京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURA の読書ノート 選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子

2018年09月18日 | KIMURAの読書ノート

『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』
河合香織 文藝春秋 2018年7月

2011年北海道に住む母親が羊水検査の結果を医師から誤って伝えられたために、ダウン症の子どもを出産したとしてその医師を提訴した出来事があった。本書は当事者の母親、周囲の人からの聞き取り調査、そして裁判の傍聴をして「命」と向き合った1冊である。

この裁判は全国紙でも大きく取り上げられ、日本初の「ロングフルライフ訴訟」ともなっている。「ロングフルライフ訴訟」とは、著者の言葉を借りると、「子どもが重篤な先天性障害を持って生まれた場合に、もしも医療従事者が過失を犯さなければ、障害を伴う自分の出生は回避できたはずである、と『子自身』」が主体となって提起される損害賠償請求訴訟」である。ちなみに、この両親が起こした訴訟時には、すでに子どもは合併症で亡くなっている。

本書のタイトル、そして最初ページをめくった時には、そもそもお腹の子の状態において、「選択する」ということに違和感を抱いた。しかし、読み進めていくと、分かるのであるが、結局のところ、提訴された医師への不信感が両親を裁判させる方向に追い詰めていることが分かる。いくら論理的な筋道を通した内容でも、法律を持ち出しても、たった一言があるかないかで、事態がここまで大きく変わってしまうということをしみじみと感じてしまう。

また、本章はこの訴訟だけでなく、この両親と同じように診断ミスのため、障害を持つ子どもを出産した家庭への取材も行われている。医師の誤診に対して同様に裁判を起こしながらも、生まれてきた我が子を育てた家庭、結局里親に預けた家庭、取材から通して見えることは、その家庭が我が子をどのような形で選択しても決してそこに「正解」があるわけではなく、そしてその家庭のその選択に対して否定できることではないどころか、その気持ちが分からなくもないということであった。それは、妊娠し、検査を受けた際の結果によって堕胎するという「選択」に対しても本書を読み進めると当初の否定的な感情が無くなっていた。それは、肯定するというものではなく、妊娠したことによって、検査をする
、しない、そして検査結果いかんにかかわらず、お腹に子どもがいる間、誰もが気持ちの大きな揺れを持ちながら、妊娠生活を送る。その揺れの中に「堕胎」という感情が芽生えたとしても決してそれは特殊なことではないのだ。そしてその感情が即決で実行に移すというものでもない。その「揺れ」の中で「新たな命」と向き合っていくのか、常に妊婦は考えていることを改めて思い出させられる。

更には、本書では、「選択」という観点から強制不妊手術に対して国家賠償請求を行っている人々にも話を聞いている。彼女たちは自分の意志ではなく、まさに「強制的」に10代の時に不妊手術を受けさせられており「選択」の余地すらない。しかし、ここでも著者の言葉を借りるのなら、当時は生まれる前に検査ができなかったため、その可能性を持つ母体に対して「予防した」という訳である。これらの背景には、法律的なことも絡んでおり、日本のこれらの法律的なこと、その歴史についても言及している。

一つの裁判から見えてくる「命」。著者とこの母親は言う「誤診という形でこの世にわずか3か月の生を受けた赤ちゃんは、命に真摯に向き合う姿勢を伝えるために誕生したのではないだろうか」。


文責 木村綾子

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KIMURA の読書ノート 『甲子園という病』

2018年09月03日 | KIMURAの読書ノート

『甲子園という病』
氏原英明 新潮社 2018年8月

「甲子園」という言葉を聞いて一般的には二つの事柄を日本人はイメージすると思う。一つはプロ野球阪神タイガースのホームグラウンドとしての「甲子園」。そして、春と夏、高校野球の全国大会場所としての「甲子園」。本書は、後者としての「甲子園」について論じているものである。

冒頭に著者の意見としてではなく、メジャーリーガーのスカウトたちが、この甲子園を取り巻く環境に対して表現している言葉を紹介しているが、これはかなり衝撃的である。「児童虐待」を意味する「child abuse(チャイルド・アビュース)」と言っているのである。野球の本場、アメリカでは少なからずこの甲子園に関しては好意的どころか、否定的な、いや、この言葉からすると「犯罪」と同列で見られていることが分かる。

その理由の一つが大会における投手の登板過多である。著者はかつて甲子園を賑わし、将来を嘱望されたものの、その後姿を消した選手だけでなく、当時その投手を指導した監督にその時の様子、現在の思いをインタビュー行っている。そして、そこから見えてくる現実。プロ野球選手という将来の夢を持って、幼い頃から野球に取り組む子ども達が「甲子園」という通過点でその夢を断たれてしまうことがあることは想像しないだろう。それどころか、「甲子園」は夢への近道だと教えられるはずである。だからこそ、まず野球少年たちは「甲子園」を目指すのである。

第三章では、プロ野球界で活躍した現在中日ドラゴンズの松坂大輔と元広島東洋カープの黒田博樹の高校時代を比較している。共にメジャーリーグでも活躍したばかりか、松坂選手は高校時代、登板過多ではあったが、決勝戦でノーヒットノーランを達成し、その記録は伝説化すらしている。しかし、著者は彼の野球人生においてそれが果たして「成功」と言えるのかと疑問を呈している。またここでは、現在メジャーリーグでプレイしている他の選手が甲子園時代に注目を浴びながらも、なぜ潰れずに現在着々とキャリアハイを積んでいるかについても触れている。ここに今後の甲子園の運営を考えていく上でのヒントが示されている。

今年の夏の大会は100回大会ということもあり、これまで以上に大会前からメディアを含め、甲子園は盛り上がった。しかし、その反面、その盛り上がりに対して一定数冷ややかな意見が例年になく見受けられた大会でもあった。決勝戦まで勝ち進んだチームの投手の1人は、今大会のみで881球を投げ、連日「不用意な外出を控えるように」というアナウンスが流れる天気予報の中での試合。その中で足をつって処置を受ける選手がありながら、決してそれを「熱中症」と報道しないメディア。まさか、著者もこの100回大会が、本書で自身が指摘した事柄の多くが表に出てくる大会になるとは思いもよらなかったであろう。そして、「児童虐待」と映っている海外の野球関係者は今大会をどのような目で見ていたのであろ
うか。

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文責 木村綾子

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