京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート 図解でスッと頭に入る 紫式部と源氏物語

2023年10月18日 | KIMURAの読書ノート

『図解でスッと頭に入る 紫式部と源氏物語』
竹内正彦 監修 昭文社  2023年8月

来月1日は「古典の日」ということで、前回に続き、古典に関する本を取り上げます。本書は「図解でスッと頭に入る」シリーズの中の1冊ですが、いや、これを読んで頭にスッと入るかと笑いながらページをめくってしまいました。

オールカラーでイラストもふんだんに入り、源氏物語に入る前にまずは紫式部の背景についてドンと記されているのですが、相関図だらけでこれが異様に複雑で、幾ら可愛いイラストでも無理という感じでした。

まず最初に表れる相関図が平安後期の紫式部と藤原道長周辺の状況。紫式部が一条天皇の中宮彰子に仕え、清少納言が同じく一条天皇の中宮定子に仕えているというのは分かります。が、平安後期の出来事ですから、ここだけでなく、それ以前の花山天皇、円融天皇、冷泉天皇について誰が入内したのかとその入内した娘は誰の子なのか、一条天皇の後の天皇についても同様。もう、これは図解してあってもそこまではいきなり脳みそに入らないと思う訳ですが、そこに藤原家がずっと関与していたということだけは十分すぎる程分かりました。

そして、お次は藤原家の相関図。藤原不比等(中臣鎌足、つまり藤原鎌足の息子)からスタートしています。後宮サロンの相関図もあります。

もうこの時点でお腹いっぱいになる訳ですが、その後、今度は宮殿内の建物のイラストが表されています。誰がどこに住まわっていたかということが描かれている訳です。更には平安京の碁盤の目が記されていて、ここでは、紫式部の都内での動きが表されます。これに関しては現在の京都市内の地理が脳内に入っていれば、イメージしやすく、これまでの相関図や敷地内の見取り図による苦行からは解き放たれるかもしれません。

ここまでで、だいたい半分。その後ようやく源氏物語に入ってくるわけですが、光源氏の生涯を幾つかにわけて、相関図がその度に出てきます。もう光源氏は若き日から多くの人と関係を持ちすぎているため、相関図の複雑さにげんなりしてきます。そして、宮殿内の見取り図。更には都内での登場人物の動き。こちらも紫式部の時同様に現在の京都市内の地理がイメージできれば楽しいばかりですけどね。でも、一歩引き、俯瞰しておかなければならないのは、紫式部に関するこれらのことは一応現実世界。しかし、源氏物語はあくまでもフィクション。1冊に両者をまとめているため、どちらも現実世界のように思えてきます。いや、すでに現在の京都市内を散策すると五条上ル路地のところに「夕顔の居宅址」とか、高瀬川沿いには「六条御息所の住まい址」などという碑が建っているので、現在の京都市内がそもそも論として虚構の世界かも知れないなんてうっかりと思ったりします。それだけ、紫式部は1000年以上経っても一つの都市に莫大な影響を及ぼしている作品を残したという現実は圧巻としか言いようがありません。

年明けから始まるNHKの大河ドラマは紫式部がモチーフとなっていますし、まずは予習がてら本書を手にいてみるのはいかがでしょうか。

         文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『超訳古今和歌集』

2023年10月02日 | KIMURAの読書ノート


『超訳古今和歌集』
noritamamai 著 ハーパーコリンズ・ジャパン 2023年7月

夏前頃から書店では「超訳」となる古文の本があちこち平積みで配架されているのを目にする。以前から読書ノートでも取り上げ書いていることであるが、簡単に古文が読めるならそれに越したことはない。これまでは、古文の物語を読んできたが、今回は数ある超訳の本の中から和歌に手を出してみた。

そもそも「超訳」というのはどういうことなのか。本書にはこのように書かれている。

「超訳とは……原歌を現代語訳したものを、さらに意訳。2段階の訳を経て、読みやすくかみ砕いたものです。そのため、必ずしも原歌どおりに正しく訳すのではなく、意味合いを重視した訳になっています。
【原歌】⇒【忠実な訳】⇒【意訳】」(p6)

とりあえず、古今和歌集の中から誰でも耳にしたことのある和歌を取り上げてみる。まずは百人一首にも選ばれている小野小町の和歌。
「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
超訳になると、
「昔はかわいいかわいい言われて結構モテたんだけどな~」
確かこれを直訳すると「桜の花の色がすっかり色あせてしまったように、私の容姿もすっかり衰えてしまった。春の長雨が降り続き、私がもの思いにふけっている間に」のような感じだったはずである。しかし、超訳になるとこの歌を詠んだと思われる季節はあっさり削除。小野小町の想いだけを表に出したものになっているが、結局はこれがいちばん言いたいことだろうということがとてもよく分かる。それと同時に超訳だと、小野小町の時代も今の時代も考えていることが一緒であるということまで明確に分かってくる。

これを踏まえた上で、私が納得したり笑わせてもらったりしたものを幾つかピックアップする。

物部吉名
原歌:「世の憂き目 見えぬ山路へ 入らむには 思ふ人こそ ほだしなりけれ」
超訳:「転職してー てか、仕事したくねー でも辞めたら、嫁に殺されるー」

凡河内躬恒
原歌:「世を捨てて 山に入る人 山にても なほ憂き時は いづち行くらむ」
超訳:「あいつ、また仕事辞めたってよ もう行くとこないんじゃね?」

大江千里
原歌:「月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど」
超訳:「月見たら 泣けてきちゃうんだ ボクってほんと繊細」

壬生忠岑
原歌:「有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし」
超訳:「徹夜明けの月を見ると 振られたときのこと 思い出すんだよね ……(T_T)」

本書の超訳を読んでいて気付いたことは和歌を詠んでいる男性陣がかなり女々しいということ。でも、それを心にしまうのではなく、歌として気持ちを表に出しているのは何とも微笑ましくも感じるが、ふとこれって今のX(旧Twitter)と同じ手法。そう考えると「超訳」は突拍子な訳ではないということではないだろうか。

そして最後に、国歌「君が代」の元となった歌を紹介する。
原歌:「我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」
超訳:「たいせつなあなた 長生きして元気に暮らしてください あの小さな石が いつか大きな岩になる、その日まで」
素直に「国歌万歳」と思ってしまった。そして、この国歌の単純明快な想いに沿った政治を宜しくとも思う

=====文責 木村綾子


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