『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』
岡田麿里 著 幻冬舎 2017年4月
「あの花」とは、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』という2011年に本書の著者岡田麿里さんのオリジナル脚本のアニメであり、舞台となった埼玉県秩父市が全国のファンから訪れる聖地ともなった。
この作品は、仁太、芽衣子を始めとした6人の小学生が「超平和バスターズ」というグループで秘密基地を作るところから物語は始まる。その後事故により芽衣子はこの世から亡くなるのだが、高校生になった仁太の前に芽衣子が「自分の願いを叶えて欲しい」と現れる。仁太は芽衣子の姿を疑いつつも、疎遠となっていた他のメンバーと共に芽衣子の願いに奔走する。2012年、長井監督が芸術選奨新人賞メディア芸術部門を受賞。15回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品アニメーション部門に選出されている。
また、「ここさけ」は、『心が叫びたがっているんだ。』が正式タイトルで、上記「あの花」と同様岡田麿里さんのオリジナル脚本であり、「あの花」と同じスタッフで製作されたアニメである。舞台も同様に埼玉県秩父市。順は小学生の時、父親が母親とは異なる別の女性とラブホテルから出てくるのを見かけ、それが発端となり両親が離婚。その時に順に向かって父親が放った言葉から、順は話すことができなくなる。高校生になった順は、同級生とのコミュニケーションをメールやメモでしか取れず、「ヘンな子」扱いを受けていた。そのような中で、順は「地域ふれあい交流会」の実行委員に指名されてしまう。そして、決まった出し物はミュージカルとなるのだが…。第19回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門・審査委員会推薦作品。ブリュッセルアニメーション映画祭(フランス語版)(Anima)BeTV最優秀長編アニメーション賞受賞。
両作品とも学校になじめない子が主人公となっている。それが著者岡田麿里さん自身、小学生の時から不登校だったことに起因する。その実体験を赤裸々に綴ったものが本書である。「不登校」のきっかけは人によって様々であるが、それはそこに至るまでの小さなエピソードが積もったものであることが、彼女の一つ一つの文字から浮かび上がってくる。
「不登校」に至るまで自分自身に変革を起こそうと小学生の頃から「努力」をしているということ。とりあえず、学校に行こうとする姿を親に見せる毎日の儀式。年に数回登校する時、不登校になったことが逆に自由さを感じる点。それでも、学校に行けるようになればいいと、勇気を振り絞って登校することで、かえって後悔してもとの生活に戻ってしまうということ。周囲の言動が全て自分に対して投げかけられているように思い、その場から逃げ出してしまう衝動。今の職業について初めて「不登校の子どもを持つ親」の視点について考えたこと。不登校児はかつてのことであるのに、地元に戻ると出口の存在を見失ってしまう今。
読み終わると、「不登校」に至るまでの小さなエピソードは、人間不信になっていくそれであり、「不登校」はその過程の一つの現象であることが分かる。それでも、著者が今の職業に就くには「人」との結びつきが重なったという事実。そのきっかけもここでは詳細に綴られている。
本書は著者の作品とは関係なく、「不登校」であった一人の人間の記録として読みごたえのあるものである。本書を読むことで「不登校」とは無縁だと思っていた人も、自分の人間関係が彼女の歩んだ道とほとんど変わらないエピソードを持っていた(いる)ことも知っていくのではないだろうか。それだけ、「不登校」は日常の中にあることを教えてくれる。
文責 木村綾子
岡田麿里 著 幻冬舎 2017年4月
「あの花」とは、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』という2011年に本書の著者岡田麿里さんのオリジナル脚本のアニメであり、舞台となった埼玉県秩父市が全国のファンから訪れる聖地ともなった。
この作品は、仁太、芽衣子を始めとした6人の小学生が「超平和バスターズ」というグループで秘密基地を作るところから物語は始まる。その後事故により芽衣子はこの世から亡くなるのだが、高校生になった仁太の前に芽衣子が「自分の願いを叶えて欲しい」と現れる。仁太は芽衣子の姿を疑いつつも、疎遠となっていた他のメンバーと共に芽衣子の願いに奔走する。2012年、長井監督が芸術選奨新人賞メディア芸術部門を受賞。15回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品アニメーション部門に選出されている。
また、「ここさけ」は、『心が叫びたがっているんだ。』が正式タイトルで、上記「あの花」と同様岡田麿里さんのオリジナル脚本であり、「あの花」と同じスタッフで製作されたアニメである。舞台も同様に埼玉県秩父市。順は小学生の時、父親が母親とは異なる別の女性とラブホテルから出てくるのを見かけ、それが発端となり両親が離婚。その時に順に向かって父親が放った言葉から、順は話すことができなくなる。高校生になった順は、同級生とのコミュニケーションをメールやメモでしか取れず、「ヘンな子」扱いを受けていた。そのような中で、順は「地域ふれあい交流会」の実行委員に指名されてしまう。そして、決まった出し物はミュージカルとなるのだが…。第19回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門・審査委員会推薦作品。ブリュッセルアニメーション映画祭(フランス語版)(Anima)BeTV最優秀長編アニメーション賞受賞。
両作品とも学校になじめない子が主人公となっている。それが著者岡田麿里さん自身、小学生の時から不登校だったことに起因する。その実体験を赤裸々に綴ったものが本書である。「不登校」のきっかけは人によって様々であるが、それはそこに至るまでの小さなエピソードが積もったものであることが、彼女の一つ一つの文字から浮かび上がってくる。
「不登校」に至るまで自分自身に変革を起こそうと小学生の頃から「努力」をしているということ。とりあえず、学校に行こうとする姿を親に見せる毎日の儀式。年に数回登校する時、不登校になったことが逆に自由さを感じる点。それでも、学校に行けるようになればいいと、勇気を振り絞って登校することで、かえって後悔してもとの生活に戻ってしまうということ。周囲の言動が全て自分に対して投げかけられているように思い、その場から逃げ出してしまう衝動。今の職業について初めて「不登校の子どもを持つ親」の視点について考えたこと。不登校児はかつてのことであるのに、地元に戻ると出口の存在を見失ってしまう今。
読み終わると、「不登校」に至るまでの小さなエピソードは、人間不信になっていくそれであり、「不登校」はその過程の一つの現象であることが分かる。それでも、著者が今の職業に就くには「人」との結びつきが重なったという事実。そのきっかけもここでは詳細に綴られている。
本書は著者の作品とは関係なく、「不登校」であった一人の人間の記録として読みごたえのあるものである。本書を読むことで「不登校」とは無縁だと思っていた人も、自分の人間関係が彼女の歩んだ道とほとんど変わらないエピソードを持っていた(いる)ことも知っていくのではないだろうか。それだけ、「不登校」は日常の中にあることを教えてくれる。
文責 木村綾子