『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』
河合香織 文藝春秋 2018年7月
2011年北海道に住む母親が羊水検査の結果を医師から誤って伝えられたために、ダウン症の子どもを出産したとしてその医師を提訴した出来事があった。本書は当事者の母親、周囲の人からの聞き取り調査、そして裁判の傍聴をして「命」と向き合った1冊である。
この裁判は全国紙でも大きく取り上げられ、日本初の「ロングフルライフ訴訟」ともなっている。「ロングフルライフ訴訟」とは、著者の言葉を借りると、「子どもが重篤な先天性障害を持って生まれた場合に、もしも医療従事者が過失を犯さなければ、障害を伴う自分の出生は回避できたはずである、と『子自身』」が主体となって提起される損害賠償請求訴訟」である。ちなみに、この両親が起こした訴訟時には、すでに子どもは合併症で亡くなっている。
本書のタイトル、そして最初ページをめくった時には、そもそもお腹の子の状態において、「選択する」ということに違和感を抱いた。しかし、読み進めていくと、分かるのであるが、結局のところ、提訴された医師への不信感が両親を裁判させる方向に追い詰めていることが分かる。いくら論理的な筋道を通した内容でも、法律を持ち出しても、たった一言があるかないかで、事態がここまで大きく変わってしまうということをしみじみと感じてしまう。
また、本章はこの訴訟だけでなく、この両親と同じように診断ミスのため、障害を持つ子どもを出産した家庭への取材も行われている。医師の誤診に対して同様に裁判を起こしながらも、生まれてきた我が子を育てた家庭、結局里親に預けた家庭、取材から通して見えることは、その家庭が我が子をどのような形で選択しても決してそこに「正解」があるわけではなく、そしてその家庭のその選択に対して否定できることではないどころか、その気持ちが分からなくもないということであった。それは、妊娠し、検査を受けた際の結果によって堕胎するという「選択」に対しても本書を読み進めると当初の否定的な感情が無くなっていた。それは、肯定するというものではなく、妊娠したことによって、検査をする
、しない、そして検査結果いかんにかかわらず、お腹に子どもがいる間、誰もが気持ちの大きな揺れを持ちながら、妊娠生活を送る。その揺れの中に「堕胎」という感情が芽生えたとしても決してそれは特殊なことではないのだ。そしてその感情が即決で実行に移すというものでもない。その「揺れ」の中で「新たな命」と向き合っていくのか、常に妊婦は考えていることを改めて思い出させられる。
更には、本書では、「選択」という観点から強制不妊手術に対して国家賠償請求を行っている人々にも話を聞いている。彼女たちは自分の意志ではなく、まさに「強制的」に10代の時に不妊手術を受けさせられており「選択」の余地すらない。しかし、ここでも著者の言葉を借りるのなら、当時は生まれる前に検査ができなかったため、その可能性を持つ母体に対して「予防した」という訳である。これらの背景には、法律的なことも絡んでおり、日本のこれらの法律的なこと、その歴史についても言及している。
一つの裁判から見えてくる「命」。著者とこの母親は言う「誤診という形でこの世にわずか3か月の生を受けた赤ちゃんは、命に真摯に向き合う姿勢を伝えるために誕生したのではないだろうか」。
文責 木村綾子