『こねこが』
まつおかたつひで 作 めくるむ 2024月11月
「インクルーシブ」という言葉をご存じだろうか。「包括的」や「すべてを含む」といった意味をあらわす言葉で、その意味から障害の有無や国籍、肌の色、年齢、性別などに関係なく認め合い共生できる社会をインクルーシブ社会という。インクルーシブの理念は、1970年代のフランスで誕生し、日本では2014年に「障害者権利条約」に批准したことにより、インクルーシブ社会の実現を目指している。このことを踏まえて、「障害者の権利に関する条約」を受けて制定された「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」においては、公的機関に障害者への合理的配慮の提供を義務付けており、公的機関には図書館も含まれている。それを受けて、差別や合理的配慮の事例を示すとともに、図書館での具体的な取り組み方法を明らかにすることを目的に、2016年3月18日に「図書館における障害を理由とする差別の解消の推進に関するガイドライン」を示している。このガイドラインの中には、「障害者等の読書環境の整備」の推進の面でも整備が求められている。「整備」と一口に言っても、ハード面からソフト面まで様々であるが、図書館におけるソフト面と言うと、やはり「本」そのものではないかと私は思っている。これまでも視覚障害の人のための点字図書であったり、聴覚障害の人のためのオーディオ図書などがあったが、これは明らかにその障害を持っている人のための「本」であって、「インクルーシブ」な本ではないのではないかと考える。
前置きが長くなってしまったが、今回出会った本は画期的で、まさに世界が求めている「インクルーシブな社会」の理念に一致した本であると思った。この作品は表紙のタイトルの上に「声がでるハイブリッド絵本」と記されている。そして、本書を開くとまずこのような説明がある。「『声がでるハイブリッド絵本 こねこが』は、バリアフリー支援アプリ「めくりんく」で、物語の文やかかれている絵の説明を声で再生することができます」。本自体は誰もがイメージする絵本である。物語も特殊な内容ではない、こねこが散歩していて、様々な動物に出会うというとても単純で、可愛い作品である。
実際に、私は説明書き通りに、スマホから「めくりんく」というアプリをダウンロードし(ちなみにこのアプリは無料である)、「めくりんく」を起動させ、読みたいページのところに「めくりんく」に搭載されたカメラ(アプリをダウンロードすることで自動的にカメラが搭載される)をかざしてみた。当然であるが、スマホから声が自動で再生されたのである。そして、作品の文字だけではなく、そのページにかかれている絵の説明も再生された。テレビの文字放送の絵本版と言えば分かりやすいだろうか。なぜ、これが画期的なのかというと、聴覚及び視覚に障害を持っている人とそうでない人とが同じ1冊の本を囲んで分かり合えるからである。ついにこのような本が出たのかと思うと感慨深いものがある。再生AIの問題など、文明の利器の発達により、マイナスな部分が多く取り沙汰されているが、このような形で科学技術が使われるのであれば、万々歳である。
ただ、この「めくりんく」にも課題があるように感じた。スマホに本をかざす加減が難しいのである。そこそこ近づけないと音声が再生されないのであるが、少なからず私が行った場合、音声が再生されるまでスマホを近づけると作品の画がスマホに隠れてしまったのである。はっきり言えば、スマホが「邪魔」。しかし、これから改良が重ねられていくだろうと期待している。様々な背景を持った子ども達が1つの本を囲む姿を想像すると心がわくわくしてくる。
文責 木村綾子
『なんで人は青を作ったの?』
谷口陽子 高橋香里 著 新泉社 2025年㋀
「青」という色は自然界において滅多に生み出されない色であると知ったのは、最相葉月・著『青いバラ』(小学館、2001年:現在は岩波書店から刊行)を読んだ時のことである。そして、品種改良していく際も「青」という色に改良するのは至難の業で、多種多様な色のバラがこれまで生み出されている中、ようやく青色のバラを作ることに成功し、その過程を本書では記されていた。もちろん、これはバラに限ったことではなく、人工的にも自由に「青」という色を作り出すことが人々はできなかった過去がある。
本書は中学1年の蒼太郎と律が化学者の森井老人の下で、人々がどのようにして「青」という色を獲得していったかという証明を実験によって行っていくフィクションである。フィクションと言っても、実験内容は事実を基に構成されている。
ここではその時代時代に行われた「青」獲得の実験が掲載されているが、中学生にも指導者さえいれば出来るというものである。「中学生にも出来る程簡単」というよりは、それは現代のように実験器具がなかったために、今で言う中学校の理科室内の器具程度で実験が繰り返されていたと言った方が正確である。しかし、その1つずつの実験は、今やその方法が確立されていてもかなりの時間を要する。例えば、中世ヨーロッパの宗教絵画で使われている「ウルトラマリンブルー」と言われる青は現在アクセサリーでもよく見かけるラピスラズリという鉱石から造られるが、小瓶に少し入る程度の量の「ウルトラマリンブルー」が出来るのに丸1日かかる。本書では蒼太郎はこのように表現している。「石を割るだけなのに、僕も律も汗びっしょりになった。~略~ 2時間以上はかかったと思う。途中で、ぼくと律は交代で休憩して、森井老人が差し入れてくれたジュースを飲んだ(p59)」。小瓶に入れるだけでこれだけの重労働であるのに(ただ鉱石を砕いて終わりではない。そこから先も様々な工程が続く)、あの絵画に使われている「青」を顔料として入手するにはどれだけの時間、もしくはお金がかかったのであろうかと想像するとそれだけでただただ唖然とする。
本書では「ウルトラマリンブルー」だけではなく、他の「青」がどのような作品に使われているかカラーの口絵で掲載されている。これらの作品と実験から得た「青」の量を比較すると、私が「ウルトラマリンブルー」で感じた思いを誰もが持つのではないだろうか。
また、これらは海外で獲得された「青」であるが、実は日本においても、古墳時代の埴輪から「青」が検出されている。また、奈良時代の史料から<あおに>と呼ばれる「青」があったと分かっているが、それがどのような「青」なのかは、まだ解明されていない。実はまだ「青」には未知の世界が残っているのである。
またまた今回も私事であるが、「青」がとても特殊な色であることは、先述の著書より知っていたことは前述した通りである。そして、推し活を始めて、初めて吉野山にある金峯山寺を参拝した時のことである。蔵王堂の中に鎮座されていた蔵王権現。1体が7mにも及ぶ大きさでそれが3体。そして、この3体とも全てがほぼくっきりとした青色。これを目にした時の衝撃は忘れられない。その迫力もさることながら、やはりこれだけの「青」を鎌倉時代に取り入れられたということ。そこに蔵王権現への想いと権力の大きさをひしひしと感じたのであった。以前、お寺の方にこの「青」の顔料は何なのかと尋ねたところ「不明」という返答(2年前のこと。現在はどうなのかは未確認)。ここにもまだ未知の世界が残っている。是非、本書を読んで、金峯山寺に参詣して欲しい。その「青」に圧倒させられるだろう。
文責 木村綾子
『巨石運搬!』
鎌田歩 作 アリス館 2024月12月
今回はがっつり私の推し活に関係のある本である。「山岳信仰」が推し活の1つであることは1月の読書ノートで触れたが、そこから派生した推し活が「自然崇拝」である。山岳信仰が日本に広がるもっと以前、縄文時代や弥生時代においての信仰、とりわけ山の山頂や、山腹にある巨大な石、つまり「磐座(いわくら)」や「滝」、そして神奈備型(富士山の形)の山(御神体山)も同時に私は追いかけている。中でも磐座とよばれる巨石に出会うと今でもただただあんぐりと口を開けて、古代の人々がこれを崇めるのは無理もないと思ってしまう。と同時に、この巨石はどうやってここに持ってきたのだろうという疑問が常にまとっている。もちろん、その場所に最初からあり、長い時間の風化により神々しい形になったものもあるが、人為的にそこへ運ばれてきたとしか思えないような巨石もある。前置きが長くなってしまったが、その巨石を先人たちはどのように運んだかということが解説されているのが本書である。
本書の事例として扱われている巨石は、磐座ではなく、大阪城の京橋口側の石垣として使われている通称「肥後石」である。この肥後石の大きさは「高さ5.5m」「幅11m余」「表面積約54㎡」「推定重量140トン」と言われている。そしてこの巨石は小豆島から運ばれている。私事であるが一昨年たまたま小豆島を旅した時に、大阪城の石垣に使われた石の採掘現場(石切り場)に足を踏み入れている。この時も、どうやって大阪まで運んだのだという疑問しか生まれなかった。なぜなら、「大きい」というだけでなく、その石切り場は山の山頂近くにあったからである。
本書は「運んだ」という部分だけでなく、小豆島でどうやって、そのような大きさの巨石を採掘したのかというところから解説が始まる。まさに私の疑問、「山の山頂近くから」というところからである。本書によると、山奥深いところにある岩壁を見つけると、そこを目指してまず道を造るところから始まるらしい。そして、目指す岩壁に木材で足場を組む。私が見学したのは「大坂城石垣石切小瀬原丁場跡」だか、この石切り場がある山は標高150mで、石切り場は先にも述べたように山頂から少し下にある。その標高自体正確なものは不明であるが、大体100m近くではないかと推測する。この石切り場は山頂に行くための駐車場を兼ねていたが、ここにたどり着くまでに離合の出来ない急斜面の細い道を車はローギアで上らなくてはいけない程である。現在の道路と当時の巨石を運ぶための道が同じものなのかは分からないが、石切り場までの道を車で通っただけでも、標高100mまで道を造るということが大事業であると簡単に推測できる。そして、目の前にそびえる岩壁の高さも半端なく、結果として、高さ5.5m、幅11m余りの巨石に加工するという話であり、足場を組むのはそれよりも高さのある断崖絶壁に岩場である。これは大事業というだけでなく、かなり危険の伴う事業であることが、本書からも一目で分かる。
このような事業を得て、大阪まで運ばれていく巨石に正直唖然とする。本書を読むまでは疑問を持つことしかできなかったが、本書を手にしてから、この事業にどれくらいの人が携わり、そしてどれだけの事故が起こり、人々が亡くなったのではないかと考えるようになった。因みに本書は絵本と言う形態をとっているが、対象者は明らかに「大阪城の石垣」を知っているものに対してである。
本書では小豆島の巨石についての解説であったが、私が時々参拝する寺社の磐座に矢穴(岩に目印をつけるための穴)がついたものがある。その説明書きにはたいてい「大阪城の石垣に使われるために、移動させようとしたところ、事故や不吉なことが起き、移動させるのをやめた」という類のことが書かれてある。その度に、秀吉にしろ、家康にしろ、自分の権力なら神様と崇められている磐座も自分のものになると思う浅はかさにげんなりとするのである。
文責 木村綾子
『猫うた千年の物語』
中村健史 著 淡交社 2024月
本のタイトルだけ目にすると、ファンタジー小説のように思えますが、至って「不真面目」な和歌に関する論考です。著者は大学の准教授で国文学、主に鎌倉、南北朝時代の和歌を研究している専門家です。そのような方が「不真面目」と疑問に思ってしまうでしょうが、それはあまりにも論考としては砕けすぎており、「真面目」と書くにはどこか違和感を持ってしまったからです。その点をご了承くださいませ。まぁ、「不真面目」になってしまうのも致し方ないと思います。なぜなら著者は猫好きだからです。猫好きになると全てが猫目線になってしまうので、言葉も砕けてしまうのは「猫あるある」です。
そして、内容はもちろんタイトルにもなっている通り「猫」。猫が登場する和歌を「猫うた」と著者が命名して、丸ごと1冊それらを紹介しつつ、論じているのが本書という訳です。が、残念なことが冒頭から記されています。なんと、「古事記」はもとより、和歌の代名詞とまでは言いませんが、当時の人々が詠んだ歌が凝縮して編纂された「万葉集」に猫が登場しないとのこと。猫は弥生時代から人々に身近な存在だったことが発掘調査ですでに分かっています。それなのに、なぜ「万葉集」に登場するのは「犬」なのでしょうか。これだけでも、驚きなのですが、時代が下って、平安時代。猫が和歌に登場するきっかけを与えたと言っても過言ではない文学が世に生まれます。著者によるとそれが「源氏物語」。昨年かなりブームとなった「源氏物語」がここで再び登場です。しかし、「源氏物語」全編に及ぶものではありません。この中の超ピンポイントな場面だけが後々まで影響を与えていると著者は指摘しております。それは柏木(光源氏のライバル兼親友である頭中将の長男)が女三の宮を「見て」しまった場面。猫が絡んでいます。柏木の運命もここで大きく変わってきますが、和歌の世界も大きく変換したといっても過言ではないかと私は思ってしまいます。「後々」の影響力というのは、100年、200年の話ではありません。どのように影響力を与えたのか、と言うことが時系列的に各時代時代の和歌やその背景を取り挙げながら説明しています。もうこうなると「猫うた」の分析ではなく「源氏物語」の……「柏木と女三の宮」の分析ではないかと思える程です。つまり、猫好きではなく、源氏物語好きも完全にのめり込める論考ということになります。しかも、著者によると、室町時代の和歌に関する常識的公式として「猫 × 恋 = 源氏物語 = 雅(p126)」が確立されているというのです。恐るべし、源氏物語です。
この公式の呪縛から日本人が解けるのは明治時代の文明開化からと著者は指摘しています。「文明開化」とは、明治政府の近代化政策による西洋崇拝の風潮、社会現象を指した言葉で、都市部では、洋風建築が増え、散髪、洋服、ガス灯、牛鍋、靴、時計、太陽暦など、生活様式の洋風化が進められています。しかし、「猫うた」の世界にまで文明開化が広がっていたとは想像を絶するものでした。
終始猫の話でありながら、それを全く感じ「させてくれない」本書。和歌の世界は本当に奥深い……と言って良いのか、悪いのか。まぁ、「猫は可愛い」だけは正解ということで、本書の紹介を終えたいと思います。
========== 文責 木村綾子
『若狭の聖水が奈良に湧く』
土岐直彦 著 かもがわ出版 2017年
毎年のことであるが、3月に入ると東大寺二月堂では「お水取り」が行われる。それに先立つ10日前、これも毎年のことになるが、小浜の鵜の瀬では「お水送り」が行われる。この二つは切っても切れない関係で、「お水送り」が行われなければ、「お水取り」も行われることがない。この二つの行事(神事)が1300年もの間続いているのだから、この行事自体が今となってはロマンである。しかしながら、なぜこの二つのペアの行事に物理的距離があるのだろうか。その謎に迫ったのが、本書である。
そもそも、この行事には「鵜の瀬」と二月堂境内にある「若狭井」という井戸が繋がっているからこそ可能なことなのであるが、本当に鵜の瀬と若狭井が繋がっているのかというところから、取材は始まっている。それは古文書を読み解いたり、それに書かれてあることをフィールドワークで確かめたりしたもので、それ自体が読んでいて面白い。そして、そこには新しい発見もある。京都に関して言えば、とあるお寺の池は若狭湾からの塩水が湧いており、かつそこが鵜の瀬から二月堂へ至る水脈の中継地点となっていると伝承されているのだ。お水送りが行われる若狭と奈良だけの伝承ではなく、そこに3つ目の接点があったということが興味深い。『若狭の聖水が奈良に湧く』また、「水脈」という視点だけでなく、「海の道」という視点でも考察されている。それは渡来人にまつわる話である。彼らが若狭から大和に向かった移住ルートという見方で、それを水脈となぞらえているのではないかという説。東南アジアでの説話から導き出している点は目から鱗である。
そして「仏の道」という視点。東大寺を開山した良弁が若狭の出身というところに端を発したものではないかということなのであるが、ここから、話は面白くなる。その部分を引用する。「東経135度の戦場の『聖なるライン』。若狭神宮寺(若狭小浜)―平安京・比叡山(京都)―平城京・東大寺・飛鳥京(奈良・飛鳥)―金峯山寺・大峯山寺(吉野・金峯山)―熊野三山・補陀洛山寺(紀伊・熊野)と、日本を代表する社寺や山岳信仰の山と平安京と平城京の都と画見事に並んでいる。~中略~ 良弁が創建したと伝わる石山寺(大津市)も統計135」度線上にある。こうしたラインの中央付近に位置するのが、東大寺だ。~中略~ 『この聖なるラインの中に国家形成初期の信仰形態や文化交流の流れと、対外への窓口としての若狭を見出すことができる』とする(p52~53)」
最後は、「歴史の道」として「鯖街道」のことにも言及している。
これらを読んでも1300年前になぜ先人たちが鵜の瀬と若狭井が地下水脈で繋がっていると考えたのか(実際につながっているのかもしれないが)、真実がどこにあるかは誰も分からない。しかし、先人たちが残したものを手掛かりに今も尚それに翻弄されて謎を解き明かそうと躍起になっている人間が未だにいるということが、実は「受け継ぐ」ということの1つではないのかと思ってきた。翻弄されるからこそ、その伝統が「守り継がれる」ということなのであろう。「お水送り」「お水取り」の行事を前に、是非これらの謎にみなさんも翻弄されてはいかがであろうか。
========文責 木村綾子
『かくれ里(愛蔵版)』
白洲正子 著 新潮社 2010年
私が著者である白洲正子の知っている情報と言えば、「白洲次郎の妻」ということのみ。しかも白洲次郎自体、名前を知っているだけで、詳しい経歴は知らない。つまり、私の中では、夫婦の名前を知っているというだけのことであった。このような状態で、今回本書を手にすることとなったのは、私の推し活のキーワードとなっている「吉野」という単語で検索をしたところヒットしただけのことなのである。正直大きな期待はしていなかった。しかし、ページをめくった瞬間からのめり込むように文章を追いかけてしまった。
本書は、著者が巡った「秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、『かくれ里』の名にふさわしいような、ひっそりとした真空地帯(p1)」の紀行文である。しかし、それは「紀行文」にはふさわしくないものであった。偶然なのだが著者が巡った場所の多くを実は私も巡っている。そこから導き出せることは、本書はその場所の「解説本」であるということ。気候から風土、歴史に至るまでを抑えつつ、そこから著者なりの考察を論じている。完全に私は推し活視点で読み込んでいった。つまり、山岳信仰における解説本であるというのが正解と断言しても過言ではない。
そして、ここからは完全に私の推し活目線での感想であることをお断りしておく。どの項目も私にとっては当然深く関心を寄せるものばかりであるが、最後の項目「葛城から吉野へ」は深く関心を寄せるだけでなく、気持ちは高ぶり、心は踊り、狂喜乱舞しながら読んだのである。それは私の「推し」であり、修験の祖と言われる「役行者」についてどっぷりと綴られていたからである。役行者の存在は「続日本紀」にわずか数行書かれているだけで、世間では伝説の人と言われていることも多い。しかし、私の中では尊敬すべき人物で実在していたと思っている。そして、あくまでも私の推測であるが、彼の存在は朝廷にも影響をかなり与えたのではないかと考えている。だが、朝廷と絡んでいたと記述された書籍をほとんど目にしたことがなく、私の中での唯一の史料は、五條市安生寺に残る古文書で「文武天皇の皇后が役行者に帰依し、子授けの祈願をしたところ聖武天皇が生まれた」という内容のものだけであった。しかし、本書では、「斉明天皇紀」に書かれている部分の一節が「役行者」であろうとあっさり記しているのである。自分の推し活の甘さが露呈した瞬間でもあった。それでも、嬉しい記述もあった。現在も女人禁制となっている大峯山系の1つ山上ヶ岳についてである。私自身、男女同権というのが基本であるが、ここ山上ヶ岳の女人禁制については、今後もこのままでいいという考えをもっている。その理由について語りだすときりがなくなるので、割愛するが、著者もここに関しては女人禁制に「大賛成」と書いているのである。恐らく修験道のことを深く知っているからだけではなく、何度も吉野山をはじめとする修験の山を巡ることで、肌感覚でそれを捉えているのではないかと想像した。そこまで思わせてくれる程、この項目で書かれていることに説得力を感じるのである。
さて、完全に推し活目線の感想を書いてしまったが、いちばん驚くべきことは、本来の本書の初版年である。実は昭和46(1971)年に刊行されており、これらの文章を綴ったのは、それ以前ということである。当時は今よりも交通網が発達していたとは思えず、私よりも時間をかけて「かくれ里」に幾度となく巡ってのエッセイであり、解説本である。しかし、それが50年以上前に書かれた文章のようには全く感じない。それは、著者の筆力もさることながら、著者が示した「かくれ里」が今尚「かくれ里」として機能しているからだと思うのである。著者が示した「かくれ里」は間違いなく「かくれ里」なのである。読了後、著者のその鋭さにただただ感服であった。そして、タイムマシーンでもあるのなら、著者の膝に突き合わせてご教授願いたいと心底思ったのである。====文責 木村綾子
『かくれ里(愛蔵版)』
白洲正子 著 新潮社 2010月
私が著者である白洲正子の知っている情報と言えば、「白洲次郎の妻」ということのみ。しかも白洲次郎自体、名前を知っているだけで、詳しい経歴は知らない。つまり、私の中では、夫婦の名前を知っているというだけのことであった。このような状態で、今回本書を手にすることとなったのは、私の推し活のキーワードとなっている「吉野」という単語で検索をしたところヒットしただけのことなのである。正直大きな期待はしていなかった。しかし、ページをめくった瞬間からのめり込むように文章を追いかけてしまった。
本書は、著者が巡った「秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、『かくれ里』の名にふさわしいような、ひっそりとした真空地帯(p1)」の紀行文である。しかし、それは「紀行文」にはふさわしくないものであった。偶然なのだが著者が巡った場所の多くを実は私も巡っている。そこから導き出せることは、本書はその場所の「解説本」であるということ。気候から風土、歴史に至るまでを抑えつつ、そこから著者なりの考察を論じている。完全に私は推し活視点で読み込んでいった。つまり、山岳信仰における解説本であるというのが正解と断言しても過言ではない。
そして、ここからは完全に私の推し活目線での感想であることをお断りしておく。どの項目も私にとっては当然深く関心を寄せるものばかりであるが、最後の項目「葛城から吉野へ」は深く関心を寄せるだけでなく、気持ちは高ぶり、心は踊り、狂喜乱舞しながら読んだのである。それは私の「推し」であり、修験の祖と言われる「役行者」についてどっぷりと綴られていたからである。役行者の存在は「続日本紀」にわずか数行書かれているだけで、世間では伝説の人と言われていることも多い。しかし、私の中では尊敬すべき人物で実在していたと思っている。そして、あくまでも私の推測であるが、彼の存在は朝廷にも影響をかなり与えたのではないかと考えている。だが、朝廷と絡んでいたと記述された書籍をほとんど目にしたことがなく、私の中での唯一の史料は、五條市安生寺に残る古文書で「文武天皇の皇后が役行者に帰依し、子授けの祈願をしたところ聖武天皇が生まれた」という内容のものだけであった。しかし、本書では、「斉明天皇紀」に書かれている部分の一節が「役行者」であろうとあっさり記しているのである。自分の推し活の甘さが露呈した瞬間でもあった。それでも、嬉しい記述もあった。現在も女人禁制となっている大峯山系の1つ山上ヶ岳についてである。私自身、男女同権というのが基本であるが、ここ山上ヶ岳の女人禁制については、今後もこのままでいいという考えをもっている。その理由について語りだすときりがなくなるので、割愛するが、著者もここに関しては女人禁制に「大賛成」と書いているのである。恐らく修験道のことを深く知っているからだけではなく、何度も吉野山をはじめとする修験の山を巡ることで、肌感覚でそれを捉えているのではないかと想像した。そこまで思わせてくれる程、この項目で書かれていることに説得力を感じるのである。
さて、完全に推し活目線の感想を書いてしまったが、いちばん驚くべきことは、本来の本書の初版年である。実は昭和46(1971)年に刊行されており、これらの文章を綴ったのは、それ以前ということである。当時は今よりも交通網が発達していたとは思えず、私よりも時間をかけて「かくれ里」に幾度となく巡ってのエッセイであり、解説本である。しかし、それが50年以上前に書かれた文章のようには全く感じない。それは、著者の筆力もさることながら、著者が示した「かくれ里」が今尚「かくれ里」として機能しているからだと思うのである。著者が示した「かくれ里」は間違いなく「かくれ里」なのである。読了後、著者のその鋭さにただただ感服であった。そして、タイムマシーンでもあるのなら、著者の膝に突き合わせてご教授願いたいと心底思ったのである。
====文責 木村綾子
『紫式部の娘。賢子がまいる」
篠綾子 作 静山社 2016月
新年あけましておめでとうございます。今年も懲りずにこちらのコーナーをブログ主の許可なく書いて、原稿を送りつけております。昨年は「山岳信仰」に関する本を突っ走って読んでいく予定にしておりましたが、突っ走りすぎて、後半はそれらの本に出合う数が大幅に減少(つまり、読み過ぎ)。故に数年ぶりにあれもこれもの乱読、通常モードに戻りつつあります。とはいえ、私にとっては外の世界に引っ張り出してくれた本ではありますので、まだまだどこかに眠っているはずのそれらを開拓しながら他の本も並行して楽しんでいきたいと思います。そして、その一部を皆様にお届けできたら幸いです。稚拙な文章ではありますが、今年もお付き合い下されば嬉しいと思っております。どうぞ本年もよろしくお願いします。
さて、新年早々ではありますが、昨年のNHK大河ドラマ『光る君へ』ロスのまま年を越してしまった人は多いのではないでしょうか。私もその一人ではありますが、昨年最後の読書ノートと同様に、ロスを埋めるべく、いやブームに乗っかったまま、年明け第1弾も関連本の紹介です。それがこの作品。主人公は紫式部の娘、賢子です。
母、紫式部同様に皇太后・彰子の御所で宮仕えをすることとなった14歳の賢子。そこで出会った和泉式部の娘・小式部や母を皇太后の母の乳姉妹として持つ良子、賢子より5つ年上で中堅の女房であり、賢子の世話係の小馬と、時に張り合いながら、時に団結して宮仕えとして過ごしていく中で、宮中に物の怪が現れるという噂が立つ。その真意を探るように皇太后から指示を受ける三人。そして、彼女たちの前に現れた物の怪の正体は。
ミステリー要素が少しあるものの、作者による解釈による賢子中心の物語です。そのため、大河の解釈とは一線を画して読まなくてはなりませんが、大河と比較して読むことは決して悪いことではなく、そのことでより面白さを感じます。大河の時以上に賢子は負けず嫌いで正義感があり、かつ男性陣にも目がとまるように日々アンテナを高くして過ごしています。いや、むしろ殿方を射止めるために、宮仕えをしていると言っても過言ではありません。大河の最終回の賢子はその片鱗を見せていましたが、まさにそこはそのまんま。かつ、母である紫式部のことをあまり心よく思っていません。大河では宮仕えする前には母親と和解をしていましたが、この作品ではもっと後。そう、ある意味、母と娘の物語でもあります。そうなると、平安時代も、今の令和の時代もあまり関係なく、これまで見えてこなかった母親像が同じ職業に就くということで、明らかになっていくというのは1000年の時を超えて一緒であることを映し出しています。しかし、本書は決して、作者による勝手な解釈で脚色された宮中世界ではなく、史実であるところはそれにそって描かれていますので、より大河ではどの場面だったかということも照らし合わせながら読むことが出来ます。そして、この作品の名誉にかけてお伝えしておきますが、出版されたのが、今から9年前。大河よりも8年も前のこと。今回のブームとは関係なく、作者は賢子に焦点を置いて作品を描いていることに驚きを感じ入りました。
今年の大河ドラマは1月5日からスタートですので、この読書ノートを目にされる頃には皆様の心は平安時代から江戸時代に切り替わっているやもしれませんが、その合間をぬって、賢子の活躍を楽しんでたいと思います。
=======文責 木村綾子
『日本語あそび学』
倉島節尚・監修 稲葉茂克 今人舎 2016年
この1年、NHK大河ドラマの影響で何かと平安時代(平安京)が取り沙汰される1年であった。書店では「源氏物語」「紫式部」「清少納言」「平安京」「平安時代」を冠とした本が軒並み平積みで並んでいるのを目にしたし、市内各所の図書館でも関連本が特集コーナーとして取り上げられていた。そのような訳で今年最後となる読書ノートの締めくくりもそれに乗っかることにした。
タイトルにある「日本語あそび学」とはどういうものなのか。簡単に言ってしまえば、「日本語を使っての遊び」ということになる。しかし、これはかなり回りくどい言い方である。手っ取り早く、本書で取り上げられている遊びをここに列挙する。「しりとり・あたまとり」「しゃれ・だじゃれ」「ごろあわせ」「早口言葉」「かけことば」「清音・濁音」「アナグラム」「ぎなた読み」「畳語」「オノマトペ」「山号寺号」「無理問答」「回文」とかけば、誰もがピンと来て、この中の幾つかは幼い頃、家族や友達と1度や2度やったことを記憶として思い出すのではないだろうか。それでは、これのどこが大河ドラマに乗っかることになるのか。
実はサブタイトルが「平安時代から現代までのいろいろな言葉あそび」となっている。単純に言えば、サブタイトルに「平安時代」が付いているからである。が、この言葉あそび、遊び方は誰でも知っているものの、その起源ということまで気にした人は少ないのではないだろうか。本書では遊び方だけでなく、そこにもきちと焦点を当てているのである。つまり、言葉あそびは「平安時代」からあったということが書かれている訳である。それだけではない、日本最古の回文として記録されているのが、なんと平安時代に活躍した藤原清輔が詠んだ短歌である。藤原清輔の祖父・藤原顕季は美濃守隆経の子で藤原実季に養子に入っており、その藤原実季自身、藤原氏本家から大きく外れているため、この1年もてはやされた藤原道長と血縁関係にはないと言える。しかし、清輔の家系は、祖父に始まる歌道の家系(六条藤家)であり、道長の六男・藤原長家を祖とする御子左家と競い合いながら、歌道を究めていった家系である。これだけでも、本書は立派に大河ドラマに乗っかっていると言えよう。百人一首の84番目に収められている「ながらえば またこのごろや しのばれん うしとみしよぞ いまはこいしき」は藤原清輔のものである。因みにこれは回文ではない。回文となっているのは、当人が書いた『奥義抄』という書物に載っている(当然、本書にも取り上げられている)。
もう1つ、平安時代との関連を挙げると、「しりとり」の起源がそれである。もともと、しりとりは室町時代の「源氏文字鎖」が起源であるらしい。これは、『源氏物語』の54ある題名を覚えるために、編み出された手法なのだそうだ。どのようにしりとり風に覚えていくかは、是非本書を手にして確認して欲しい。
回文としりとりを例に出したが、他の言葉遊びも同様に、その起源や現代に至るまでの流れが解説されていて、正直遊び方の項目を読むよりもこの部分が断然面白い。そして何よりもこれら遊びが1000年以上続いているということに驚きを感じる。是非この年越しの時に本書を手にして、今年最後の平安時代を「言葉あそび」で味わって欲しい。
それでは、良いお年を。そして、今年も一年間読書ノートにお付き合い頂きありがとうございました。
文責 木村綾子
『食べた!見た!死にかけた!「運び屋女子」一人旅』
片岡恭子・著 講談社 2019年
私自身が全く知らない職業(思いもつかない職業)というのがこの世にどれくらい存在するのであろうか。本書の著者もその一人。私は本書で「運び屋」という職業を知った。正式には「ハンドキャリー」と言うようで、少し前までは「クーリエ」と呼ばれていたらしい。著者の言葉を借りれば、「国際空港便で超急ぎの荷物を海外に配達する仕事で、その品物に関しての通関手続きをし、関税を支払い、ビジネスビザで渡航する完全に合法の運び屋」と言うことである。本書が出版された時点で運び屋としての年間渡航回数は35回前後で、年に3~4か月海外にいるばかりか、朝にアメリカから成田空港に帰って来て、その日の夜にカナダへ羽田空港から飛んだり、中国には3日に2回ほど通ったこともあるらしい。運び屋は時間の融通が利く自営業でこの仕事を兼業でやっている人が多いのも特徴のようである。このざっくりとした「運び屋」という職業の説明が「おわりに」に記されていた。
さて、本書。タイトルから見ても、「運び屋」という職業で、どの国に、どのような物を運ぶのかということが話の中心のようにイメージできるが、全く予想を覆される。確かに海外の話ではあるのだが、そこには一切仕事のことを出してこない。あくまでも著者が海外を旅した紀行文なのである。なのに、このタイトル。もしかするとこの旅行記で訪れた国が仕事なのかプライベートなのか、読者の方で考えろという挑戦的な本なのではないかとすら疑ってしまう。
しかし、この旅行記はそのようなことを考える余地さえ与えない程、ぶっ飛んでいる。あまりにもエピソードが濃いすぎると言えば分かりやすいだろうか。スペインでは窓のサッシに手をかけた瞬間に感電し、グアテマラから帰国直後にアメーバ赤痢に感染したことが判明。その原因がどうも飛行機の機内食というから目が当てられない。パタゴニアに紅葉狩りに行き、吹雪に見舞われ低体温症。メキシコ及びラテンアメリカでの信号機のルール、「赤信号で止まるな!注意しながら進め」。フィリピンでは気の長い強盗に連れ去られた話。このようなエピソードは序の口である。しかもここでは国名しか挙げていないが、実際はその国のなぜそのような場所に行ったのか、読み手はただただ謎に振り回される。それこそ仕事なのかプライベートなのか(そこに行った理由が書かれてあることも時々あるにはあるが)。
それでも、やはり実際に訪れた人しか気が付かない問題を提起してくれている。ペルーでの先住民族の住んでいる村を訪れた時の話。そこの村人が観光客の顔を見るなり、服を脱いで踊り出し、またガイドに連れられてきた観光客はその村の集会所のようなところに連行されお土産物を買わされていたという。著者自身は1人で訪れたためにそのようなことはなかったが、それでも村人に囲まれたために、お土産物を買ったらしい。彼らからすると次にいつ来るかわからない貴重な現金収入源というのが村人の一連の行動の理由である。著者はこれらのことをこのように書いている。「今も未接触民族を空撮したニュースを見かけるたびに、裸踊りを観光客に見せるような卑屈な文明化をすることなく、ジャングルの中でお金の心配をすることなく、彼らが天寿を全うすることを願っている(p82)」。
近年「多文化共生」と言われているが、これは「異なる国籍や民族の人々が、互いの文化的違いを認め尊重しあい、対等な関係を築きながら地域社会の一員としてともに生きていくこと」である。ここにある「ともに生きていく」というのは「積極的に手を取り合い」という意味合いを強く感じるが、著者が記してくれたことから考えたのは、「何もせずにそっとしておく」ことの必要性も重要なのではないかということ。外から入って来た近代文明を持ちすぎた民族からの外貨により先住民族の文化が荒廃していくことが果たして「多文化共生」なのだろうか。ハチャメチャなエピソードの中にこのようなことを問題提起を至る所に散りばめきているから本書は侮れない。
======文責 木村綾子
『京街道』
上方史蹟散策の会 編 向陽書房 2012年
「東海道五十七次」という言葉を知ったのは、何を隠そう今月のことである。11月2日から2夜連続で放映されたNHKの番組「ブラタモリ」で、である。ご覧になった方もいらっしゃるのではないだろうか。江戸日本橋を出発し東海道をひたすら西に歩いていくのは京都に入るまでは変わらない。現在の京都市山科区と大津市の県境、京阪京津線の追分駅の少し南、山科区屋敷町にその分岐はある。直進(西)すると誰もがなじみのある東海道五十三次のゴール三条大橋に繋がる。そして左(南)に曲がる(現在の府道35号線)とこの東海道五十七次となり、ゴールは大阪高麗橋である。この番組を観ている最中、忘れもしない11月3日、図書館で何気に京都の郷土史を扱うコーナーを見渡していたら、目があってしまったのが、本書である。まだ放映中であったため、喜び勇んで連れて帰ったのは言うまでもない。しかし、出会うまでこのことが本となっていることすら知らなかった。
さて、本書であるが、これはタモリさんとは逆に大阪高麗橋から京都に向けて歩いたものが解説されている。しかし、本書は解説本ながら、前回の読書ノートで紹介した『呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック 令和版』とは逆に旅のお供にしてもとっても役立つガイドブックでもある。地図は略図しか掲載されていないが、文章でこの街道のコースを示しているのである。例えば、東海道五十七次最後の宿場町守口宿を出てから京都方向に進む場合、「一里塚跡から、府道北大日竜田線の北斗町バス停付近に出て、北本通郵便局から北へ1ツ目の辻を北西に京街道はつづいているが、突き当りの三差路を右に曲がり、ふたたび府道・八雲バス停の辺りへ。しばらく自動車道を歩き、守口東高校を過ぎてまた府道から西にそれ、八雲公園、八雲小学校の西側の道に沿って正迎寺へと街道は向かっている。このように、京街道は守口宿瓶橋から『上の見付』を経て湾曲して正迎寺にいたるが、これは宿場を守るためにわざと蛇行させたものだ。(p45)」のようにである。これは出版当時のものなので、今は少しランドマーク的なものが変わっているかもしれないが、文章通り歩けば、間違いなく東海道五十七次の京街道を歩けるのである。しかも、それだけでなく、その街道のランドマークとなるものについての解説はしっかりと記されている。
東海道五十七次の整備を命じたのは徳川家康である。その理由は大名が京都に入って朝廷と接触するのは好ましくないからだという。追分から五十四次の伏見宿、五十五次の淀宿、五十六次枚方の宿、五十七次の守口宿、そして高麗橋のまでの総距離44.8km(京街道)を整備する中で、以前に豊臣秀吉が築いた堤防や城下町などを活用しており、徳川家康は自分の手腕を庶民や他の大名に見せつける絶好の機会ともなっていることに気が付く。そしてこのことが全く平穏とは言えないまでも安定した江戸時代となった一端であることは否めない。
私事であるが、一昨年の春、山科区にある牛尾観音参詣のため、五十三次と五十七次の分岐の場所にいたのである。そして、間違いなくこの石標を目にし「立派な石標だなー」と思ったのを記憶している。しかしまさかこれが東海道の重要な分岐点とは思わず、その場を後にした。この史実をもう少し早く知っていれば、この石標に刻まれた意味を深く考えながら眺めていたかと思うと少々悔やまれる。
文責 木村綾子
『呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック 令和版』
奥本剛・著 潮書房光人新社 2023年7月
9月末に帰省した際、駅ビルに入っている書店で本書が平積みで置かれているのを目にした。関西でもそうであるが、郷土がテーマとなっている書籍はその地域でないとなかなかお目にかかることはない。本書はそれに属するものとは思われるが、それでも何冊も平積みになっているということは広島ではかなり売れ行きが良い書籍でないかと思い、自宅に戻ってから読んでみた。
タイトルには「ガイドブック」となっているが、一般にイメージするガイドブックとは一線を画する。本書を地図代わりに旅に出ても到底役には立たない。確かに戦争遺跡を「ガイド」するという意味合いではあるが、「ガイド」というよりは「解説本」と言った方がしっくりとくるものである。
明治19(1886)年、呉市に海軍の鎮守府が置かれ、広島市は呉市と同様明治19年に陸軍第5師団が置かれ、更には明治27(1894)年には日清戦争大本営として首都機能が一時的に広島城内に置かれるという「軍都」として発展している。勿論、地元の人間としてはその遺構があちこちに残っていることは知っていたが、本書を読むとその「知っている」はあくまでも有名どころ、いわば観光地として表に出ている部分だけであることに軽い眩暈を感じた。しかし、全く知らなかったというものではない。余りにも近い存在だったために、意識しなかったと言った方が正確かもしれない。例えば、ある山の山頂に置かれた防空砲台。この山は私自身、小学校の時にしばし遠足で登っていた山である。そして同級生と一緒に市内の街並みを堪能していたその展望台が防空砲台だったのである。つまり、展望台としては、その形状や大きさなどを記憶しているが、それが砲台だったということは知らなかったのである。改めて本書でその写真を見ると、間違いなく自分が記憶している展望台である。このような遺構が本書で数々と明らかになったのである。
上記のようなローカルなものだけではない。世界遺産となっている厳島神社のある宮島にも多くの戦争遺構が残っている。しかも崩壊することもなく綺麗な形で現存しているものも多い。神の島だから、関連施設が守られたのかと思わず皮肉を言いたくなるほどである。いや、神の島にこのようなものを建造するあたり、やはり戦争は狂っているとしか言いようがない。
先にも述べたように本書は広島県内湾岸部における戦争遺構の解説本である。その遺構が何のために建造し、利用されたのか。そして、施設そのものの意匠的に至るまで、現在の写真だけではなく、当時の地図や配置図などを掲載して詳細を説明している。一地域における戦争遺構をこれだけ一挙にまとめたものは珍しいのではないだろうか。
関西に住むようになり、しかもここ数年毎週のようにお山に上っている私は、「山」と言えば信仰の対象、突き詰めれば平和の対象であったが、自分の生まれ育った場所の「山」がこんなに軍事施設で埋まっていたことに正直絶句している。
=======文責 木村綾子
『犬が看取り、猫がおくる、しあわせのホーム』
石黒謙吾 文・写真 光文社 2023年
2022年にNHKで放送された、犬や猫と入居者が一緒に暮らす特別養護老人ホームのドキュメンタリー番組を視聴された方はまだ断片的にでも内容を覚えてのではないだろうか。その番組では彼らが入居者と一緒に暮らしているだけでなく、死期が迫った人に寄りそう犬や猫の姿が映し出されていたはずである。この番組に感銘を受けた著者は、すでに施設長がこの施設に関する著書を出しているにも関わらず、それでも自分の手でもっとこのことを伝えたいという思いが募り、施設長の許可を受けた上で、取材し1冊にまとめたのが本書である。
改めて「人間の死を看取る犬」のことをここで紹介する。この施設の1期生として迎え入れられたミックス犬の文福がその犬である。入居者の死期が近づくと、だんだん側にいようとし、亡くなる3日前あたりからは入居者の個室のドアから離れず、室内を向いて座り、その時が近づくと、ベッドに横たわる入居者に寄りそい、顔をなめ、見守り、最期を看取るのだそうである。偶然ではなく、本書が出版された2023年現在で20人以上の人を看取っている。また、実は文福だけでなく、ここの施設の別ユニットに住んでいるトラ(猫)も同じ行動を起こしている。エビデンスはないものの獣医師の見解によるとこの二匹は保護される前、過酷な環境下で、かつ仲間たちが亡くなるすぐ横に常にいたため、死期に発せられる匂いを認知しているのではないかというものであった。
しかし、本書はこのことだけに重点を置いているのではない。老人ホームであるが故にそこで亡くなる入居者が大半であるが、当然犬猫たちも年を取り、この施設で虹の橋を渡ることになる。その時には、入居者が彼らを看取るのである。その命のやり取りを施設での日常生活から伝えているのが本書なのである。取材をした時の様子を克明につづりながらも、何よりもたくさんの写真を掲載することで、入居者と犬猫たちの交流がとても温かく伝わってくる。
本書では数多くのエピソードが紹介されている。認知症を患っても飼い犬のことだけは忘れずに世話をしようとして同伴入居となった人、逆に骨折して入院したために認知症が一気に進み退院してきたものの、愛犬の存在すら記憶の外となってしまった入居者が1年かけて愛犬の名前を呼ぶまでに至った出来事、犬や猫同士の交流。どれを切り取っても心がほっこりするエピソードばかりであるが、これはこの施設での特別な話ではない。恐らく高齢者の自宅でも犬や猫たちがいる場合、表に出てこないだけで、飼い主が病気や事故などに遭わなければ同じような心温まる日々がそこにあると想像するのである。しかし、年を重ねるとどうしても人も動物の不具合が出てくる。それをサポートしてくれる施設が今回の舞台となった施設だっただけである。しかし、このように犬や猫が一緒に住まう施設というのは2023年の時点でも全国で3か所のみである。これには、すでに社会問題にもなっているように福祉業界が人手不足という部分が大きいと思われる。低賃金な上に、配置人数が決まっているために、スタッフの増員が難しく、入居者のサポートですら手が足りていない現状で、犬や猫の世話など全く無理な話である。ある意味、こちらの意見の方が正しいとすら言える。しかし、人が動物たちと一緒に過ごすことで幸福度が上がるという研究調査もある。ペットの終生飼育が法律的に定められた今、今後の動物福祉のことも含めて、高齢者が住まう施設の在り方、そして福祉業界について改めて考える1冊である。
======文責 木村綾子
『富士下山ガイド』
岩崎仁・著 静岡新聞社 2024年7月
昨年、富士登山の人気はインバウンドにより、更に高まった。しかし、装備なく登る人も多く、事故やトラブルが相次いだため、今年は山梨県側で規制が設けられ、登山客は減少。しかし、連日の遭難事故の報道は変わらず多く、映像を視る限り山頂までの道のりは渋滞をしており、果たしてこれを登山と言えるのか、正直げんなりしている。そんな時に出会ったのが本書である。
目から鱗であった。富士山は山頂で迎えるご来光が美しいと言われ、多くがそのご来光を目的と、日本で一番高いところに登りたいという欲求で山頂に向かうものだと思っていた。つまり、「富士山は登る山」という固定観念があったという訳である。しかし、本書のタイトルにもあるように、車の侵入が許される五合目から下山しても、相当な距離を歩き、様々自然に触れ合うことが可能なのだ。なぜなら、五合目ですら標高が軽く2000mを超えているのである。そこから下山する醍醐味がないはずがない。私自身の最高峰は関西最高峰と言われる八経ヶ岳であるが、ここですら、若干2000mを切るのである。しかし、標高2000m弱の世界は明らかに下界とは異なっていた。本書の冒頭には次のように書かれている。
「私が提案している『富士下山』は、富士山を「下る」ことで新たな魅力を発見するトレッキングツアーだ。富士の登山道というと、岩肌が露出した無機質な光景を思い浮かべる人もいるかもしれない。だが、五合目から下には、我々の想像をはるかに超える豊かな自然が広がっている。砂礫地に生きるたくましい植物や、悠久の時を刻む巨木、溶岩を覆い尽くす瑞々しいコケ、そして懐に広がる青木ヶ原樹海や富士五湖。下るごとに次々と見える風景が変わっていくのは、標高差のある富士山ならではの楽しみだ。また、道中には石物や神社、朽ち果てた山小屋などが残りかつて同じ道を歩いた先人たちの営みが感じられる。こうした史跡を巡り、その背景にある信仰の歴史を理解していけば、富士山の自然や文化をどのように次世代へ継承していくべきか、自分なりに考えるきっかけにもなるだろう。(p6~7)」
ここに書かれていることは登山というよりも、私が週末に行っている「登拝」に近いものである。先人たちが残した軌跡を巡ることでそこに思いを馳せることのできる醍醐味を本書は余すところなく伝えてくれている。
本書はガイドブックというカテゴリーに入るが、コースに関する情報だけにとどまらず、写真集と見紛うばかりの画像がたくさん掲載されている。純粋に写真集として楽しむことができる1冊となっている。普段映像で映される富士山の風景とは異なり、画像だけ観ていたら、そこが富士山の一部とは思えない程、樹木が青々と生い茂り、山頂を目指すよりはるかに自然の営みを感じられる。本書を手にしてそう感じるのであるから、実際にそこを歩いた時はどのような感覚を得ることができるのであろうか。これまで富士山映像が流れるたびに足を踏み入れるのはよそうと思っていたが、2000m辺りから下りていくのは決して間違いではないなと思い始めた。山頂へ向かう人は渋滞中でも、下山する人はもしかしたら人っこひとりいない貸し切り状態かもしれない。そんなところで雄大な自然と先人たちの信仰に出会ってみたいと思った。本書は富士山の新たな魅力に出会うきっかけをくれる1冊である。
文責 木村綾子
映画『ラストマイル』
監督・塚原あゆ子 脚本・野木亜希子 出演・満島ひかり、岡田将生ほか
2024年8月23日公開
かつてドラマで放送された『アンナチュラル』『MIU404』と同一世界線上で描かれるという情報だけを楽しみに映画館へ足を向けた。私自身は『アンナチュラル』のファンなのである。スクリーンに『アンナチュラル』の人物が出てくるだけで満足のはずであったのだが、予想外の内容に『アンナチュラル』のことはすっかり忘れて見入ってしまった。
すでにこの作品はテレビで予告編が流れているため物流倉庫で起こった爆破事件の真相を追い求めていく内容であることだけは分かっていた。しかも前述したように過去のドラマ2作品に登場した人物たちが当時の役柄のままで出てくるため、てっきりエンターテイメントで埋め尽くされた作品だと思っていたのである。予想外というのは、まさにこの部分でエンターテイメント性はドラマ2作品の同一世界線であるというところのみであったこと。いや、それこそこの2作品もあえてというよりは、作品の流れ上必要な職種であったため、必要なのだったら改めてその世界を作り上げるよりは、かつてのドラマの人達に出てもらうほうがいいんじゃない?ファンも多いしという感覚に近いと感じた。
エンターテイメントでなければ何であるのか。少なからず、私は流通に関する経済学をこの作品で終始学ばせてもらったということから、予備校のオンライン授業とでも言えばよいのかもしれない。まさかテレビで流れていた予告編から誰が経済学を学ぶと思うだろうか。しかし、これは経済の話であり、現代の社会問題の提起なのである。この映画では物流倉庫が大半の舞台である。この物流倉庫は世界規模で大手の通信販売会社ものと設定されている。そこで爆発予告があったらどうなるのか。物流が止まったらどうなるのか。ピラミッドの頂点にある、通信販売会社本部(アメリカ)とその日本支社、そして物流倉庫。この物流倉庫から荷物を分配する配送業者の本部と配送担当地区のセンター、そしてそれを委託された配送業者。例え、爆発物があろうと物流の流れを止めてはいけないと倉庫のベルトコンベアの動きを止めようとしない物流倉庫までの通信販売会社側。そのしわ寄せがくる配送業者側。配送業者がいなければいくら通信販売でたくさん物を購入しても購入者には届かないのだが、そのパワーバランスは明らかに通信販売会社の方にあるいびつさ。また、倉庫で働く人は何百人もいるのに、これは全てアルバイト(非正規雇用)で正社員はわずか9人といういびつさ。この9人で何百人ものアルバイトをまとめていかなければならないばかりか、倉庫は常にコンピューターで稼働率がはじき出され、80%を切るとその倉庫の社員にペナルティが与えられる過酷な労働環境。そして、今回の爆弾事件はこの稼働率を下げてはならないということが全ての中心となってしまったことが発端であった。これまでほとんど表に出てこない流通の舞台裏に光を当てたのがこの作品だったというわけである。しかし、この光は決して希望が湧くような明るさではない。目をそむけるしかない閃光である。
そして、何よりもラストシーンに背筋が凍った。何が起こっても倉庫は稼働していかざる得ない状況で、バトンを受け渡された人物はその後どのようにして対応していくのか。それはこのバトンが映画の登場人物だけでなく、この作品を観てしまった観客全てにも渡されてしまっているということが、この作品の凄さであり、怖さである。タイトルとなっている「ラストマイル」は物流においてお客様へ荷物を届ける家庭の最後の区間を表す言葉である。
文責 木村綾子
『バリ山行』
松永K三蔵 講談社 2024年7月
第171回芥川賞受賞作。これまでの私なら全く手にしない作品なのであるが、何分にもお山に入るようになって、山関連の本が読める(理解できる)ようになり、今回の受賞作をうっかりと手にしてしまった。因みに私は単行本ではなく雑誌「文藝春秋9月特別号」を購入して読んだため、以下引用分のページに関しては、雑誌の該当ページとなることをご了承頂きたい。
「山行」とは一般的には登山することを指す。そして「バリ」とは「バリエーションルート」の略語で作中の言葉を借りると「通常の登山道でない道を行く。破線ルートと呼ばれる熟練者向きの難易度の高いルートや廃道。そういう道やそこを行くことを指す(p392)」。
私自身山に入り始めた頃は、明確な登山道となるルートをひたすら歩くことに専念していたため、このバリエーションルートに気が付かなかったのだが、回数を重ね周囲にも目を向けられるようになると、この「バリ」と思われる踏み跡の薄い道に、かなり気持ちがそそられていることに気が付く。しかし、それを現実にやってしまうと間違いなく遭難危険度は上がるので、予定ルートをひたすら歩くのであるが(それでも、分岐で迷って知らぬ間にバリ状態になっていることがある)、それが丸ごと作品のテーマになっているとなると、読む前から気持ちはかなりアップしていた。どのようなルートを歩くのか、何を感じるのか、遭難の危険性との兼ね合いを登場人物はどのように乗り越えていくのか、妄想がただただ膨らんだ。
が、思いっきりこの妄想を裏切ってくれた。非難覚悟で本作品を一言で片づけるならば、この作品は「男の物語」であり、今風に言えば「お仕事小説」である。というのも、主人公が「バリ」を行うのは、後半のたった1回。しかも、この「バリ」を週1で行っている会社の同僚がこの山行中に「本物の危機」について語る場面があるのだが、主人公はそれを「山の話」とし、半分も理解できないと感じるのである。主人公にとっての「危機」は会社が倒産するかどうかの方が「危機」なのである。そして、主人公は山の中で同僚がいうところの「本物の危機」に直面する。それでも、主人公にとっては「所詮遊びだ」と一蹴する。この感性をもった人物を主人公としているこの作品を「お仕事小説」としなくて、何と言うのであろうか。本書の帯には「純文山岳小説」と記されているようであるが、私のイメージする山岳小説にはほど遠い。
この主人公は古くなった建物の外装を修繕する会社に転職し、営業課に所属している男性であり、この会社の登山サークルを自分の社内の身の置き所としている。冒頭はトレッキングの場面から始まり、主人公がサークルで山行を重ねるうちに登山関連のグッズや、スマホを山関連のアプリや画像が増えていっていると語る場面もありながら、回想シーンも含めて主人公の会社の話題がやたらと多いというのも「お仕事小説」とする理由の1つでもある。そして、主人公から発せられる言葉の一つ一つがいかにも「男」を彷彿させるもので、私にとっては「男ってこんな考えなのか」と思わせるものが多く、いや理解できないことが多く、そのため「男の物語」と感じてしまうのである。男性の読者であれば、もしかすると全ての面において頷くのかもしれない。
しかし、これを決して非難している訳ではない。タイトルを目にして、過大妄想をしてしまった私が良くなかったのである。と同時に今ここまで「男」の気持ちを前面に出したストーリーがあっただろうかと思ってしまう。一昔前よりもジェンダーレスになってきたとはいえ、人の内面など分からない。それをこの作品では仕事の在り方を男の心情という切り口から覗かせてくれており、それはとても新鮮に感じるのである。もしかしたら、世の男性の本音はこの主人公と同じなのかもしれない。それを投影してくれているのだとしたら、それは確かな「純文学」だと思った。
========文責 木村綾子