京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『わたしは反対!』

2023年02月18日 | KIMURAの読書ノート

『わたしは反対!』
デビー・リヴィ 文 エリザベス・バドリ― 絵 さくまゆみこ 訳
子どもの未来社 2022年11月

サブタイトルは「社会をかえたアメリカ最高裁判事ルース・ベイダー・ギングズバーグ」。彼女はアメリカにおいて女性初の法律学教授のひとりとなり、更には女性では2番目、ユダヤ人女性としては初めて最高裁判所の判事となった人で、本書は彼女の半生を描いたものである。

本書を読みながらまず最初に気付かされたことは、あの「自由な国アメリカ」においても、人種差別だけでなく、男女差別があからさまにあったのだということ。例えば、1940年。ルースが子ども時代だったこの頃は「男の子には社会で活躍するようになってほしい。女の子は、よい夫を見つけるのが大事」という考えが主流。また彼女が小学校に上がった時は、文字を右で書くというきまりが学校にはあり、日本と同じように女子は家庭科を学び、男子は工作を学んでいた。1950年代、男子が500人、女子が9人という法科大学院に入り、首席で卒業したものの、彼女は就職先を見つけることができなかった。なぜなら、彼女は女性であるだけでなく、すでに子どもも授かっていたからである。この時のアメリカは「母親は仕事をするべきではない」という考えが流布していた。その後彼女はひとりの裁判官の下で働くことが可能となったが、女性は働いても給料は男性よりも少なく、大事なポストからはしめだされていた。しかも、そのことをアメリカの裁判所は認めていたのである。このような中でルースは女性の平等をもとめて「NO」と声を上げ、裁判で戦い続ける。それは右手で文字を書くように言われてきた時からのことである。

本書は絵本という形式をとっているが、まさにこの作品は「絵」が全てを語っているものとなっている。もちろん、文章は丁寧にそれを読むだけで、彼女の戦いもそうであるが、人としての魅力が十分に伝わるようになっている。しかし、それをはるかに凌ぐ絵の主張は圧巻である。「絵本」だからそれが当然という意見もあるであろう。しかし、とりわけ伝記を描く場合、その人物において誤った印象を与えないように、絵は文章を超えることなく、控えめに描かれていると私は感じていた。だが、今回は明らかに絵が物を言っているのである。それは明らかにルースの戦いを投影するものであり、どのページを開いても迫力満点である。そして、彼女の主張を絵本全体から発信している。読み手はそれを受け止めるだけで精いっぱいとなるであろう。しかし、それだけ彼女の戦いは過酷であったということが肌感覚で分かるのである。

ルースが最高裁判所の判事になってもこの戦いを続けていったのであるが、その中の成果のひとつが、3年後の1984年の最高裁の判決である。それはバージニア州立軍人養成大学への女性の入学を認めたというものである。ちなみに日本においては防衛医科大学校が1985年に、防衛大学校が1992年に女性の入学の扉を開放している。日本はかなりジェンダー意識が遅れていると思っていたが、アメリカとは大差ないのではないかと思ってきた。しかし、それは決して喜ばしいことではなく、女性がこうしてアメリカでも日本でも戦っているという現実そのものがまさに「NO!」なのであることを誰もが意識をしなくてはならない。それでも最後に本書の裏表紙に記されている彼女の言葉は金言だと思ったので、ここに引用する。
「大切だとおもっていることのためにたたかいなさい。他の人も参加してくれるようなやり方でね」

====文責 木村綾子


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KIMURA の読書のノート『ずっとのおうちを探して』

2023年02月05日 | KIMURAの読書ノート


ずっとのおうちを探して』
ギャリー・ジェンキンス 著 永島憲江 訳 国書刊行会 2022年

日本でも近年動物の保護に対しての意識が芽生えてきており、国内のあちこちで保護団体が活動している。本書は世界で最初にイギリスで誕生した動物保護施設「バタシー」の150年間の記録である。

このバタシーを創設したのは、メアリー・ティールビーという一人の女性である。彼女はある日知り合いの家を訪ねていったところ、そこのキッチンに横たわるひどい状態の犬を目にした。その犬を彼女は自分の家に連れて帰り看病したが、3日後に犬は息を引き取っている。この犬の死が彼女に大きな影響を与え、数日間から数週間のうちに「犬の救護施設」を建てる決心をしたと本書では記されている。このメアリーについての詳細はあまり知られていないどころか、写真も一枚も残っておらず、不明なことも多い。しかし、現実にバタシーは今も尚、動物保護施設として存続し、イギリスはもとより世界に多くの影響を与えているということは紛れもない事実であり、後世に残る偉業である。

150年と言っても、簡単にその歳月が流れていた訳ではない。創設した当時からの難問は資金面に関してであった。資金が調達出来る時もあれば、そうでない時もあり、それはその時々の時代により工面の仕方も変化している。また、たくさんの犬や猫を受け入れのため何度も引っ越しをしている。また2回の世界大戦という局面に対しても動物たちを裏切ることなく乗り越えてきた様子が克明に記されている。しかし、何と言っても最大の敵は「デマ」であろう。動物施設では生体実験が行われているだとか、狂犬病の温床になっているなどと言った、根も葉もない噂がこの150年の間に幾度となく湧いて出てきて、そのことでバタシーは何度も窮地に立たされている。そればかりか訴訟を起こさなければならなくなったこともある。それらの噂を完全に払しょくできたのは、創設から140年後のことである。

正直私は本書を読んで打ちのめされることの多い内容であった。イギリスにおいて、そして世界において最初の「動物保護施設」が創設した150年前のイギリスと日本を比較してみて、すでにイギリスにはその礎となるものがあったということを知ったのである。つまり、少なからずイギリスには150年前には「動物福祉」という言葉はなくても概念があったと感じたのである。その根拠になるものは、バタシーが創設されるより以前の1822年に「マーティン法」という牛を残虐な行為から守る法律が制定され、それを受けて1824年には「動物虐待防止協会(その16年後には王立となる)が設立されている。また、1854年には国会で犬の荷車禁止についての討議が行われている。日本においてはどうだろうか。動物の「保護」という観点に立って出来た法律は1970年代以降である。ざっと100年は遅れていると言っても過言ではない。日本もようやく、2019年に動物殺傷における厳罰化が実現されたが、イギリスの現在の厳罰は禁固5年であることに対して、日本は5年以下の懲役または500万円以下の罰金という事からまだまだ手ぬるさを感じざるを得ない。

そのように言っても超厳罰化したイギリスでも動物に対する虐待がなくならないのが現実である。もちろん、日本はそのスタートラインに立ったばかりであり、すぐに動物への虐待が収まるとは思えない。それでも、少しでも動物に関する意識が変わって欲しいと切に願う。最後に訳者の言葉をここに引用する。
「いま、若い世代を中心として、動物や自然環境に対する意識がさまざまな角度から変化しつつあると感じています。創始者メアリー・ティールビ―が抱いた『苦しんでいる犬を見捨てておけない』という思いからはじまったバタシー・ホームの理念に少しでも共感し、犬猫をめぐるあらゆる問題に関心を寄せ、暖かい思いを抱いてくれるひとがひとりでも増えてくれればと、願わずにはいられません(p438)」

========文責  木村綾子


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