『川のほとりに立つ者は』
寺地はるな 作 双葉社 2022年
原田清瀬のスマートフォンが振動した。電話に出ると、とある病院からのものであった。「松木圭太」という男性を知っているかという内容。松木圭太は清瀬が半年前に分かれた元彼であった。病院に到着した時には、圭太は集中治療室の中で意識が戻らない状態。歩道橋の下でもう一人の男性と共に倒れていたということであった。圭太は何も持っていなかったが、唯一ポケットから出てきたのが圭太が住んでいるアパートの鍵。その鍵についていたホイッスルの中から出てきたのが、自分自身の氏名や住所などの個人情報を書く欄と緊急連絡先を書いた小さな紙片であった。そこに清瀬の番号が書いてあったのである。病院から圭太との関係性を聞かれ、つい「婚約者」と応える清瀬。一緒に階段下に倒れていた男性もまた集中治療室の圭太の横で意識を取りもどさずにたくさんの管につながれていた。圭太の鍵を持って、アパートに向かった清瀬。部屋に入ると自分の知っている圭太の部屋ではなくなっており、そこにはホワイトボードや折り畳みの机と椅子が置かれてあった。そして机の上には小学生が使うような大きなマス目のノート。そこには圭太のとは異なる幼い字が並んでいた。これらのノートの束を自分のカバンにしまい、机の上にあった圭太のスマートフォンを拾い上げる。そこから圭太の家族に連絡を入れるものの、そっけない返事。振り返れば元彼のことを清瀬は全く知らないことに気が付いた。なぜ、圭太は階段下にもう一人の男性と倒れていたのか。そしてノートの持ち主は誰なのか。圭太はアパートで何をしていたのか。たくさんの疑問が清瀬に襲いかかる。
この作品は圭太が持っていた『夜の底の川』という本の一節をあらゆる場面で用いつつ、清瀬と圭太の日記風の文章が時間軸を交錯しながら物語を展開している。そして、登場人物の清瀬と圭太だけでなく、そこでは様々な人間模様が繰り広げられている。その中で清瀬が圭太のアパートで持った疑問が一つ一つ明らかにされていくのであるが、決してそこでは明らかにされたことが全てではないという余韻を持たせた幕引きとなっている。物語の最後には『夜の底の川』での一文「川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない。」と綴られ、読者はノックアウトさせられる。ただただ、重い宿題を提示させられただけの感覚すら持ってしまう。
この作品をあらすじで示すときに、作品そのものに登場人物の背景まで盛り込ませてはいけないという無言の圧力を感じる。なぜなら、その登場人物を最初からその背景の視点のみの先入観で読者が見てしまうからである。もともと持っている背景だけでは語れないその人物を読者視点できちんと見て欲しいというのが、作者の本来の意図のように受け取っている。そして、読者自身が、何が正しくて、何が間違っているのかしっかりと自分の視点を持って登場人物や物語を理解することにより、先にあげた「川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない。」という言葉の重みに気付かされる。
清瀬が圭太に関する謎を解くという意味においては、ミステリーにカテゴライズしてもおかしくはないが、一般的にイメージするミステリーと比較するととても地味で作品そのものも派手さは全くない。それでも、2023年本屋大賞にノミネートされ、かつ京都市内の図書館では2024年5月23日現在、予約人数が123人と未だ書架に並ぶ気配がない。私自身、この作品の存在を知り京都市図書館で予約したのが、昨年の6月。そして手にしたのが先月5月の半ばであり、ほぼ1年後ということとなった。作品そのものは目立つ要素を完全に排除したものなのであるが、密かに人気本であるらしい。
====== 文責 木村綾子
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