような感覚がある。しかし、私は決してこの傾向は嫌ではない。
二番煎じでも二匹目のドジョウでも、多くの作家さんがどんどん出して欲しいとさえ思っている。
なぜなら、現在年間8万点の出版物が刊行している。
そこそこ本に埋もれて過ごしている私でもその数に追いつけるわけがない。
読み残しは年々積もる一方である。更には本と言う物質がこの世に誕生してから、日本国内でも2000年の歴史がある。
2000年前に年間8万点の出版物があったわけではないが、類推するとこの世に出回っている(いた)出版物は天の星よりも多いと思われる。それを網羅するというのは到底無理な話である。
しかし、このような構成だと、1度読むだけで、複数の作品の概要を知ることが可能である。
その中で自分好みの作品に出会えば原作をその後手にすればいいし、そうでなければ、あらましだけその作品を通して知っておくだけでも、心は満たされる。そんな1度で2度以上美味しい形態なのである(少なからず私には)。

さて、話を本作品『ビブリオ古書堂』に戻す。
こちらは、古書店が舞台のためモチーフとなる作品は古書(すでに絶版、稀覯本となっているもの)となっている。
プロローグとエピローグは坂口美千代の『クラクラ日記』、第一話はアントニイ・バージェスの『時計じかけのオレンジ』。第2話は福田定一の『名言随筆集サラリーマン』。第3話は足塚不二雄の『UTOPIA最後の世界大戦』というラインナップ。
しかも、これら本中で扱っている作品は、物語をなぞっているのではなく、作品全体や作者の背景がどのようなものであったか、
また古書としての扱いを自然な流れの中で綴られており、古書に詳しい人なら「そうそう」と膝を打って読めるであろうし、また古書について全く知らない人でも、このような本が世に出回っているのかという好奇心をくすぐられ、と古書に関する入門書として読むことが可能である。

例えば、最初に出版したものと途中で作者が自ら最終章を課した完全版の両方が出回り、読者はそれを知らないでたまたま手にした方で読書感想文を書いた日には、人格を疑われる可能性もある……というような作品や、ブレイクする前に別のペンネームで作品を書いていたものが実はあまり知られてなくて高額な値がついているという話など。
本もただ読むだけなら自分と字面だけの対話となるが、このような背景を知って読むと、作者の生い立ちとその時代に深くもぐりこむことが出来ることで、自分自身の深部を嫌でも引き釣り出される感覚をもってしまう。
これを作中の栞子さんと大輔君が代弁してくれているのが『ビブリオ古書堂』である。

それにしても、このような構成の物語を紡ぎだす作者は本当に本好きなのだろうと思う。
構成は安易にも思えるが、実際名作や古典、他の人が描いた作品を様々な角度で織り込みながら一つのものに仕上げていくのは、簡単ではない。
とりわけ、これらの作品のこぼれたネタというのは、探そうと思って見つかるものではなく、普段から読んでどこともなく転がってくるのをただひたすら拾いあげる作業が必要となる。
それをシリーズとして書き続ける作者たちに私は尊敬の念を抱く。

ちなみに、今回は第2巻を紹介している。これは深い理由はない。ただ手元にあったのが第2巻だったという、それだけである。私自身1巻はまだ未読である。早々に1巻に戻って読みたい。

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