京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『Petey』

2016年06月20日 | KIMURAの読書ノート
『Petey』
ベン・マイケルセン 作 千葉茂樹 訳 すずき出版 2010年

1922年春アメリカ、モンタナ州ボーズマンから物語は始まる。その2年前この物語の主人公ピーティはこの世に生まれた。ただし、彼は奇妙にねじれた小さな体の上に、表情のない頭、茶色の小さな芽は、うつろに見ひらかれ、くちびるは、見えない力にひっぱられているかのようであった。その後の2年間、両親はピーティに対して希望を捨てずに専門医を訪ね歩き、献身的に養護してきたが、そのため経済的にも困窮しピーティの兄弟たちも精神的に負担が増し、ついにピーティを精神病患者収容施設に入れることにしたのが、この1922年であったのである。

この物語の巻末には解説がついている。その言葉を借りながら、作品を説明していくと、ピーティを通して障害者の歴史を垣間見ることのできる作品であり、フィクションではありながら、実在する人たちをモデルにしているということである。ピーティはいわゆる「脳性まひ」という障害だったが、当時はまだその障害そのものが認知されておらず、「知的障害」に対する言葉も、今とは異なって解釈されていた時代である。

第一部は、ピーティが精神病患者収容施設に入所してから1978年に退所するまでの約55年間の施設内での生活が描かれている。そこでは、自ら体を動かすことのできないピーティと彼を取り巻く入所者や職員との交わり、その中で彼自身が何らかの意思表示を体得していく様子、しかしそれが相手には伝わらないもどかしさなどが繊細に描かれている。また、障害や病気の種類が異なる人々が一括りにそこに収容され、煩雑な扱いを受けている状況も記され、当時の弱者に対する状況を否応なく目の当たりにさせられる内容ともなっている。

第二部では、介護ホームに移ったピーティの13年後の1990年からの生活が描かれている。1990年と言えば、つい最近といってもおかしくない時代になっているが、介護ホームにはどんな人が生活しているのか、その外側で住んでいる人にとってはまだまだ未知の世界である。その外側の住人としてトレバーが登場する。彼は同級生がピーティに対して雪玉を投げていることをかばったことからピーティとの交流が生まれる。とは言え、最初はピーティからの誘いに嫌悪を抱き、出来るだけ避けていた。しかし、ピーティのことを知るにつれ、彼と友達であることを誇りに感じ、またピーティから多くのことを学んでいくのである。そして、友情を超えたピーティとトレバーの関係が物語の結実となる。

物語は内容的にはとても重いものである。とりわけ一部は偏見と差別がこれでもかというくらい凝縮されており、表現的にも奥歯をつい嚙みしめてしまうような場面が多い。しかし、読後は不思議と爽快さが残る。この爽快さこそピーティとトレバーとの関係性へ向けて物語が進んでいくからなのであるが、これは読んでからのお楽しみ。あっと驚く素敵な関係である。歴史的背景を見つめながらも文学の醍醐味も本作品から味わってほしい。

                   (文責  木村綾子)

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KIMURAの読書ノート『俺たち妊活部 「パパになりたい !」男たちの本音』

2016年06月02日 | KIMURAの読書ノート
『俺たち妊活部「パパになりたい!」男たち101人の本音』
村橋ゴロー 著 主婦の友社 2016年3月

現在、厚労省のデータによると不妊治療を行っているカップルの数は50万人近くいると言われている。不妊治療には時間だけでなく、経済的な負担も多く治療費の助成制度もある。……等は女性の中ではかなり認知されてきたように実感する。実際に不妊治療に関する書籍も多く、それはガイドブックだけでなく、体験記も書店を覗けば所狭しと並んでいる。しかし、それらのほとんどが女性が書いたものである。不妊治療は現実的には夫婦二人で行われる。女性自身不妊治療には不安や苦痛が伴うものであることは事実であるが、男性側も様々な葛藤があるように思える。本書は数少ない男性側からの不妊治療の体験、その思いを綴った1冊となっている。

第1章では、「妊活」いわゆる不妊治療を行った、もしくは進行形の男性101人を取材してまとめたものである。第2章では著者夫婦が不妊治療を経て子どもを授かるまでの体験を綴っている。

第1章の男性101人の赤裸々に語られた「妊活」に対する思いは、目から鱗のようである。夫婦で歩み寄りながら、治療を受けている最中に周囲から不用意な言葉を投げかけられイラッとする男性。結果的に子どもを授かることが出来なかったが、夫婦がより固い絆で結ばれたと語る人。妻以上に我が子を抱きたいという思いが強く、女性が「終わりにしたい」という言葉に対して湾曲にストップをかける男性。逆に費用の面から考えても、限界に近い家庭の状況に対して妻の思いからストップをかけられずに悩む姿。そこには、女性と何ら変わらない十人十色の思いがあった。

第2章の著者の体験記は男性ならではの治療の姿を知ることができ、これから治療を始めるカップル、とりわけ男性にとっては参考になるものであろう。また、自宅でホルモン注射を打つ妻の姿を夫側からの視点で綴った言葉、妊娠反応があったかどうかの連絡を待つ時の気持ち。不妊治療は夫婦で行うとは言え、その多くが女性側に偏ることを考えると「待ち」の状態が多い男性側は、想像以上に気持ちが揺さぶられるようである。あとがきにはこのように著者は記している。

「不妊治療を開始した当初、僕はとても不真面目でした。子どもなんてできっこないと思っていました。しかし厳しい治療や度重なる流産という結果に耐え、泣きごとをひとつも言うことがなかったりえ。そんな姿を横で見ていたら、彼女をより深く愛するようになったのです。そしてそれは、本気で子どもを望む気持ちに変わっていきました」

なかなか男性の声を聞くことのできない不妊治療の現実。「妊活」の語られることの少ない一面を引き出してくれている。

文責 木村綾子

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