『ジョーカー・ゲーム』
柳広司 作 角川書店 2008年
朝日新聞朝刊4月30日の読者欄に次のような投書が寄せられた。この投書を抜粋すると、「仕事上、戦前の日本の諜報関連資料に目を通すことが多いが、現在国会で取り上げられている『共謀罪』と戦前の『治安維持法』の類似点の多さに驚かされる。『治安維持法』は設立当初、この法律は一般の人には適用されないとされたが、法律制定後、運用は事実上警察に丸投げされ、一般の人が検挙され、取り調べの過程で殺されたり、そうでなくとも心身に傷を負わされている。そしてこの結果に関し、政府や官僚はその責任をとっていない。今の政治状況を見る限り、今回の『共謀罪』でも、過去と同じ過ちを繰り返すことは明らかであり、結果に対しても同様に誰も責任をとらないであろう。そのため、私は『共謀罪』の設立に強く反対する」というものである。この投書に関しては、ネットでかなり話題になったので、ご存じの方もいるのではないだろうか。
この投書を寄せた読者は作家、柳浩司さんである。今回取り上げた作品は彼の代表作とされ、2009年、第30回吉川英治文学新人賞および第62回日本推理作家協会賞を受賞している。
昭和12年秋。結城中佐の発案で、陸軍とは別に「情報勤務要員要請所(諜報員要請所)」つまり、スパイ養成学校(書類上「D機関」と呼ばれる)が設立された。この学校の受験者は陸軍士官学校の卒業生は皆無で、帝大をはじめとした一般の大学生で占められていた。訓練内容は数か国語の語学、政治経済論、自動車や飛行機の操縦法はもとより、刑務所から連れてこられたスリや金庫破りによる実技指導、ダンスや歌舞伎の技術、更には夜の街に繰り出しての夜遊びに至るまで多岐に渡り、ここの学生たち同士でも実名を明かさないという徹底ぶりであった。しかし、このD機関を快く思わない参謀本部は自分達がすでにスパイ疑惑のあるアメリカ人宅の捜索に失敗したことを押し付けるために、自分たちの失敗を隠したままD機関に捜索をさせる。アメリカ人があまりにも抵抗しないことに疑念を抱いたD機関は参謀本部の意図を理解する。そして、彼らはアメリカ人がスパイである証拠を日本軍人ならではの感覚の逆を突き、発見する。
これはこのD機関最初のエピソードであり、表題作でもある(現在「D機関シリーズ」として第5弾まで刊行。各巻、エピソードごとの短編となっている)。一般的にこの作品は、スパイミステリーと言われているが、文庫化にあたり、解説をしている元外務省主任分析官の佐藤優さんによると、「インテリジェンス・ミステリーという新分野を開拓した」として賞賛している。彼の言葉を借りると「インテリジェンス」とは「表に出ている情報から真実をつかむ技法」という。確かにスパイ活動は、表の情報から相手や対国がどのような言動を起こし、我が国に影響を与えるのかという情報を得るものである。ともすれば、この投書、「共謀罪」という表の情報から、本当の真実を、いや政府が本音のところで何を行いたいのかということを作者は見抜いたというにことになるのではないだろうか。そう言えばかつて、作家の赤川次郎さんも新聞の読書欄に投書して話題となった。作家が実名で、しかも職業を明らかにした上での投書はその影響力を考えても相当の覚悟のことであったと推測される。彼の投書と共にこの作品読んで、読者それぞれが「インテリジェンス」でありたいと思う。(文責 木村綾子)
柳広司 作 角川書店 2008年
朝日新聞朝刊4月30日の読者欄に次のような投書が寄せられた。この投書を抜粋すると、「仕事上、戦前の日本の諜報関連資料に目を通すことが多いが、現在国会で取り上げられている『共謀罪』と戦前の『治安維持法』の類似点の多さに驚かされる。『治安維持法』は設立当初、この法律は一般の人には適用されないとされたが、法律制定後、運用は事実上警察に丸投げされ、一般の人が検挙され、取り調べの過程で殺されたり、そうでなくとも心身に傷を負わされている。そしてこの結果に関し、政府や官僚はその責任をとっていない。今の政治状況を見る限り、今回の『共謀罪』でも、過去と同じ過ちを繰り返すことは明らかであり、結果に対しても同様に誰も責任をとらないであろう。そのため、私は『共謀罪』の設立に強く反対する」というものである。この投書に関しては、ネットでかなり話題になったので、ご存じの方もいるのではないだろうか。
この投書を寄せた読者は作家、柳浩司さんである。今回取り上げた作品は彼の代表作とされ、2009年、第30回吉川英治文学新人賞および第62回日本推理作家協会賞を受賞している。
昭和12年秋。結城中佐の発案で、陸軍とは別に「情報勤務要員要請所(諜報員要請所)」つまり、スパイ養成学校(書類上「D機関」と呼ばれる)が設立された。この学校の受験者は陸軍士官学校の卒業生は皆無で、帝大をはじめとした一般の大学生で占められていた。訓練内容は数か国語の語学、政治経済論、自動車や飛行機の操縦法はもとより、刑務所から連れてこられたスリや金庫破りによる実技指導、ダンスや歌舞伎の技術、更には夜の街に繰り出しての夜遊びに至るまで多岐に渡り、ここの学生たち同士でも実名を明かさないという徹底ぶりであった。しかし、このD機関を快く思わない参謀本部は自分達がすでにスパイ疑惑のあるアメリカ人宅の捜索に失敗したことを押し付けるために、自分たちの失敗を隠したままD機関に捜索をさせる。アメリカ人があまりにも抵抗しないことに疑念を抱いたD機関は参謀本部の意図を理解する。そして、彼らはアメリカ人がスパイである証拠を日本軍人ならではの感覚の逆を突き、発見する。
これはこのD機関最初のエピソードであり、表題作でもある(現在「D機関シリーズ」として第5弾まで刊行。各巻、エピソードごとの短編となっている)。一般的にこの作品は、スパイミステリーと言われているが、文庫化にあたり、解説をしている元外務省主任分析官の佐藤優さんによると、「インテリジェンス・ミステリーという新分野を開拓した」として賞賛している。彼の言葉を借りると「インテリジェンス」とは「表に出ている情報から真実をつかむ技法」という。確かにスパイ活動は、表の情報から相手や対国がどのような言動を起こし、我が国に影響を与えるのかという情報を得るものである。ともすれば、この投書、「共謀罪」という表の情報から、本当の真実を、いや政府が本音のところで何を行いたいのかということを作者は見抜いたというにことになるのではないだろうか。そう言えばかつて、作家の赤川次郎さんも新聞の読書欄に投書して話題となった。作家が実名で、しかも職業を明らかにした上での投書はその影響力を考えても相当の覚悟のことであったと推測される。彼の投書と共にこの作品読んで、読者それぞれが「インテリジェンス」でありたいと思う。(文責 木村綾子)