京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURA の読書ノート『東京六大学のススメ』

2018年08月21日 | KIMURAの読書ノート

『東京六大学のススメ』
東京六大学研究会 著 カンゼン 2016年
 
大学をカテゴライズして示す言葉として、「関関同立」「MARCH」「日東駒専」などあるが、これらは全て同じような偏差値を基準としてまとめられている。その中で、唯一偏差値でカテゴライズされていないのが、東京大学・慶應大学・早稲田大学・立教大学・明治大学・法政大学を一括りにした「東京六大学」である。本書はこの東京六大学を目指す人、いや、目指したくなる様に仕向けている進学ガイドブックである。
 
そもそもこの偏差値を超えた「東京六大学」は一体何なのか。私自身、この言葉を聞くと、大学野球をイメージするのだが、まさにこの言葉の出発点は学生野球リーグに由来するらしい。しかも、本書によると、この野球リーグは創設からすでに90年を超えるとのことである。1903年に行われた早慶戦が起点となり、その後に、明治、法政、立教、東大の順に加盟し、1925年に現在の六大学の体制で試合が行われ、現在に至るようである。このような経緯により、日本の野球を引っ張って来たという自負があり、そのまま六大学のブランドを刷り込んだと本書には明記してある。
 
さて、本書はこの六大学をそれぞれの視点から比較して、偏差値とは異なる六大学の魅力を語っている。第1章では前述した「六大学とは」ということも含め、それぞれの大学を個別に紹介。第2章は「数字で見る六大学」。偏差値はもとより、就職率や生涯賃金、犯罪報道まで、多種多様な数字が散りばめられている。第3章は「くそbot」として、自ら通っているそれぞれの大学のSNSにあげた自虐ネタを拾い集めている。在学生やOB、OGが自校をどのように捉えているのか垣間見ることができ、なかなかに面白い。そして、第4章は後述するとして、第5章。六大学以外から見る六大学。偏差値的には他大学(六大学以外)が高い大学と比較し、それでも六大学の方が勝てるという強気な理由がそこに述べられている(ex:慶應の商学部が京大に負けない理由)。……というような形で第11章まで本書は綴られている。第6章以降もなかなか一般的な進学ガイドブックでは取り上げられない内容となっており、ガイドブックというよりは、読み物としてかなり楽しむことのできる構成である。そして、第4章。もし、この章立てがなければ、私は本書をここで取り上げることはなかったであろう。ちょっと面白おかしい読み物的なガイドブックで済ませていたはずである。
 
その第4章のタイトルは「LGBTから見る六大学」。第4章以外の章立ても他のガイドブックではなかなか取り上げられることがないとは言え、それでも、どこかしらの雑誌の企画ページなどではありそうなテーマである。しかし、この章だけは、他の章とは異なるオーラを放っている。なぜ、あえてこのテーマをしかも、第4章という場所に取り込んだのか。それは著者が学生時代に経験した出来事に関係するようである。まず章の初めにその経験が5ページ半に渡って綴られている。そして現在の六大学のLGBTに対する活動や支援についての取り組みが紹介している。著者の調査によると、早稲田大学ではすでに1991年にLGBTのサークルがあったそうで、これらのサークルや団体は今や自分達の所属する大学構内だけでなく、国際的にも活動している。
 
本書は2年前に刊行されている(この夏の某国会議員の発言にのっかったものでないと言いたい)。著者の体験が起点になって本書の中に組み込まれたとは言え、少なからず本書を読む限り、「東京六大学」における「LGBT」に対する意識や認知というのは、ここ最近になって始まったことではなく、すでに身近な存在であることが分かる。六大学以外の大学の状況は分からないが、少なからず某国会議員よりは学生の思考は柔軟で、様々な文化に対応した学生生活を送っていることも見て取れる。そりゃ、著者が「東京六大学」をおススメするのは最もである。

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文責 木村綾子

 

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KIMURAの読書ノート 『お母さん二人いてもいいかな⁉』

2018年08月07日 | KIMURAの読書ノート


『お母さん二人いてもいいかな⁉』
中村キヨ(中村珍) 作 KKベストセラーズ 2015年
 
少し前からとある国会議員のSNSでの発言が話題となっていた。それはあくまでも当初はネット内だけのものであったが、7月半ばに発売された雑誌にその議員のLGBTに対する寄稿文が掲載されたことで多くの人にも知ることとなり、更に物議を醸しだしている。丁度、その時にたまたま手にしたのが、本書である。
 
本書はコミックエッセイの形で、作者の婦妻生活を描いている。しかし、作者はあとがきにも綴っているが、決して「LGBTが差別に負けないで子どもと家庭を得た」という啓蒙書ではない。誰でも経験する恋愛感情や三角関係、仕事のことを漫画家としての職業のため、それをネタとしている。いわゆる多くの異性愛者の漫画家が自分自身の生活やそれまでの経験を描くそれと全く変わらない。読者は同じ経験をしていれば共感するだろうし、もしかしたら、その逆の感想を持つかもしれない。そして全く自分自身が経験していないことであれば、知識として得るだけのことである。
 
それでも、今回本書を取り上げたのは、某国会議員が発言した言葉「生産性」、つまり「子づくり(子どもが産めるかどうか)」について、たまたま本書で記されていたからである。作者とパートナーの間には3人の子どもがいる。異性愛者(つまり一般的な男女のカップル)からすれば同性愛者の間には子どもは授かることはないというのが普通のイメージであろう。だからこそ、某国会議員もそのような発言になったのかもしれない。しかしである。作者はこのように語っている。「男女のカップルは双方合意して伴侶と作るけど、私たちは各自殖やしたければ、外で作れる」更に付け加えると、「伴侶に作る気がなくても、自分の子作り計画を一切諦めずに作れるのは女同士特有のメリット」と言っているのである。作者自身は、「仕事の関係で妊娠することは避けたが、欲しいのはパートナーの子である」と。そして、「子どもに関していえば、男性不妊、女性不妊があるため、異性愛者でも幸運が揃った人でないと叶わない」と。更にこの話には続きがあり、この疑問をぶつけた作者の友人は、自身の不妊が原因で夫と夫の実家に離婚してくれと頼まれて別れている。
 
この事例だけを見ても、某国会議員の発言には矛盾が生じることになる。本書からすれば、「生産性があった」のは、LGBTの作者たちであり、その友人の異性愛者は「生産性がなかった」ことになる。また本書から離れるが、とある芸能人の異性愛者カップル(日本の法律上、普通の夫婦)は海外で代理母という選択をし、血縁的には親子である。しかし、日本の法律上、実の親子となっていない。この場合、生産性は「ある」のか「ない」のか。とすれば、何をもって「生産性がある」、つまり「子作り」とするのかを根本的に考えなければならないだろうし、「生産性」という言葉をあえて議員が使うのであれば、LGBTに関してクローズアップする前に先の作者の友人や芸能人のようなケースをもっとバックアップすることが政治家の務めではではないのかと考えてしまう。
 
今回はこの発言と読んだ時期が同じだったために、この部分だけを紹介したが、先にも書いたように、このことも、仕事のことも、子育てのことも、犯罪被害についても(パートナーが被害を受けている)、等々どれも並列に描かれている。どこに焦点を置いて読むかは読者次第である。
 
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文責 木村綾子




 

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