京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURA の読書ノート 『在米被爆者』

2019年09月18日 | KIMURAの読書ノート
『在米被爆者』
松前陽子 著 潮出版 2019年7月

引き寄せられるようにこの夏は例年以上に戦争にまつわる本に目が引く。本書も偶然に入った書店に平積みになって置かれていたもので、そのタイトルに目を奪われた。

「在米被爆者」と書かれたそれは、一瞬誰のことを指すのか分からなかった。アメリカにいながら原爆に遭うとはどういうことなのだろうか。それとも原爆投下時に広島にいたアメリカ兵士のことなのだろうか、少ない知識しか持ち合わせていない私の脳みそがフル回転をした。本書によるとここで指す「在米被爆者」とは、「戦前日本で教育を受けるために来日して被爆した日系人や、被爆後、米国にいる日系人と結婚した配偶者たち」とのことであった。本書は、著者がアメリカに渡りこの在米被爆者を探し、当時の様子、アメリカに戻ってから、そして現在の生活などを聞き取り調査しまとめたものである。

在米被爆者が日本で生活をしている被爆者とはまた異なる経緯を現在まで至っていること、その声を知るだけでもかなり生々しく驚くことばかりであるが、何よりも衝撃的だったのは、「アメリカで生活している」というだけで、被爆したその後の保障やサポートを受けてないということであった。現在、2年に1回広島の医師団がアメリカに渡り在米の被爆者に健康診断を行っているが、医師団はアメリカの医師免許を持っていないために、直接診断を行わず、アメリカの医師にそれは託し、横で通訳を兼ねたサポートをしているという。しかし、ここに至るまでも長くて険しい道のりであった。また、日本国内の被爆者に対して医療費は無償であるが、在米被爆者に対するその支援がなかったということ。2005年になってようやく裁判でその権利を得ることができたが、それ以前にアメリカから日本の厚労省へ何度も陳情に行った在米被爆者代表の友沢さんの言葉を借りれば「大臣から職員まで対応は厳しかった」という。また、彼はこのことについて「韓国の被爆者は強制連行の影響で被爆し、ブラジルの被爆者は戦後、日本の移民政策で国を離れた。だから、国は負い目がある。でも、彼らにしたら、私らは『原爆投下国へ自分から行った』という思いがあるからでは(p76)」と吐露している。そうなのである。海外に住んでいる被爆者全てではなく、在米の被爆者だけが、日本政府からの支援を受けられなかったのである。この辺りの経緯が友沢さんの証言で詳細に語られているが、こうなると原爆を投下したアメリカの問題ではなく、日本政府の問題であることが明らかである。原爆によって被爆した人全てが被害者であり、その被害者が戦後住む場所は個人の事情である。それなのに、住む場所によって支援に違いがあるということ、しかも戦後の混沌とした時期ではなく2000年に入ってもその状況が裁判を起こすまで変わらなかったという現実。以前の読書ノートで戦争孤児が何ら保障がなく現在に至っている状況を知ったが、ここでも日本政府の福祉に対する軽視が露呈したように感じた。

また、彼らはアメリカに住むことによって、敵国の人間として差別や偏見を受けている。それでも現在、アメリカに根を張り、語り部として当時の様子をアメリカ人に伝える姿が本書では紹介されている。以前にも記したが、被爆者も年々減っている。彼らの苦しい体験を二度と繰り返さないためにも、彼らが安心してそれらを語り継げるようにそのサポートをするのが国の最低限の役割ではないかとひしひしと感じた。

=======文責 木村綾子

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