京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの『人生は七転び八起き』

2021年03月30日 | KIMURAの読書ノート


『人生は七転び八起き』
内海桂子 著 飛鳥新社 2020年9月12日
 
 正直、漫才師であった著者に興味があった訳ではない。著者について言えば、私が幼い頃から漫才の番組では必ず出演しており自分の中で存在は明らかだったことに加え、世の中で「桂子師匠」と呼ばれていたこと、漫才師ナイツの師匠であること、かなり年下の男性と結婚したこと、そして昨年98歳で亡くなられたこと程度の知識である。そのため本書を手にした理由は他にあった。『大家さんと僕』(2017年 新潮社)で第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞したお笑い芸人カラテカ・矢部太郎さんが挿画した表紙が目に留またためである。彼が手掛けた挿画が気になったのだ。それでも、理由はともあれ折角の本縁である。大正から令和までの時代を見続けた著者のひととなりを知ってみようと腰を据えてページをめくった。本書は生前、語り下ろした言葉を夫である成田常也氏が文章に起こしたものである。
 
 本書を読むだけで、著者の全てが分かったのかというと、正直分からないが、年を重ねても様々なものに対して興味を持ち、実行し、そして時には世間に対して厳しい見方で意見をするというかなりしっかりとした面と、想像以上にお茶目でウイットに富んだ人柄であることが少なからず本書からだけでも滲み出ていて、自分自身もこのように年を積み重ねたいなと思うと同時に、百歳近くまで生きると何か今以上に楽しいことが待っているのではないかとわくわくすることができた。何よりも印象的だったのは、「私くらいの年になると、若い素敵な男性に抱きついても、嫌な顔をされません。若いころよりも、簡単にイケメンと仲良くなれる。それだけでもウキウキします(p17)」。現在、ハラスメント発言が大きく世間を揺るがしている中、さくっとこのように言い切ってしまっても決してそれが不愉快に感じることはない。まさにこれが著者の人柄なのであろう。
 
 巻末には著者の年譜が掲載されている。これがまた圧巻である。著者に関わる出来事と同時に国内の主要な史実も列挙されているのだが、著者の年譜ではなく日本近代史の年譜と言ってもおかしくない。そして、何よりも年譜と同時に本中で味わって欲しいのは彼女の生い立ちである。現代の日本ではありえない小学校中退の話、戦争で戸籍が消失したために、現在の夫との結婚が初婚となってしまったことなど、大正から令和までの各々の時代と共に歩んできた著者だからこその軌跡がそこにはある。
  最初に本書を手にしたきっかけを記したが、挿画についても述べておく。彼が上梓した『大家さんと僕』に登場する大家さんは私の記憶が正しければ、終戦の時十代後半だったはずである。つまり、著者と大家さんはほぼ同じ時代を生き抜いたのである。そのようなことを読みながら思い出し、彼がなぜこの本の挿画に抜擢されたのか納得した。大家さんとゆっくりと、しかし深く信頼関係を結んだ彼だからこそのイラストは、笑いを誘う著者の姿ばかりであるのにも関わらず、温もりと深い敬意を感じることのできるものであった。本書はそこにも注目して欲しい。また『大家さんと僕』は先月3月24日よりNHKで深夜アニメ化され放映中である。

文責 木村綾子

 

 


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KIMURAの読書ノート 「あしたのことば」

2021年03月16日 | KIMURAの読書ノート


『あしたのことば』
森絵都 作 小峰書店 2020年
 
森絵都が児童文学に戻ってきた。いや、正確には数年前から再び児童文学作品を描くようになっていたことは知っており、自分自身のそれを手にしていたが、何分にも文芸作品として2006年に発表した『風に舞いあがるビニールシート』(文藝春秋)で直木賞を受賞。一昨年NHKでドラマ化された『みかづき』(2016年 集英社)では中央公論文芸賞を受賞し、私の中ではすっかり文芸作家に成り代わってしまったという印象を持っていた。しかし、森絵都は一般の文芸作品より、少年・少女を主人公とした児童文学作品の方が似合っていると私は勝手に思っている。本章は「ことば」ということをキーワードに8つの物語で構成されている。作者が紡ぐ少年・少女の「ことば」こそ、私が知っている森絵都の真骨頂であり、ひりひりとした、しかし不安定な子どもの内を表にさらけ出してくれる児童文学作品である。
 
表題作の「あしたのことば」は転校した先で自分が「転校生」から「仲間」になったと確信するまでを描いたもの。子どもたちが会話をする何気ない言葉には大人からは想像もつかない意味が含まれていて、それを敏感に感じ取る子どもたちの心情を「方言」という言葉を使って軽妙な形で綴っている。主人公の裕は「仲間」になったと受け止めたことばをタイトルになっている「あしたのことば」と表現しているが、それはタイトルからは想像もつかない単純なたった一言であることに読者は驚くのではないだろうか。しかし、それこそが森絵都の子どもに対する視線であり、温かさだと知ることになるだろう。
 
私自身がとりわけひかれたのは、「風と雨」という物語。クラスのとあるグループに所属していた風香はグループが分裂したのをきっかけにその分裂したそれぞれのグループには所属することをやめ、常に一人でいることの多い瑠雨と過ごすようになる。瑠雨はしゃべらない子でほぼ一方的に風香が話しをしているのだが、彼女のことをもっと知りたい風香はとある作戦に出るというもの。この物語は、章ごとに風香、瑠雨の一人称書きで綴られており、その場面のそれぞれの思いが詳細に描かれている。何よりも面白いのが、お互いの思っていることが、実は当人たちの思いとは全く違うところにあるということ。それでもなぜか心を通わせていて、エピローグはかなり微笑ましい終わり方となっている。子どもたちの心の内がすれ違っているということ、日常ではそれは子どもだけでなく、大人でもそうであるが、人生経験の少ない子どもたちの心の内は大人が思う以上にあらぬ方向に思いを寄せる。それを事も無げに物語でそれを当然のように表現し、かつそれでもハッピーエンドに矛盾なく仕立て上げ、読後に爽快感をもたらしてくれる作者の表現力は何ともいえない深みを感じる。
 

本書最初の物語である「帰り道」の初出は今年度版の小学校6年生の国語の教科書(光村図書)に採用された作品。なかなか教科書というものから遠くなった読者には、今の子どもたちが学んでいる教科書の作品がどのようなものなのか、ということを本書を手にすると知ることもできるいい機会ではないだろうか。


======文責  木村綾子


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KIMURAの読書ノート『ほんとうのリーダーのみつけかた』

2021年03月02日 | KIMURAの読書ノート


『ほんとうのリーダーのみつけかた』
梨木果歩 著 岩波書店 2020年7月
 
本書の表紙を見たとき思わず二度見してしまった。タイトルと著者が私の中で一致しなかったからである。著者、梨木果歩氏はルドルフ・シュタイナーに造詣が深く、「行きて帰りし物語」をそのまま絵に描いたようなファンタジーを紡ぐ作家というイメージがあった。それでも近年その部分をオブラートに包んだ作品となってはいたが、決して何かを訴えるような直接的なタイトルを付ける作家ではないと思い込んでいた。
 
ページをめくると本書を上梓する経緯が記されていた。2011年に理論社から出版された『僕は、そして僕たちはどう生きるのか』が2015年岩波書店から文庫化された節目に、出版社の方が若い人たちに著者が講演をするという企画があり、その時のメモ書きをもとに文章化したものだという。先ほど、彼女の著書は直接的なタイトルを付ける作家ではないと書いたが、私自身この作品が上梓されて間もなく手にしており、その時の自分自身の記録に「彼女の作品にしては(私が読んだ中では)、直球で現在の日本社会を浮き彫りにしています」(2011年10月19日記載)と書いていたことを見つけ出した。そう、この作品そのものが異色だったのである。そして、読んだ当時は全く気が付かず、本書を読むことで知ることとなったのが、この作品は吉野源三郎著の『君たちはどう生きるか』のアンサー作品として描いたものであるということである。その辺りの経緯も詳細に本書で綴られている。
 
それでも、ページをめくるごとに私は度肝を抜かされる。
●怖いのは、「みんな同じであるべき」「優秀なほど偉い」という考え方が当たり前のように場を支配しているのに、指導者が「みんなちがって、みんないい」と、その言葉のほんとうの意味も考えず、さして慈愛の気持ちも持たずに、型どおりにそれを繰り返していることです。(p14)
●大きな容量のある言葉を大した覚悟もないときに使うと、マイナスの威力を発揮します。~略~ こういう言葉遣いをするのは現代の政治家に多い。~略~ その結果、ほとんど真実でないことまで繰り出してくる羽目になってきた。私は、今の政権の大きな罪の一つは、こうやって、日本語の言霊の力を繰り返す、繰り返し、削いできたことだと思っています。(p15~16)
  上記引用したのは、全体のごく一部であるが、著者がここまで政府を痛烈にはっきりと批判しているとは、読む前は全く想像していなかった。それほど、著者は今の日本に対して危機感を抱き、憂慮しているのである。いや、「今の日本」としたが、これを語り綴ったのは今から6年も前のことである。逆に今、著者はこの日本社会をどのような形で見ているのだろうか。この間に日本のリーダーは変わったが、そこに決して明るい光を見出したとは思えない。6年前の記録を今、ここに上梓したこと。なぜ今、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を取り出したのか。わずか69ページの著書であるが、語る内容な深く重い。そして最後に彼女が出した結論。おそらく、読者以上に政府へ著者は届けたいのではないのかと、しみじみと感じた。

ーーーー文責 木村綾子


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