京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURA の読書ノート 映画 『新聞記者』

2019年07月15日 | KIMURAの読書ノート



『新聞記者』
望月衣塑子(『新聞記者』角川書店)原案 藤井道人 監督・脚本
シム・ウンギョン 松坂桃李 出演 2019年6月28日公開
 
東都新聞社社会部に勤務する吉岡エリカ(シム・ウンギョン)。ある日、その社会部に「医療系大学の新設」に関する極秘の公文書が匿名のファックスが送られてくる。内部リークされたものなのか、誤報を誘発させるものなのかエリカは調査を始める。同じ頃、外務省から内閣情報調査室(通称:内調)に出向している杉原拓海(松坂桃李)の下に外務省時代の上司である神崎俊尚から連絡が入り、二人は5年ぶりにお酒を酌み交わす。その数日後神崎はビルの屋上から身を投げる。独自の調査で神崎が「医療系大学の新設」に関わっていたのではないかと推測したエリカは神崎の通夜の席で杉原と出会う。エリカの「私は、神崎さんが亡くなった本当の理由が知りたいんです」という言葉に、二人はそれぞれの立場で真相を追いかける。
 
この作品そのものが虚構なのか現実なのか。文科省トップの女性スキャンダルから映画は始まり、スクリーン内に映し出されるテレビ番組の討論会では、東京新聞記者の望月衣塑子氏や元文部科学省事務次官の前川喜平氏が実名で意見を交わし合っている。そして「医療系大学の新設」問題。更には、それぞれの問題がSNSで拡散されていく様子。知っている俳優さんが出ていなければ明らかにドキュメント映画だと錯覚してしまう程である。それでもこれは、完全なるフィクションというよりは、ほぼ現実に近いフィクションであるのだろうと推測する余地はそれなりにある。その根拠となる1つが、番宣である。韓国で数々の賞を総なめにしている実力派俳優のシム・ウンギョン、国内でもともと人気があり、ここ数年で俳優としての頭角を現した松坂桃李のダブル主演作品となれば、一般的に公開前はあちこちのテレビ番組で2人が番宣で出演してもおかしくないのであるが、これが全くの皆無であったということ。また、クランクインからクランクアップまでわずか2週間。内容が内容なだけに、どこからともなく圧力がかかったのではないかと私は勝手に思っている。これが、完全なるフィクションであれば、他の映画同様にあちこちのメディアで取り上げられていて当然であるし、もっと時間をかけて撮影に臨んでもいてもおかしくない。それでも、この作品が公開されるや否や、SNSや口コミで拡散され、公開11日目で興行収入2憶円を突破したと映画ニュースで報じられている。実際私は公開2日目に観覧してきたが、全95席ほぼ埋まっていた。
 
映画内でインパクトがあるのが内調の場面。実際の内閣官房のサイトには「内閣情報調査室は、内閣の重要政策に関する情報の収集及び分析その他の調査に関する事務並びに特定秘密の保護に関する事務を担当しており、内閣情報官のもとで、次長及び総務部門、国内部門、国際部門、経済部門、内閣情報集約センター並びに内閣衛星情報センターで分担し、処理しています。」と記されているが、映画内ではここでかなり世間に流れる情報の「操作」をしている設定となっている。実際ここのトップは内調のことを「火消し」と呼び、政府にとって不都合な出来事や噂はここから都合の良いように編集し、トップが言うところの「与党サポーター」に拡散している。ここまで映画で描写されると、これまでの現実に起きた様々な疑惑がなぜ立ち消されていっているのか、妙に納得させられてしまう。
 
『孤狼の血』で松坂桃李という役者について私は絶賛したが(2018年5月17日の記事)、それを上回る演技力をこの作品で彼は見せつけてきた。権力と家族、そして正義との間に板挟みにされた官僚の苦悩。みるみるうちに頬がこけていく姿に誰もが彼に自分を重ねていくのではないだろうか。そして、シム・ウンギョン。新聞記者として真実と権力の狭間に髪を振り乱し、必要な言葉を紡ぎだしていく姿に心を打たれるのではないだろうか。あるサイトで書かれてあったが、この役を最初は日本人の俳優さんにオファーしていたが、内容が内容だけに誰も首を縦に振らなかったという。しかし、この役はもはや彼女以外には考えられない程のはまり役であった。そして、松坂桃李とその事務所にはオファーを承諾してくれたことに敬意を表したい。
 
パンフレットの最後に監督は次のように綴っている。
「『これ、ヤバいですよ。』『作ってはいけないんじゃないか』という同調圧力を感じつつの製作過程ではありましたが、映画『新聞記者』は完成しました。皆さま、この機会にぜひこの映画にお心を向けて下さい。『映画こそ自由な表現を』の旗を掲げ、ご覧いただいた皆さまのご意見ご感想を糧に、映画『新聞記者』は前人未到の道を進んでまいります。」
 
奇しくも‪7月21日‬は参議院選挙である。

== 文責 木村綾子





 

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KIMURAの読書ノート『強制不妊』

2019年07月05日 | KIMURAの読書ノート
『強制不妊』
毎日新聞取材班 著 毎日新聞出版 2019年3月
                                              
2018年年明け。東北に住む一人の女性が国を相手取り、強制不妊をさせられたことに対する訴訟を起こしたことで改めて日の目を見ることになった「旧優生保護法」(以下優生保護法)。しかし、その実態を把握している人はなかなかいない。本書は毎日新聞が「旧優生保護法を問う」というキャンペーン報道として展開したものを1冊にまとめた壮絶な記録である。
 
私自身、本書を読み、ただただ啞然とした。戦後、日本は憲法で人権に関して保証されているはずなのに、
・障害を持っているという理由だけで、本人の同意なく強制的に不妊をさせることができたということ。
そしてそれが平成の時代、1996年まで続いていたということ。
しかも、強制不妊手術に関して、同意どころか、何の手術をしたのかということを当事者に知らせていないことも多々あるということ。
更に、それがエスカレートし、何の疾患もないのに、自分に不都合な人物だからという理由で、当事者をだまして手術をさせていたということ。
 

しかし、この法律の恐ろしいところは、もっと別のところにある。法律が制定されたことにより、この法律で行われる強制不妊に対して予算がつく。その予算のためのノルマが課せられ、それにより法律改定をし、より強制不妊の対象者を増やしているということである。つまり、「命」や「健康」を国の予算で操っていたということである。
 
女性が一生に産む子どもの平均数をあらわす合計特殊出生率が、当時過去最低の1.57であることが判明したのは1990年。これ以降、政府は「エンゼルプラン」などを打ち出し少子化対策を行ってきたが、その一方でこの優生保護法が生きていたという矛盾。となると、この少子化対策も国は、予算という名のもとに、子どもを商品として考えているのではないかと穿った目で見てしまわざるを得ない。
 
本書の取材班は、司令塔は東京にしたものの、北海道から九州まですべての本支社に担当デスクを置き、全国に散らばる被害者やこの法律に結果として加担する側となった医療従事者をはじめとする行政職員などへのインタビュー、そして当時の国や自治体からの資料を余すことなく吸い上げることができたことにより、この法律の実態を丸裸にすることを可能とした。
 
それでも、この取材を通して、「我が子に不妊手術を受けさせたい」と訴える現在成人を迎えた障害を持つ子どもの親からの訴えも取り上げている。その親の訴えは切実である。我が子が性的な犯罪に幾度となく巻き込まれそうになったこと。このことに関して我が子を守るためのサポートがないか行政をはじめとする様々な窓口で相談をしてきたが、支援を受ける体制が今の日本ではないということが明らかとなっている。取材班はこう綴っている。
 
「優生保護法下で不妊手術の可否を審査した精神科医らにも取材した。彼らは決まって「家族からの要請があった」と言った。家族が望んだ不妊手術だから医師だけの責任ではない、という弁明にも聞こえたが、(略)優生保護法の時代も、優生保護法が改定された時代も、障害者と家族が置かれた状況はそれほど変わらないのではなないかという現実だった」(p223)
 
弱者を取り巻く環境は「過去の話」ではないのである。

======文責 木村綾子

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