京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『カレー地獄旅行』

2017年02月23日 | KIMURAの読書ノート
『カレー地獄旅行』
ひげラク商店 作 パイインターナショナル 2017年2月

ユニークな経歴の絵本作家が生まれた。絵を描くことをそもそも生業としていたが、そのスタートは似顔絵師であった。しかし徐々に力をつけ、今では似顔絵師の枠を超え、鳥瞰図や各種看板・壁画と様々な場面での制作を行っている。とりわけ、作者の描く鳥瞰図は繊細でかつダイナミックで目をみはるものがある。その実力をかわれ、昨年は名古屋市鳥瞰図が名古屋市に寄贈され、それが市長室に飾られるという快挙を果たしている(現在も常設展示)。

そのような経歴の作者が描いたこの作品。帯には「きっと残さず食べたくなる。コワくて笑える激辛食育絵本」となっている。

カレーの大好きなみちひとくんはお母さんの作ったカレーを一口食べ、人参が入っていることに激怒。野菜をカレーから全て排除しようとしたところ、みちひとくんはカレーの中に吸い込まれていく。みちひこくんが気が付くと、目の前にはスプーンを持ったエンマ大王。みちひこくんへの裁きが始まる。その裁きの結果、地獄に落ちることになるみちひこくん。無事に家族のもとに帰ることができるのか。

何がすごいって、ここに出てくる地獄の数々。「包丁地獄」に「鉄鍋地獄」、「煮こみ地獄」に「清めルーの滝」。文字だと思わず吹き出しそうな地獄であるが、案外絵をみると、まさに「怖い」。出てくる包丁も炎も全てが大きくダイナミックに描かれ、昭和の匂いが漂うレトロ調の絵でありながら、妙にリアルさを感じさせてくれる。野菜を放り投げた位でこのような地獄に落とされるのなら、きっと食べた方がマシだと間違いなく小さな子どもたちは思いこんでしまうに違いない。まさに「激辛」。かと言って、これを読んだ子どもたちがトラウマになる程のものかというとそうでもなく、悪役であるエンマ大王や鬼たちは何とも言えないユーモラスな顔をしている。この絶妙なバランスがこの作品を楽しいものに導いている。「食育絵本」というだけあり、そこは教育的配慮となっているのであろうか、と無粋なことすら思ってしまう。ページをめくるごとに変わるみちひこくんの表情にも注目すること請け合いである。人というのはこんなにも恐れの中にも表情があるのかということを気づかせてくれる。作者の似顔絵師としての真骨頂であろう。

本作品は対象が3歳以上となっている。文章としては少し長いのであるが、これだけ表情豊かでダイナミックな作品であるため、3歳位の子どもでも十分に物語の内容が理解できる。絵を読ますとはこのことであろう。しかし、これはそれだけではない。読み手になることになる大人も意外なところで楽しめるような仕掛けが散りばめられている。例えば、物語最初のページ。みちひこくんの家の和室の背景。そこに貼られたり、置かれたりしている小物類の文字の数々。それは俄然大人心をくすぐるものとなっている。しかし、これが小さな子どもだったら、どうなのかという疑問は皆無である。成長するたびにその仕掛けを発見することになり、いつまでも手元に置いておきたくなるだろう。そして、見開きに描かれているカレー地獄の鳥瞰図は現在の作者の活躍を垣間見ることのできる一つの作品ということをここに付け加えておく。

作者はこの作品で絵本作家としてデビューしたが、ここに留まらず、彼が描く鳥瞰図のようにもっと高いところから「絵」を俯瞰し続ける作品を描き続けてほしい。

        文責*木村綾子

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KIMURAの読書ノート『学歴分断社会』

2017年02月15日 | KIMURAの読書ノート
『学歴分断社会』
吉川徹 著 筑摩書房 2009年

前回の読書ノートの中で「学歴分断社会」について言葉として軽く触れた。それについて深く論じられているのが本書である。

本書は、日本は現在、「経済格差」をはじめとする「格差」という言葉が流布して「格差バブル」とさえ言われているが、その「格差」の根源はどこにあるのか、きちんと述べられていないのではという提起から始まる。そして人生のその格差の分岐点を探すと、18歳という年齢が見えてくると指摘している。その理由として、高校がほぼ義務教育化状態になった上、大学全入時代と呼ばれるようになったにも関わらず、大学進学率が50%ということ。つまり、大学に行きたいと高校生が望めば全員入学が可能になったにも関わらず、それを望む高校生が半数しかいないというのが、その分岐であり、「分断」であるというのが著者の主張である。そして、このラインを「非大卒/大卒」と分け、様々な調査をしている。その結果として、「格差」としての貧困問題、雇用問題などが見えてくる。

さらに、ここでは、本人のスタートラインを考える上で、自分自身の分断ラインではなく、親の学歴に注目して考えるべきではないかと述べている。親が「非大卒」であると、「非大卒」つまり「高卒」でも構わないと考えるし、「大卒」であると、子どもが大学進学を願う傾向があり、それは世代間に受け継がれる。そして、このことは学歴だけではなく、文化・職業・経済力の4分野に渡ってくる。こうして世代間関係が固定されてしまうことを著者は危惧している。そのため、子の世代がこの世代間関係から脱却したい時に、チャンスを与える政策が必要であると指摘する。

しかし、この「学歴分断」ラインはそればかりではない問題も含んでいる。バブル経済が破綻して以降、雇用情勢の悪化は「大卒」の人にも襲ってきた。そのために、日本で起こった出来事、それは「非大卒」の人たちが得ていた職業に、「大卒」の人が押し寄せ、「非大卒」の人たちをところてん式に押し出してしまったことである。公務員の「高卒」枠に、大卒の人が「高卒」と偽って採用された問題を覚えている人もいるのではないだろうか。ただ、職業を受け継ぐだけでもリスクは高いが、それでもそこでの「安定性」というものがあったが、雇用が流動化してしまった現在において、「非大卒」は更に下層へ流れてしまうリスクがあるのである。

そこで著者は、このラインを上下関係としてみるのではなく、水平関係としてみるように心がけるだけでなく、異なる社会的役割を果たしながら、お互いに支え合う分業関係にあることを忘れてはならないとして締めくくっている。

これらのことが、前回の読書ノート『下剋上受験』の著者が最も伝えたかったこととつながってくることが分かる。負のスパイラルからの脱却を目指した親の思いが本書を読むことにより、更に伝わってくるのではないだろうか。 (文責 木村綾子

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