『ロシア日記 -シベリア鉄道に乗って』
高山なおみ 著 新潮社 2016年7月
ロシアのウラジオストクから韓国を経由して日本の鳥取県境港市にフェリーが出ているのを知ったのはつい最近のことである。日本好きのドイツ人が母国ドイツから自らの旅のために手を加えた車(通称ネコバス)でユーラシア大陸を走って日本に来るという番組で、彼とネコバスはウラジオストクからそれに乗船して日本にたどり着いたのである。本書の冒頭、旅のスタートが彼とネコバスの逆をたどりウラジオストクに向かうことが綴られおり、俄然興味を持った。しかし、著者は前述のドイツ人とは旅の目的が異なり、彼女の愛読書武田百合子さんの『犬が星見た』(中央公論新社 1982)に記されたロシアへの旅の道筋をたどる旅であった。
残念ながら私はその著書に関して未読であるため、筆者のこの旅に対する思いをどれだけ重ね合わせることができるか心配であった。しかしそれは読み始めて杞憂であることが分かった。著者高山なおみさんは執筆家でもあるが、もともと料理家として名を馳せている人である。この旅には数多くの食べ物に関するエピソードが登場する。時折、文中には武田百合子さんが顔を出してくるが、それ以上にとかく食べる話が多い。身近な食べ物から、未知の食べ物まで、それだけで十分に心とお腹が満たされる。無論、前述の武田百合子さんの著書が克明に食べ物に関して記載されているようで、それが深く関係していることは疑う余地はない。
出発当日の羽田空港では「ぶっかけ温玉冷やしうどん」を食べたという一文が出てくる。正直、そこにはそれ以上のものはなく(つまり、味に関しての感想など)、ただ「食べた」というだけの事実だけがポンと置かれている。フェリー内でのバイキング方式での夕食。料理名だけでなく、その食材まで記されている。食べ物の話はページをめくるごとに加速する。ウラジオストクで最初の夕食。上記食材にプラスその食べ方が追加される。翌日はそれだけでは書き足りなかったのか、自分が玉ねぎ臭いことまで綴っている。シベリア鉄道に乗ると、更に拍車がかかる。停車駅では必ず下車して駅周辺の露店でロシアの家庭料理を購入。その時のトレイに並べられた料理の並べ方を一つ一つ書き記す。途中下車した町では地元の人の自宅で料理を学び、それらの合間合間にウォッカとビールを嗜む。旅の最終日イルクーツクではロシアの料理本を通訳の人に邦訳してもらう。しかし、武田百合子さんは更に旅を続けている。著者はその思いを食べ物で表現し、自身もその続きの旅を願いながら本書はエンディングを迎える。
本書のあとがきに衝撃的なことが記されていた。この旅は本書が刊行される5年前、つまり2011年6月のことであったと。2011年と言えば、あの東日本大震災が起こった年である。奇しくも私がこれを読み終わったのが、その3月11日。これだけ食べることという楽しい話題の紀行文で心もお腹も満たされているのにも関わらず、全体がモノトーンで静まり返っているように感じたのはそのせいであったのだろうか。この事実を知って読むと、この紀行文もまた別の意味合いが見えてくる。
高山なおみ 著 新潮社 2016年7月
ロシアのウラジオストクから韓国を経由して日本の鳥取県境港市にフェリーが出ているのを知ったのはつい最近のことである。日本好きのドイツ人が母国ドイツから自らの旅のために手を加えた車(通称ネコバス)でユーラシア大陸を走って日本に来るという番組で、彼とネコバスはウラジオストクからそれに乗船して日本にたどり着いたのである。本書の冒頭、旅のスタートが彼とネコバスの逆をたどりウラジオストクに向かうことが綴られおり、俄然興味を持った。しかし、著者は前述のドイツ人とは旅の目的が異なり、彼女の愛読書武田百合子さんの『犬が星見た』(中央公論新社 1982)に記されたロシアへの旅の道筋をたどる旅であった。
残念ながら私はその著書に関して未読であるため、筆者のこの旅に対する思いをどれだけ重ね合わせることができるか心配であった。しかしそれは読み始めて杞憂であることが分かった。著者高山なおみさんは執筆家でもあるが、もともと料理家として名を馳せている人である。この旅には数多くの食べ物に関するエピソードが登場する。時折、文中には武田百合子さんが顔を出してくるが、それ以上にとかく食べる話が多い。身近な食べ物から、未知の食べ物まで、それだけで十分に心とお腹が満たされる。無論、前述の武田百合子さんの著書が克明に食べ物に関して記載されているようで、それが深く関係していることは疑う余地はない。
出発当日の羽田空港では「ぶっかけ温玉冷やしうどん」を食べたという一文が出てくる。正直、そこにはそれ以上のものはなく(つまり、味に関しての感想など)、ただ「食べた」というだけの事実だけがポンと置かれている。フェリー内でのバイキング方式での夕食。料理名だけでなく、その食材まで記されている。食べ物の話はページをめくるごとに加速する。ウラジオストクで最初の夕食。上記食材にプラスその食べ方が追加される。翌日はそれだけでは書き足りなかったのか、自分が玉ねぎ臭いことまで綴っている。シベリア鉄道に乗ると、更に拍車がかかる。停車駅では必ず下車して駅周辺の露店でロシアの家庭料理を購入。その時のトレイに並べられた料理の並べ方を一つ一つ書き記す。途中下車した町では地元の人の自宅で料理を学び、それらの合間合間にウォッカとビールを嗜む。旅の最終日イルクーツクではロシアの料理本を通訳の人に邦訳してもらう。しかし、武田百合子さんは更に旅を続けている。著者はその思いを食べ物で表現し、自身もその続きの旅を願いながら本書はエンディングを迎える。
本書のあとがきに衝撃的なことが記されていた。この旅は本書が刊行される5年前、つまり2011年6月のことであったと。2011年と言えば、あの東日本大震災が起こった年である。奇しくも私がこれを読み終わったのが、その3月11日。これだけ食べることという楽しい話題の紀行文で心もお腹も満たされているのにも関わらず、全体がモノトーンで静まり返っているように感じたのはそのせいであったのだろうか。この事実を知って読むと、この紀行文もまた別の意味合いが見えてくる。