京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート 『ドードーをめぐる堂々めぐり』

2022年05月31日 | KIMURAの読書ノート


『ドードーをめぐる堂々めぐり』
川端裕人 著 岩波書店 2021年

すでに絶滅した鳥で思い浮かべることができるとしたら「ドードー鳥」ではないだろうか。『不思議な国のアリス』や、ここ近年では『映画ドラえもん のび太と奇跡の島~アニマルアドベンチャー~』で登場しており、17世紀に絶滅はしたもののかなり身近に感じられる鳥だと思う。その「ドードー鳥」であるが、絶滅間近の1647年(享保4年)に生きたドードーが日本の長崎・出島にやって来たということが書かれた論文を著者は目にすることになる。その生きたドードーはその後日本でどうなったのか。そのことが著者自身とても気になり、彼の言葉を借りれば「どんどん深みにはまり『堂々めぐり』することになった記録(p2)」が本書である。

「出島ドードー」について論文を発表したのはリア・ウィンターズ(オランダ:アムステルダム大学の図書館員)とジュリアン・ヒューム(イギリス:ドードー研究の中心人物・ロンドン自然史博物館)である(二人の共同研究)。著者はジュリアンに連絡を取り直接面会して、「出島ドードー」のその後の可能性について検討する。そして、彼はそれを日本に持ち帰り、全国の関係がありそうな機関から史料を借り、ドードーの行方を追いかけていく。ここから、すでに日本ではドードーに関して研究をしていた研究者がいたことや、出島の発掘作業のことなどが明らかとなってくる。これが第1章の内容である。

第2章はもう一人の著者リアを訪ね、欧州における「ドードー鳥」の行方を追いかけている。そして、ここでは最古のドードーのスケッチやオックスフォード大学、ロンドン自然史博物館に所蔵されているドードーの標本を目撃することになる。

そして、第3章。ドードーが生存していたモーリシャス島に著者は出かけ、ドードーの発掘作業に加わる。ドードーの化石(正確には亜化石)が最初に発見されたのは1899年のことである。今世紀に入っては2006年が最後の発見となっているが、すでに化石はボロボロの状態で、今後化石としてきちんとした状態で見つかることは難しくなるようである。それは化石のありそうなところには木の根が生えており、これが毛細血管ごとく縦横無尽に走り、それに抱かれるように化石があるため、すぐに骨が崩れてしまう状態なのだという。そして、著者はこれらのドードーに関わる経験をすることで、ドードーのみならず、すでに絶滅していった動植物や絶滅危惧種に思いを寄せるのである。

日本にやって来た1羽の「ドードー鳥」から、日本の鎖国時代の知られざる世界が見えたり、標本を巡る各機関の駆け引きなどをうかがい知ることができ、かなり興味深い1冊となっている。何よりも「出島ドードー」に出会ってしまったことで、日本国内だけでなく、世界各国を右往左往しながら移動し「堂々めぐり」をする著者の姿や、今も尚ドードーを登場させる作品が多くあることを思うと、どれだけドードーは人を魅了させる鳥なのか改めてドードーに思いを馳せてしまう。そしてそのドードーが今この世界にいないことがとても不思議である。

         文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『ボタニカ』

2022年05月16日 | KIMURAの読書ノート

『ボタニカ』
朝井まかて 作 祥伝社 2022年1月

牧野富太郎は、全国各地で植物を収集し、それを標本にした数は約40万枚と言われている。また、新種などの植物を命名した数は1500種を超える。そして現在でも書店には彼が作成した植物図鑑がずらりと並んでいる。そのような理由で「日本の植物学の父」と呼ばれた彼の生涯を長編小説という形で描いたのが本作品である。

彼の知られた功績とは裏腹に彼の生涯は傍目に見ればただただ荒唐無稽である。高知県の佐川村の裕福な造り酒屋に生まれた彼は早くに両親を亡くすものの、祖母により惜しみない愛情で育てられる。彼を将来の跡継ぎにと思い私塾に通わせ、望む本はどんなに高価なものでも買い与えていき、勉学に対する能力はすこぶる開花する。しかし彼の興味は植物研究に向かい能力はそちらで発揮させることになる。最終学歴は小学校中退であるものの、在野の研究者として東京大学理学部に出入りを許され研究をしていくが、その資金は全て祖母のふところからである。彼の研究費がかさみ実家の造り酒屋は廃業に追いやられ、借金も膨れ上がるが、それでも彼はただただ研究にあけくれる日々である。また地元で結婚するも、妻を実家においたまま東京での研究生活を続け、挙句には東京で知り合った若い女性と恋仲となり、彼女と再婚する。研究の方では東大の教授たちとの間に軋轢が生まれ、東大を追い出されることにもなる。それでも自らの研究の手を休めることは全くなく、更に借金は膨れ上がる。そのような中で救いの手が彼に差し伸べられるが、その人とも決別してしまう。

正直、「救いどころのない人」とはまさに彼のような人のことを言うのではないだろうか。しかし、彼が他者と大きく異なることはこのような人生を歩んでも研究の手を一時も休めることをしなかったということである。彼が本当に窮地に追いやられた時は誰かしらが救い、その人と決別しても、また別の人が窮地を救うという繰り返しなのである。決して彼の研究を止めさせてはいけないと天からの啓示があったではないかと思ってしまうほどである。

 私事であるが、私が大学時代の生物学の授業で真っ先に教授から購入するように言われたのが、『学生版 牧野日本植物図鑑』(1967年3月15日 北隆館)である。(※学生版は1949年が初版であるが、1967年に現代仮名遣いに変更のため、私のものの初版は1967年となっている)。教授はこの時にこれが他の図鑑よりもどれだけ優れているかということをこんこんと力説していた。しかし、写真ではない彼のスケッチした植物が掲載されていることにどれだけの価値があるのか当時の私たちには全く理解できなかった。しかし、この作品を読むことでようやく教授が言っていた意味が伝わった。今は処分しないで手元に置いておいて良かったとしみじみと思い、何よりもこれを授業のテキストにした教授には感謝している。そう真摯に思えるのも、この作品は荒唐無稽な彼の人生を描いているだけではなく、彼の研究がどれだけ科学的なもので、現在の科学につながっているのかということも丁寧に描かれているからなのである。

今年は牧野富太郎の生誕160年であり、来春NHKで放送される朝ドラは彼をモデルにした人物が主人公である。今後しばらくは彼からは目が離せなくなるだろう。

文責 木村綾子

 

 


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KIMURAの読書ノート『シリアで猫を救う』

2022年05月04日 | KIMURAの読書ノート

『シリアで猫を救う』
アラー・アルジャリール with ダイアナ・ダーク 著 大塚敦子 訳
講談社 2020年

4月23日ネットニュース(BuzzFeed)で流れてきた記事の1つに、ウクライナで動物保護に尽力する獣医師夫妻のことが取り上げられていた。この記事によると、ロシア軍のウクライナ侵攻が始まって2か月、彼らは飼い主が最前線に動員されたために置き去りにされた盲目のハスキー犬や飼育されていた市場の爆撃を生き延びた鳥たち、他爬虫類や両生類を含む小動物、また、鍵のかかったアパートに警察と出向いて、部屋に取り残されたペットを救出しているという内容であった。そして、4月25日のプライムオンラインでは、ウクライナで飼い主と離れ離れになった2000匹のペットを保護したシェルターの記事が配信された。これらの記事を読み、ホッとしたというのが正直な気持ちである。それはその直前に本書を読んだことが大きい。

本書は2012年「アラブの春」がシリアに波及し、シリアが内戦状態になった戦禍の中、負傷した人々の救出活動を行いながら、取り残された猫をはじめとした動物たちの保護と、シリア初の猫サンクチュアリを創設した著者の回顧録である。

まずは口絵を見てもらいたい。最初の写真は激しい砲撃で噴煙が上がったシリアの街である。そして、ページをめくると著者と行動を共にする猫やサンクチュアリで過ごす猫たちの姿がそこにある。それは戦禍の中とは思えない程、穏やかな顔をしている。どれだけ彼を動物たちが信頼しているか、それだけでも著者の人柄がうかがえる。そのため、うっかりすると内戦で混とんとした世界がそこにあることを忘れてしまいそうである。しかし、口絵が終わり、本文に入っていくとその過酷な世界がびっしりと記録されている。

彼はなぜ砲撃が繰り返される場所で保護活動を行うようになったのか。彼によると、もともとは父親の影響で消防士に憧れを持っていた。しかし、シリアでは「コネ」のシステムが働いており、彼が何度も申請しても通ることがなったようである。しかし、皮肉なことにシリアで内戦が起こり、自分の車が救急車変わりとなって人命を救助。それを行っている最中に出会った1匹の白猫を保護したのがきっかけである。それまでも、彼は人命救助のかたわら、置き去りにされた猫を見かけてはえさを与えてはいたらしい。しかし、彼の幼い頃の出来事において白猫の存在は大きく、結果、戦禍の中にいた白猫が彼の保護活動の引き金を引いたということである。

何もない平穏な日常においても保護活動と言うのはなかなかに大変である。その中において、自分自身がいつ砲撃を受けてもおかしくない状態で戦場を彷徨う猫や、被災し猫まで養えないと遺棄しようとしている人に対しても、何も言わずに黙って猫を引き取り保護していく彼の姿。戦闘地域から遠いところに創設したサンクチュアリが、戦争の悪化により砲撃を受け、犠牲となった動物たちが多数出る。それでも生き残った動物たちを連れ、また新たなサンクチュアリを別の場所に作っていく。彼だけの力でないことは確かであるが、何よりも彼の行動に賛同して彼の周りに同じ志を持った人たちが戦禍に集まることに、彼の人となりを感じる。

読後に思いを巡らせたのは、今のウクライナであった。きっとあそこにもたくさんの動物たちが飼い主を探して彷徨っているのではないだろうか。シリアのように誰かひとりでも動物たちに目を向けてくれる人がいればと思っていたところでの記事だったため、安堵を感じたのであった。

このように書くと「他人事のようだ」と思われる人も出てくるであろう。「他人事」とは決して思っていないが、戦禍の中に飛び込むことはできない。安堵を感じながら次に考えたのはもちろん、自分にできることは何なのかということである。それは「千羽鶴」ではないことだけははっきりしている。本書にはそのヒントが多く記されている。そして何よりも人だけでなく猫をはじめとした動物たちが安心して過ごせる世界になって欲しい。

=========  文責  木村綾子


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