京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『神の島のこどもたち』

2022年09月16日 | KIMURAの読書ノート

『神の島のこどもたち』
中脇初枝 作 講談社 2019年1月16日

前回の読書ノートで戦争に関する本を今年は例年以上に引き当ててしまっているということを記しましたが、また引き当ててしまいました。次回は万が一引き当てても別のテーマの本を取り上げることにしたいと思いますが、今一度お付き合いください。

読み始めてすぐにこのフレーズ「アメリカに占領されたこの島に暮らす私たちは(p5)」に一瞬思考が停止しそうになった。ここの「この島」とは沖永良部島のことである。「沖永良部島」って沖縄だったっけ?すぐにスマホで調べてみると、私の記憶は間違いなく、そこは「鹿児島県」であった。更に沖永良部島について書かれてある文章を続けて読んでみる。そこには「第二次世界大戦後、連合軍総司令部の昭和21年2.2宣言により周辺の奄美群島と共に同年3月から祖国日本から行政分離されアメリカの軍政下に入る(ウキペディアより)」とあるではないか。私の人生で優に100冊は軽く超える戦争に関する本に出くわしているが、鹿児島県である沖永良部島を含む奄美群島がアメリカに統治されていたという事実に関する本は私からかすめていたのである。今回初めてこの史実をこの作品から教えてもらうことになった。それだけで驚愕である。この作品は戦後7年経った沖永良部島が舞台であり、高校2年生のカミの目を通してこの島で起こった戦後の傷痕と統治下での生活、本土復帰への出来事を淡々と描いた作品である。

物語でありながら、統治下での生活の描写がとても詳細に綴られている。例えば、大学に進学するには琉球政府に唯一できた琉球大学に行くしか方法はなく、本土の大学に行くとなると奄美群島の中から選ばれた学生が留学するか、そうでなければ密航するしかないとか、そもそも、高校への進学率も本土から比較すると果てしなく低いということ。もっと言えば教科書がひとりひとりに配られることなく、1冊をみんなで書き写しているなど。また、もともと戦前は本土に住んでいながら、何かしらの理由で沖永良部島に引っ越してきた人たちが本土に戻ろうとしてもその手段は密航しかないなど。そうして、多くの人がその密航中に海に投げ出されて帰らぬ人となっているということ。更には、鹿児島県である奄美群島がアメリカの統治になったのは、奄美群島の人間の人手が欲しいがために琉球政府にしたのではないかという風にも思っていたようである。

日本への復帰運動は当然高校生であるカミたちも巻き込まれていく。アメリカが嫌がるからという理由で島ぐるみの「断食」が強行されたり、復帰集会では沖永良部島は沖縄とは異なり戦地にはなっていないのだから返還してもいいはずであるとか、沖縄人に比べたら奄美群島の人間は蒙古斑があるので、古くから日本人の証拠を持っているなど、同じように統治されている沖縄を引き合いに出し差別化を図り、本土復帰を目指そうとする大人たち。戦争が人々の命・領土だけでなく、こうして心や理性までも奪ってしまうこと、今さらながらに切なくなってしまう。

沖永良部島を含めた奄美群島は沖縄よりも早く1953年に本土へ返還されている。このこと自体喜ばしいことは間違いないのであるが、どこかすっきりとしないものが心に残ってしまう。それが「戦争」なんだということをこれまでとは異なった角度から学んだ作品となった。

====== 文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『パンに書かれた言葉』

2022年09月04日 | KIMURAの読書ノート

『パンに書かれた言葉』
朽木祥 作 小学館 2022年6月

中学生のエリーの本名は青木光・S・エレオノーラと言う。イタリア人の母親がイタリア名を二つ付けたためこのように名前が長くなっている。間のSはエリーによると日本語にするととても大げさな名前のため内緒にしている。2011年3月11日、エリーが住んでいる鎌倉に大きな揺れが襲う。東日本大震災であった。しかしエリーは自身が体験した揺れよりも福島原発の爆発を映像で目にして胸を痛め、そのことが常に頭から離れなくなる。この春休みは家族全員で母親の故郷イタリアに行くことになっていたが、仕事を持っていた両親は震災の影響でそれが不可能となり、エリーだけがイタリアに行くことになる。イタリアでは初日から親戚たちによる歓迎を受け温かい気持ちを抱いたまま、かつて母が使っていた部屋で横たわる。そこでそれまで目に焼き付いてしまった震災の光景が薄まっていることに気が付く。それは距離的なものなのか、時間的なものなのか。これらのことがいつか消えてしまうことでいいのだろうか。エリーは考え込みながらも、自分が横たわっている部屋は母が幼い時から何も変わっていないことにも気が付く。そこで、家全体を探検してみることにした。そして、勝手に入っていたずらをしてはダメとかつて母親から言われていた「祈りの部屋」へ入ることとなる。そこには白バラの入った花瓶や写真がたくさんあり、そしてサテンの布地にくるまれた硬くなったパンを見つける。そして、そのパンの表面にはくすんだ茶色の文字が書かれていることを発見する。次の日祖母とお墓参りに行った際、エリーは祈りの部屋での出来事を祖母に伝えると、祖母はかつての第2次世界大戦での出来事を話し始める。イタリアから戻った年の夏休み、今度は父方の祖父母が住む広島に遊びに行くこととなった。祖父の誘いにより、従兄弟たちと平和記念資料館に行くこととなったエリー。そこで目にしたものはイタリアで祖母から語られたそれとそして震災のこととがエリーの中でつながっていく。そして、エリーが過去から受け取った言葉、それが自分のもう一つの名前「S」であることに気が付く。

「戦争」というものに対して無意識にはなれないにしても、意図的にそのような作品ばかりを目指して読書をしている訳ではない。しかし、今年は不思議なくらいにこれをテーマにした本を引き当てている。この「読書ノート」に関していうと、例年8月だけはあえて「戦争」を取り上げているが、今年はそのような訳で、それが7月から始まり、9月になった今回まで続いている(次回はどうかは分からないが)。そしてこのことに私自身驚いている。

この作品は、イタリアと広島をつなぐ一つのラインがそこにあることを示してくれている。広島に関しては、幾度となく私も関連する本を取り上げているが、イタリアと広島がどこでつながるのか、そもそもイタリアがあの第2次世界大戦時どのような状況だったのかということはこの作品を読むまで知らなかった。せいぜい教科書で学んだドイツ・イタリア・日本の「三国同盟」という単語のみである。エリーの言葉を借りれば「第二次大戦のとき、イタリアはずっとドイツや日本といっしょに連合国と戦っていたとばかりおもいこんでいたんだけど(p103)」。まさにそれである。しかし、それは史実の一部でしかなかったのである。また、ローマは広島と長崎の原爆の日に際し「原爆忌」で追悼式が開かれているという。2011年の時点で10年以上ということなので、すでに今では20年以上ということになる。ここでも、エリーの父親の言葉を借りれば「遠いイタリアでも原爆の犠牲者たちを痛み、二度と同じことが起こらないように祈ってくれている人たちがいるわけだ(p108)」。祈りにはイタリアで起きた過去の出来事と広島と長崎の出来事と同じ意味があるということもエリーの父親は語っている。

あとがきで作者は、この作品が入稿直後にウクライナ侵攻のニュースが入ってきたことにやりきれない思いを抱いたと綴っている。そして、ここで再び私が知った事実。ロシアが空爆を起こした場所。それが今回の作品の肝ともなるような場所だったということ。これは極めて象徴的な攻撃であり、もはや未来に二度と同じ過ちをおこさないどころか、公然と過ちを繰り返すと宣言してしまったことになると続いている。前回私が取り上げた本で著者が平和教育とは「政治への関心」ではないかということを指摘していたが、もしかしたらそれは日本だけではなく、世界的に各国の国民各々が考えていかなければならないことなのかも知れないと思い至った。しかし、それは大きな課題でもあることは疑いようのない事実でもある。

=======  文責 木村綾子


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KIMURA の読書ノート『パイプの中のかえる』

2022年08月15日 | KIMURAの読書ノート


『パイプの中のかえる』
小山田浩子 著 ignition gallery 2022年5月

著者は2010年に作家としてデビューした後、数々の賞を受賞。そして2014年に芥川賞を受賞している。本書は2020年7月から半年間、日経新聞夕刊に連載されたコラムをまとめたものである。私が本書を手にしたのは、彼女が広島出身でかつ、現在も広島に住んでいるということを知ったからである。もしかしたら、私が知っている懐かしい風景がコラムの中に出てくるのではないかという期待がそこに大きくあった。

最初のコラムは方言について。私自身広島で使っていた言葉(単語)が方言であると知ることとなったのは、ほとんどが社会人となり広島を離れてからのことである。逆に著者は広島から離れていなかったため方言と認識したのは、かつて勤務していた職場の関東出身の同僚と話をしている時に首をかしげられたことによるという。広島だけでなく地方で生まれ育った時の「あるある」エピソードであるが、事例が広島の「方言」ということもあり、私は前のめりで読んでいく。次のコラムは西日本豪雨災害の1年後のことを綴っている。広島の話題ではあるが、ここだけのピンポイントな話題ではなく、どこの出身の人が読んでも自分のこととして捉えることのできる内容であった。その後は幼い頃や学生時代のことについて書きながらも社会に対してきちんとした意見を示していることに襟を正すことになる。

そして、はたと目が釘付けとなったタイトルにぶつかる。それが「広島の『平和教育』」。これについては毎回タイトルが変わりながらも3回に渡って綴られている。冒頭著者はこのように書き出している。「他県から来て広島で子育てをしている知人が『広島ってすごいねぇ、保育園でも平和教育するんだね』と言った(p36)」。これを受けて著者は「自分が園児だったころのことは忘れたが小中高と『平和教育』を受けたのは覚えている(p37)」と応えている。確かに私も小中高と「平和教育」を受けてきた。学校で『はだしのゲン』の映画を何回観たことか。更に夏休みには市役所でこの映画が繰り返し上映され、それも幾度となく鑑賞した。著者は私と同じ世代であるので、恐らく『はだしのゲン』に関しては空で物語を語ることができるのではないだろうか。しかし、著者の言い分はこのことではなかった。「そんな風に平和教育を受け続けてきた広島の人々はだから平和への意識も高く、政治、特に平和と直結うる改憲や核兵器禁止条約批准などへの関心も高くそれが支持政党や投票率に大きく影響しています、という風には実はまったくなっていない。(2019年の参院選の投票率は)お隣の山口より岡山より低く全国平均も下回っている。なにが平和教育じゃという話だ(p38)」。著者のボルテージは上がっていく。「私たちは戦争を扱った物語に涙を流し共感してきた。二度と戦争は起こしたくありませんと感想を書いた。~略~ でも戦争は起こった。~略~ それを踏まえ、広島で『平和教育』を受けてきた私たちは一体なにをしているのか?(p44)」。とどめはこれだ。「義務教育だけで9年間高校もなら12年間の夏ごとに、平和を願うなら原爆が非人道的と思うなら投票へ行こう、政治に興味を持とうと、教え教わってきていないからこその投票率の低さ、政治への関心の低さなのではないだろうか?(p45、46)」。うなだれた。確かにそうである。戦争、原爆の悲惨さは嫌と言うほど教え込まれたが、ではそのようにしないために現実的にできること……一切「平和教育」では触れられることはなかった。しかも、今の今までこれらのことが全くつながっていなかった。

改めて著者のコラムをひとつひとつ加味して読んでいくと、どのコラムも今の社会に対する意見であったり、警鐘を鳴らしているものであった。淡い期待を持って読み始めた自分に赤面してしまう。広島から見た、他都道府県、海外。決してそれは広島を美化するものではないばかりか、それがブーメラン返しのように広島に突きつけられている感じすらある。著者は「まえがき」でこのようにも書いていた。「広島の田舎で生まれ育ちいまも似たような地域にすんでいる私は、井の中の蛙というかパイプの中のかえるというか、狭い範囲で暮らしそれなりに充足していて、でもそこから顔を出し世界を見回すこともある」。

8月6日、77回目の原爆の日を迎え、平和式典が全国放送をされた。著者はそれを観て何を思い、考えたのだろうか。私自身、ここで立ち止まり「平和教育」というものについて改めて考えたい。


=======  文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『戦争が町にやってくる』

2022年08月02日 | KIMURAの読書ノート

『戦争が町にやってくる』
ロマナ・ロマニーシン アンドリー・レシヴ 作 金原瑞人 訳
ブロンズ新社 2022年6月

今回も取り上げる作品は絵本である。しかし、前回、前々回同様、今の情勢を深く考えさせられるものであり、児童対象とは到底思えない作品である。

この作品の作者はウクライナの人である。タイトルになっている「戦争が町にやってくる」の戦争は今回のロシア侵攻のことではない。奥付を見ると2015年にウクライナで出版されていることが分かる。更に調べてみると2014年、当時のウクライナ大統領をロシア亡命に追い込んだウクライナの動乱。そしてそれに続くロシアのクリミア侵攻を経て生まれてきた作品ということであった。また、この作品はボローニャ・ラガッツィ賞を受賞している。

戦争というものを全く知らないロンドという町で人々はここの暮らしを楽しんでいた。ロンドは素敵な花たちで有名であった。町の広場には大きな温室があり、珍しい草や木や花がある。そして、ここの花たちは歌を歌うことができ、コンサートも行われた。人気のあったのは、モーツァルトの「ロンド」の合唱である。ここにダーンカ、ファビヤンとジルーカという3人が住んでいた。ダーンカの体は薄く透き通り、かつ光っていて、その中でも心臓がいちばん輝いている。ファビヤンの体はとても軽く風が吹くだけで浮き上がるため銀のメダルを首にかけている。かれは宝探し犬の子孫である。ジルーカは紙の翼をはばたかせて飛ぶことが可能である。3人とも心からこの町を愛し、ロンド中の人々は3人のことを良く知っていた。このような町が突然静まり返り不安そうな声が町に広がってくる。そして、どこからともなく戦争がやって来るのであった。戦争は破壊と混乱と暗闇を連れ、戦争が手に触れると何もかもが闇に消えていく。そして黒い花をつけた棘のある硬い雑草を植えていくのである。そして何よりもロンドで育った花たちは枯れていったために、歌を歌えなくなった。このような中3人は戦争の前に出ていき、撤退を頼むのであるが戦争は3人に対して知らぬ顔で攻撃を仕掛けてくる。そこで次に3人は戦争と同じ方法で応えてみたが戦争を止めることができないのである。そして3人の考えが行きついた先は……。

この作品では戦争に対して象徴的なフレーズが2つ綴られている。それがこの2つ。
・戦争は、だれひとり、みのがさない。
・戦争には心も心臓もない。
最初のフレーズは3人が戦争に対して交渉を行った時に、有無も言わずにそのまま攻撃してきたことに対して。2つ目はダーンカの心臓を狙って攻撃してきた戦争に対して、同じように心臓を狙ってみたが無駄であったことに対して。この2つのフレーズを目にした時、頭によぎったのが今のウクライナに対するロシアの侵攻であった。避難する国民のための人道の確保を約束されたはずなのに、その上から容赦ない攻撃。停戦交渉すらままならないのもそこに心がないと言えばまさにそうである。この作品が今のウクライナとロシアの現状をそのままに映し出してしまっていることは作者にとってまさに不本意なことであろう。因みにこの3人は平和にはなくてはならないものの象徴として抽象的に描かれている。その3人が作品上では力を合わせて平和を取り戻していくのであるが、作者も恐らくそのようになって欲しいと願っているはずである。

エンディングは戦争の終わった後のロンドの様子を描いている。これまでは様々な色のひなげしが咲き乱れていた場所に、赤のひなげししか咲かなくなったロンド。第1次世界大戦で亡くなった人々を追悼する花としての「赤いひなげし」。このひなげしは戦争を知らなかったロンドの人々の心に植えられ、そこには悲しい記憶が残り、それは永遠に続く。

==========文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『なきむしせいとく』

2022年07月17日 | KIMURAの読書ノート


『なきむしせいとく』
たじまゆきひこ 作 童心社 2022年4月

 今年沖縄が日本に返還されて50年である。その節目の年に絵本界の巨匠たじまゆきひこ氏が77年前の沖縄を描いた新作を発表した。

 1945年国民学校の2年生になるせいとくは、いつも泣いていたため、みんなから「なちぶー」と呼ばれていた。せいとくの父親は30歳を過ぎて兵隊となり島を出ていき、中学生の兄も軍隊に入る。3月の下旬、アメリカの軍隊が島を囲んだということでせいとくの母親はせいとくと妹を連れて家を捨てることにした。昼は森に隠れ、夜飛行機が飛ばなくなってから安全な場所を探して3人は歩く。大きなガマを見つけた3人はそこに入ろうとした時、ガマの奥から日本兵に「じゃまだから」という理由でガマから追い出される。ある時アメリカ兵が海から上がってきても、日本軍はそこに隠れたまま身動きしない。それでもせいとくの母親は安全な場所を探してひたすら逃げる。ようやく大きなガマでたくさんの人が生活をしている場所を教えてもらい安堵するも、ガマの奥から日本兵が出てきて、大きな声で泣く赤ちゃんの母親に対して、「泣きやまないなら殺してしまえ」と赤ちゃんを奪い取ってしまう。せいとくたちはガマを出て再び安全な場所をもとめて彷徨い、焼け残った大きな家を見つけた時、艦砲射撃が命中しせいとくたち3人だけでなく、その家にいた大勢の人たちが吹き飛ばされ負傷する。そのような状況の中で日本兵が狂ったように日本刀を振りかざしていく。せいとくはその直後、アメリカ兵に助けられる。しかし、彼は左手を失っていた。

 6月中旬、この新作に対する作者の講演があり、聴講してきた。たじま氏は自身が戦争を体験しているのにも関わらず、沖縄の戦争を描くことに40年かかったと語った。確かに広島・長崎の原爆、東京をはじめとする主要都市の大空襲を全く否定する気はなく、あの時の被害も筆舌に尽くしがたい。しかし、それでも沖縄は本土の被害とはまた異なる性質の犠牲をたくさん体験してしまったと話は続く。何よりも住民がアメリカの軍隊に、そして同じ日本人にも殺され、その数は亡くなった軍人の数よりも多い。そのような地上戦を経験した沖縄を描くことは困難を強いられたという。

 講演会に先駆け、ギャラリーではこの作品の原画展も開催されていた。そこには何度も手直しを加えた原画が展示されており、作者の苦悩というのをうかがい知ることができた。戦争を体験していても、沖縄の戦争を体験している訳ではないことによる迷いや葛藤がそこにあった。それでも、沖縄の人たちの助言を受けながら、本作を完成させている。

 あとがきに彼はこのように綴っている。「沖縄戦を描くというのは、困難な仕事だ。悲惨な戦争を子どもたちに見せて怖がらせる絵本を創るのではない。平和の大切さを願う心を伝えるために、沖縄戦を絵本にする取り組みを続けているのだ」

 作品の最後は沖縄戦から10年経ったせいとくの姿を描いている。そこで語るせいとくの言葉と今現在の沖縄の状況。改めて「返還50年」という重み、何よりも「沖縄」が今も背負っているものをひしひしと感じ取った。

    文責  木村綾子

 


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KIMURAの読書ノート『きりのなかのはりねずみ』

2022年06月30日 | KIMURAの読書ノート


『きりのなかのはりねずみ』
ユーリー・ノルシュテイン セルゲイ・コズロフ 作
フランチェスカ・ヤルブーソヴァ 絵 こじまひろこ 訳
福音館書店 2000年

今回取り上げる絵本は、心温まるものでありながら余韻を大きく残す作品となっている。

日が沈み辺りが暗くなった頃、はりねずみは二人でお茶を飲みながら星をかぞえるためにこぐまの家に出かける。こぐまの大好きな野イチゴのはちみつ煮がお土産である。はりねずみはこぐまの家への道中にある水たまりや井戸に興味を持ちながら、こぐまの家に向かう。そしてその途中、目の前に霧が立ち上り、そこに白い馬が浮かんでくる。はりねずみはその白い馬に惹かれ、白い馬を追いかけるように霧の中に入っていく。しかし、白い馬を見つけることができないばかりか、はりねずみは霧の中を彷徨うことになり、足を滑らせ川に落ちてしまう。そこに川底から何かがやってきて、はりねずみを背中に乗せ、岸まで送ってくれる。そしてやっとはりねずみはこぐまの家に着き、二人で星を見るのである。

この作品を知ったのは、6月10日NHKで放送された『72時間』の番組でのことである。この番組は対象となる場所にカメラを72時間向けて、そこに来た人にインタビューをするという内容であり、この日カメラを設置したのは神田神保町にある絵本専門店であった。この本屋に足を向けた人がどのような絵本を購入したのか、また絵本に関する記憶などを語っていた。そして番組の最後にインタビューされたのは、この春大学を卒業したばかりの男性であった。インタビューに彼は、卒業したら本来ならロシア文学を学ぶために、ロシアに留学をすることになっていたと言う。しかし、それがウクライナ侵攻により出来なくなってしまい失意の日々を過ごしていた時に友人が紹介してくれたのがこの『きりのなかのはりねずみ』だったという。彼がこの作品を書店で手にしてページをめくっている姿も最初に映し出されていた。インタビューに対して彼は「温かい感じの絵本だ」と話した後に「誰も悪い人が出てこない」とも応えている。実際この作品を読んでみて分かったのだが、ここには多くの動物たちが登場する。しかし、はりねずみが目に見えているものは数少ない。しかし、はりねずみにハプニングが起こるたびにそっと誰かしらが手を貸していくのである。また、冒頭からはりねずみの後ろを追いかけながら、はりねずみがやることを真似していくみみずくに対して、はりねずみはその言動に対して全く干渉しない。相手に対して干渉しないけど、いざという時にはそっと手を貸していく姿勢がこの作品では始終貫かれているのである。

ロシアに行くことのできなかった男性に対してこの作品を薦めた友人はまさにこの作品の真髄を体現していたわけである。しかしそれ以上にこの作品の作者はもちろんのこと、ロシアの人の多くの本心はここにあるのではないかと感じた。なぜなら、この作品は刊行以来、ずっとロシア国内で読み継がれている作品だからである。本当は他国のこと干渉するべきではない。しかし、何かあったらそっと手を差し伸べてあげたい。それが出来なくなっている今、ロシアの人のことを思うとただただ切なく感じた。

=========文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『そして陰謀が教授を潰した』

2022年06月16日 | KIMURAの読書ノート

『そして陰謀が教授を潰した』
早瀬圭一 著 小学館 2022年1月

昭和48年(1973年)㋂、青山学院大学教授が学生に乱暴したとして、強制猥褻・強姦致傷の容疑で逮捕され、懲役3年の実刑を受けるという事件があった。加害者となった法学部春木教授は刑を受けたものの、その後亡くなるまで「冤罪」を訴えた。著者は事件当時社会部の記者であり、この事件に関して取材をしていたが、当初からきな臭いもの感じていた。そのため刑が確定し、春木教授が収監された後もこの事件を地道に追いかけることになる。その年月45年。そして、著者なりの「真実」を見つけることになる。

この事件のことは本書を手にするまで全く知らなかった。しかもなぜ著者が45年も真実を見つけるために事件を追いかけなければならなかったのか。本書で事件のあらましを知っただけでもそれについては納得することができた。と言うのも、当時の供述調書などが本書には掲載されているが、この事件を全く知らない私ですら、被害者の言動がかなり矛盾だらけであるということが分かるのである。ただ、加害者側は「合意」の上であったと思っていたこと、お互いに好意を持っていたと感じていたこともあり、当初は事件にさせず、被害者側が提示する「金銭の支払い」と「大学辞任」を受け入れる形で和解することとなっていた。その回答の日の午前中になり、突然被害者側から交渉の打ち切りの通告があり、告訴されてしまったのである。ここから著者、そして関係者の長い旅が始まることになる。

実はこの事件を追いかけたのは著者だけでなく、他にも幾人かの記者が、多くの矛盾点をはらむこの事件に関して疑問を抱き、それぞれが地道に資料を集め、「真相」を探していたことが本書に記されている。しかし、その着地点が見つからぬまま時間だけが経過していき、多くの関係者は鬼籍に入っていく。著者はそれらの莫大な資料と思いを受け継ぐ形で「真実」をもとめて資料と格闘するのである。

45年の歳月を経て出した結論は一読者として言うなれば「納得できない」ものであった。なぜなら、なぜ春木教授は本書に書かれているような逮捕をされたのか、長期間における勾留、裁判の展開、何よりもこの程度(とあえて書くが)の事件で執行猶予が付かなかったのか、そこについての結論が全く出ていないのである。読後は落胆と後味の悪さだけが残るものになってしまった。この事件は教授と学生の思惑だけでなく、学生の両親や両者の周囲の人たちの思惑も入り混じったものであり、実は複雑な人間関係がより事件を奇怪なものにしていることは否めない。しかし、そことは別の客観性を本来持たななければならない司法があまりにも被害者に肩入れしているという点の気持ち悪さ。あえて、どこの事件とは言わないが、今問題となっている当時の政府のトップが絡んだ事件のあれこれと同じ臭いを感じてしまう。結局45年もかけて事件を追いかけてもその部分を暴くことはできないのか、いや触れてはいけないのか。触れたけど、書けないのか。だとしたら、今の事件も今後起こるであろう多くの事件においても同じことが起きる可能性しかないような気がする。「司法」とは何なのか。そう思えば被害者となっている人物も良いように使われただけだったのかもしれない。今はただただ春木教授のご冥福を心から祈るばかりである。

     文責 木村綾子

 


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KIMURAの読書ノート 『ドードーをめぐる堂々めぐり』

2022年05月31日 | KIMURAの読書ノート


『ドードーをめぐる堂々めぐり』
川端裕人 著 岩波書店 2021年

すでに絶滅した鳥で思い浮かべることができるとしたら「ドードー鳥」ではないだろうか。『不思議な国のアリス』や、ここ近年では『映画ドラえもん のび太と奇跡の島~アニマルアドベンチャー~』で登場しており、17世紀に絶滅はしたもののかなり身近に感じられる鳥だと思う。その「ドードー鳥」であるが、絶滅間近の1647年(享保4年)に生きたドードーが日本の長崎・出島にやって来たということが書かれた論文を著者は目にすることになる。その生きたドードーはその後日本でどうなったのか。そのことが著者自身とても気になり、彼の言葉を借りれば「どんどん深みにはまり『堂々めぐり』することになった記録(p2)」が本書である。

「出島ドードー」について論文を発表したのはリア・ウィンターズ(オランダ:アムステルダム大学の図書館員)とジュリアン・ヒューム(イギリス:ドードー研究の中心人物・ロンドン自然史博物館)である(二人の共同研究)。著者はジュリアンに連絡を取り直接面会して、「出島ドードー」のその後の可能性について検討する。そして、彼はそれを日本に持ち帰り、全国の関係がありそうな機関から史料を借り、ドードーの行方を追いかけていく。ここから、すでに日本ではドードーに関して研究をしていた研究者がいたことや、出島の発掘作業のことなどが明らかとなってくる。これが第1章の内容である。

第2章はもう一人の著者リアを訪ね、欧州における「ドードー鳥」の行方を追いかけている。そして、ここでは最古のドードーのスケッチやオックスフォード大学、ロンドン自然史博物館に所蔵されているドードーの標本を目撃することになる。

そして、第3章。ドードーが生存していたモーリシャス島に著者は出かけ、ドードーの発掘作業に加わる。ドードーの化石(正確には亜化石)が最初に発見されたのは1899年のことである。今世紀に入っては2006年が最後の発見となっているが、すでに化石はボロボロの状態で、今後化石としてきちんとした状態で見つかることは難しくなるようである。それは化石のありそうなところには木の根が生えており、これが毛細血管ごとく縦横無尽に走り、それに抱かれるように化石があるため、すぐに骨が崩れてしまう状態なのだという。そして、著者はこれらのドードーに関わる経験をすることで、ドードーのみならず、すでに絶滅していった動植物や絶滅危惧種に思いを寄せるのである。

日本にやって来た1羽の「ドードー鳥」から、日本の鎖国時代の知られざる世界が見えたり、標本を巡る各機関の駆け引きなどをうかがい知ることができ、かなり興味深い1冊となっている。何よりも「出島ドードー」に出会ってしまったことで、日本国内だけでなく、世界各国を右往左往しながら移動し「堂々めぐり」をする著者の姿や、今も尚ドードーを登場させる作品が多くあることを思うと、どれだけドードーは人を魅了させる鳥なのか改めてドードーに思いを馳せてしまう。そしてそのドードーが今この世界にいないことがとても不思議である。

         文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『ボタニカ』

2022年05月16日 | KIMURAの読書ノート

『ボタニカ』
朝井まかて 作 祥伝社 2022年1月

牧野富太郎は、全国各地で植物を収集し、それを標本にした数は約40万枚と言われている。また、新種などの植物を命名した数は1500種を超える。そして現在でも書店には彼が作成した植物図鑑がずらりと並んでいる。そのような理由で「日本の植物学の父」と呼ばれた彼の生涯を長編小説という形で描いたのが本作品である。

彼の知られた功績とは裏腹に彼の生涯は傍目に見ればただただ荒唐無稽である。高知県の佐川村の裕福な造り酒屋に生まれた彼は早くに両親を亡くすものの、祖母により惜しみない愛情で育てられる。彼を将来の跡継ぎにと思い私塾に通わせ、望む本はどんなに高価なものでも買い与えていき、勉学に対する能力はすこぶる開花する。しかし彼の興味は植物研究に向かい能力はそちらで発揮させることになる。最終学歴は小学校中退であるものの、在野の研究者として東京大学理学部に出入りを許され研究をしていくが、その資金は全て祖母のふところからである。彼の研究費がかさみ実家の造り酒屋は廃業に追いやられ、借金も膨れ上がるが、それでも彼はただただ研究にあけくれる日々である。また地元で結婚するも、妻を実家においたまま東京での研究生活を続け、挙句には東京で知り合った若い女性と恋仲となり、彼女と再婚する。研究の方では東大の教授たちとの間に軋轢が生まれ、東大を追い出されることにもなる。それでも自らの研究の手を休めることは全くなく、更に借金は膨れ上がる。そのような中で救いの手が彼に差し伸べられるが、その人とも決別してしまう。

正直、「救いどころのない人」とはまさに彼のような人のことを言うのではないだろうか。しかし、彼が他者と大きく異なることはこのような人生を歩んでも研究の手を一時も休めることをしなかったということである。彼が本当に窮地に追いやられた時は誰かしらが救い、その人と決別しても、また別の人が窮地を救うという繰り返しなのである。決して彼の研究を止めさせてはいけないと天からの啓示があったではないかと思ってしまうほどである。

 私事であるが、私が大学時代の生物学の授業で真っ先に教授から購入するように言われたのが、『学生版 牧野日本植物図鑑』(1967年3月15日 北隆館)である。(※学生版は1949年が初版であるが、1967年に現代仮名遣いに変更のため、私のものの初版は1967年となっている)。教授はこの時にこれが他の図鑑よりもどれだけ優れているかということをこんこんと力説していた。しかし、写真ではない彼のスケッチした植物が掲載されていることにどれだけの価値があるのか当時の私たちには全く理解できなかった。しかし、この作品を読むことでようやく教授が言っていた意味が伝わった。今は処分しないで手元に置いておいて良かったとしみじみと思い、何よりもこれを授業のテキストにした教授には感謝している。そう真摯に思えるのも、この作品は荒唐無稽な彼の人生を描いているだけではなく、彼の研究がどれだけ科学的なもので、現在の科学につながっているのかということも丁寧に描かれているからなのである。

今年は牧野富太郎の生誕160年であり、来春NHKで放送される朝ドラは彼をモデルにした人物が主人公である。今後しばらくは彼からは目が離せなくなるだろう。

文責 木村綾子

 

 


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KIMURAの読書ノート『シリアで猫を救う』

2022年05月04日 | KIMURAの読書ノート

『シリアで猫を救う』
アラー・アルジャリール with ダイアナ・ダーク 著 大塚敦子 訳
講談社 2020年

4月23日ネットニュース(BuzzFeed)で流れてきた記事の1つに、ウクライナで動物保護に尽力する獣医師夫妻のことが取り上げられていた。この記事によると、ロシア軍のウクライナ侵攻が始まって2か月、彼らは飼い主が最前線に動員されたために置き去りにされた盲目のハスキー犬や飼育されていた市場の爆撃を生き延びた鳥たち、他爬虫類や両生類を含む小動物、また、鍵のかかったアパートに警察と出向いて、部屋に取り残されたペットを救出しているという内容であった。そして、4月25日のプライムオンラインでは、ウクライナで飼い主と離れ離れになった2000匹のペットを保護したシェルターの記事が配信された。これらの記事を読み、ホッとしたというのが正直な気持ちである。それはその直前に本書を読んだことが大きい。

本書は2012年「アラブの春」がシリアに波及し、シリアが内戦状態になった戦禍の中、負傷した人々の救出活動を行いながら、取り残された猫をはじめとした動物たちの保護と、シリア初の猫サンクチュアリを創設した著者の回顧録である。

まずは口絵を見てもらいたい。最初の写真は激しい砲撃で噴煙が上がったシリアの街である。そして、ページをめくると著者と行動を共にする猫やサンクチュアリで過ごす猫たちの姿がそこにある。それは戦禍の中とは思えない程、穏やかな顔をしている。どれだけ彼を動物たちが信頼しているか、それだけでも著者の人柄がうかがえる。そのため、うっかりすると内戦で混とんとした世界がそこにあることを忘れてしまいそうである。しかし、口絵が終わり、本文に入っていくとその過酷な世界がびっしりと記録されている。

彼はなぜ砲撃が繰り返される場所で保護活動を行うようになったのか。彼によると、もともとは父親の影響で消防士に憧れを持っていた。しかし、シリアでは「コネ」のシステムが働いており、彼が何度も申請しても通ることがなったようである。しかし、皮肉なことにシリアで内戦が起こり、自分の車が救急車変わりとなって人命を救助。それを行っている最中に出会った1匹の白猫を保護したのがきっかけである。それまでも、彼は人命救助のかたわら、置き去りにされた猫を見かけてはえさを与えてはいたらしい。しかし、彼の幼い頃の出来事において白猫の存在は大きく、結果、戦禍の中にいた白猫が彼の保護活動の引き金を引いたということである。

何もない平穏な日常においても保護活動と言うのはなかなかに大変である。その中において、自分自身がいつ砲撃を受けてもおかしくない状態で戦場を彷徨う猫や、被災し猫まで養えないと遺棄しようとしている人に対しても、何も言わずに黙って猫を引き取り保護していく彼の姿。戦闘地域から遠いところに創設したサンクチュアリが、戦争の悪化により砲撃を受け、犠牲となった動物たちが多数出る。それでも生き残った動物たちを連れ、また新たなサンクチュアリを別の場所に作っていく。彼だけの力でないことは確かであるが、何よりも彼の行動に賛同して彼の周りに同じ志を持った人たちが戦禍に集まることに、彼の人となりを感じる。

読後に思いを巡らせたのは、今のウクライナであった。きっとあそこにもたくさんの動物たちが飼い主を探して彷徨っているのではないだろうか。シリアのように誰かひとりでも動物たちに目を向けてくれる人がいればと思っていたところでの記事だったため、安堵を感じたのであった。

このように書くと「他人事のようだ」と思われる人も出てくるであろう。「他人事」とは決して思っていないが、戦禍の中に飛び込むことはできない。安堵を感じながら次に考えたのはもちろん、自分にできることは何なのかということである。それは「千羽鶴」ではないことだけははっきりしている。本書にはそのヒントが多く記されている。そして何よりも人だけでなく猫をはじめとした動物たちが安心して過ごせる世界になって欲しい。

=========  文責  木村綾子


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KIMURAの読書ノート『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』

2022年04月16日 | KIMURAの読書ノート

『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』
ミア・カンキマキ 著 末延弘子 訳 草思社 2021年8月

今回取り上げる本書も、私が購読している新聞の書評欄に紹介されていたものだ。唐突にその書評では「まるで清少納言へのラブレターだ」と書いてあった。フィンランドの人がラブレターを清少納言に書いてしまう程、清少納言の知名度は世界に広まっていたのかという衝撃と、私自身がこの国に旅したことがあり、その親近感とで興味を持ち、手にしてみた。

結論としては、清少納言は紫式部ほど認知度が世界に対して……いや、少なからずフィンランドにはなかったようである。その理由の1つは「枕草子」を含めた彼女の著書がフィンランド語に訳されていないということにも表れている。ただただ筆者が清少納言を知って以来ぞっこんとなったというのが事の本質であった。が、この「ぞっこん」が半端ではない。本書では清少納言のことを「セイ」と言い(ちなみに、紫式部のことを「ムラサキ」と表しているが、かなり新鮮に感じた)、本書内で起こった全てのエピソードに対して清少納言と対話し(いちいち「セイ」と呼びかける)、その関連した事柄を「枕草子」の該当する部分から抜き出し記載しているのである。私が読んだ書評で「ラブレター」と表していたのも納得である。正直、一歩間違えればストーカーレベルである。清少納言が1000年以上前の人であって良かったと心底思ってしまった。

そのような著者は「中年、独身、子どもはいない。一人で住んでいる。同じ仕事を続けて10年(p10)」のアラフォー女性で、自分の人生に飽きてしまい、国の制度を使って1年間の長期休暇を取得することを決意する。更に「清少納言を研究する」という名目で助成金を申請し、日本に来ることになった。京都では一度も掃除がされていないように見え、かつ部屋の隅にはねずみの通り穴があり、壁はきらきらとしたものがはがれてくる共同アパートで生活をしながら、清少納言が『枕草子』にしたためた風情や出来事を求め、そして更には清少納言が経験したことを全て経験しようするのである。その上で著者がこの1年で学んだいちばんの大事なことは「散った花は散っていない花と同じくらい美しくて意味があることだ」と言うことであった。

また、著者はこの旅をすることになった決定的な理由としては、平安時代に書かれた文学のほとんどが女性の書いたものであり、その要因を探す旅でもあったとしている。しかし、そこで分かったことは女性の置かれた立場、藤原氏の権力に翻弄された女性の姿であった。それでも、したたかに文章を綴っていった彼女たちの姿勢に「存在していた」ということを確信するのである。

私自身、本書を読んで、橋本治氏が書いた『桃尻語訳枕草子』(1987年 河出書房新社)に匹敵する『枕草子』を楽しく描いた作品と感じている。本書は著者のデビュー作であるが、国内(フィンランド)で数々の賞を受賞し、それと共にすでにエストニア語、イタリア語、ドイツ語で翻訳出版されているという。著者は『枕草子』をブログのルーツという位置づけにしており、もし本書がもっと各国の言葉に翻訳されさえすれば、今は紫式部の『源氏物語』程認知度がないこの作品があっと言う間に台頭してくる足がかりになるのではないかと考えている。是非、たくさんの言語に翻訳して欲しいと切に願った。

=====  文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート 『夕暮れに夜明けの歌を』

2022年04月03日 | KIMURAの読書ノート

『夕暮れに夜明けの歌を』
奈倉有里 著 イースト・プレス 2021年10月

昨年の12月。私が購読している新聞の書評欄に本書が紹介された。その冒頭に次のようなことが書かれてあった。「ロシアは謎に満ちた文学大国だ。謎があるから知りたくなるのも人のサガ。謎にひかれてかの国に赴き、『文学従事者』なる謎の資格を取った『謎の人』を知る事ができるエッセーが出た(読売新聞2021年12月)」。私の知人でロシアに行ったことのある人は口々にロシアを「魅力的な国」と形容するが、私にとっては確かに「謎な国」である。そもそも社会主義国だったというだけで、「謎だらけ」の印象を持つ。しかも、「文学大国」とだという。ロシアでの文学と言って、私が思いつくのは、すでに「古典化」している(と私が勝手に思っているだけかもしれないが)「トルストイ」と「ドストエフスキー」位なもので、しかも名前だけ知っていて、ほぼ作品は未読に近い。そのような国に飛び込んでその中心でロシア文学を語るエッセーに興味が沸いた。

このエッセーは著者がロシアにあるゴーリキ文学大学に在籍していた時の日常を綴ったものである。まず印象に残ったのが、ロシアの人から見た日本及び日本人観である。「日本なんてエジプトと同じくらい遠くて縁がないと思っていた(p74)」というロシア学生の言葉に日本との比較対象が「エジプト」なんだと感じ、筆者の顔を見て「そういえばユリみたいな子が、前に見た日本のアニメに出ていた(p150)」と言われ、それが『千と千尋の神隠し』の千尋のことだったということに、日本アニメの浸透力に驚かされた。また、著者の名前「ユリ」はロシアでは男性の名前としての「ユーリー」に発音が近いということに、微妙な親近感が湧いた。

しかし、それ以上にロシアの中心から日本人として世界を見る著者の視点はかなり興味深いものであった。例えば、著者が一番親しくなった友人の恋人が愛の度合いを伝えるために腕にタトゥーを入れたのだが、その時の友人の反応が「よりによって双頭の鷲なんて、そんな国粋主義者みたいな…(p151)」と落ち込んだという。今でこそ資本主義の形をとっているロシアであるが、私の中では「愛国主義」というイメージを勝手に持っていただけに、全く若者たちはそのようなことはなかったのだということをこのエピソードだけでも十分伝わるものであった。また、ロシアの宗教観についても書かれているが、これが予想もしないものであった。あのソ連時代はロシア正教徒がいたものの、ひっそりとした状態で、ほぼソ連国民は無宗教だったという。それが、ロシアになってから、「『ロシア以外の世界中の人々もなにかしらの宗教を持っているはずであり、信仰心を持った人が善で、持っていない人は悪である』という漠然としたうえに極端な一般論につながり、それが広く浸透している(p167)」のだそうだ。またここでは、大学の教授の世代別の宗教観の違いも記しているが、ただのエピソードと括るほど簡単なものではないことに気づかされた。

本書の存在を知ったのは先にも書いたように昨年のことであるが、意図せず私の手元に届いたのが、ロシアがウクライナに侵攻した半月後のことであった。世界情勢に疎い私にとってこの戦争は寝耳に水のような感覚であるのが、正直なところであるが、本書を読むと、ロシアを取り巻く国々の緊張感がすでにロシアにいる彼女にはひしひしと感じていたことを知ることとなる。そして、3月16日の購読紙に今度はこの「ウクライナ危機」に関して著者のインタビュー記事が掲載された。もし、この戦争がなければ、もしかすると、本書をもっと軽い気持ちで読めていたのかもしれない。しかし、今だからこそ、ロシアと言う「国」をあえて知るために読んでもらいたい一冊となった。うっかり書き忘れてしまったが、このエッセイではその日常と共に関連するロシア文学についても語られており、ロシア文学のガイドブックとしても魅力的な本である。

=====  文責 木村綾子


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『誹謗中傷犯に勝訴しました』

2022年03月17日 | KIMURAの読書ノート



『誹謗中傷犯に勝訴しました』
moro 著 白井可菜子 監修 竹書房 2021年11月4日

 著者は息子さんが自閉スペクトラム症と診断されて以降、息子さんのことを中心にブログで綴ってきた。それをきっかけにエッセイコミックを刊行。現在も息子さんに関する著書を数々と出版している。その著者のブログに2013年春、1件のメッセージが届く。それは「あまり調子に乗らないほうがいいですよ あなたは嫌われていますから」という中傷的なものであった。これをきっかけに家族はネットによる誹謗中傷に悩まされ、結果的に裁判を起こし、勝訴することとなる。本書はそこまでの過程を描いている。

 この作品は裁判のことだけでなく、なぜ裁判を起こすことにしたのか、1件のメッセージを起点にそこまでの道のりも丁寧に記している。また、そのことにより、どのように炎上が広がっていくのか、そして、当事者である著者の心の有り様が変わっていくのかということも詳細に記録している。

彼女のブログは個人的なものではあるが、ブログを提供している企業からの公式ブログでもあるため、一連の流れを心配した担当者からコメント欄の閉鎖を提案され、一時的にコメント欄を閉じることとなる。しかし、誹謗中傷は2チャンネルに移行。更には彼女に対するアンチブログまで立ち上がり、そこでは更に中傷コメントが溢れる始末である。そうこうしているうちに、彼女への中傷だけでなく、彼女の子ども達に対する中傷、及び通学している学校まで特定されてしまう。また学校や教育委員会へ直接電話をかけ、息子さんに関するクレームを訴えるようにもなる。この件に関して両者は事実無根であることを伝えるのであるが、それが火に油を注ぐ結果となり、著者にとってより芳しくない状況になっていく。このような中、著者は「我が子たちの日常にまで支障をきたすかもしれない」と感じ、裁判を起こすことを決意する。

ネットに関する裁判は2段階になっていることを私は本書を通して知った。まず、アンチブログを運営している会社に誹謗中傷をしている発信者の情報を開示させる。そして、そこから発信者に対しての損害賠償の訴訟を起こすというものである。しかし、言葉にすると簡単であるが、易々とこのような流れができる訳ではない。まず最初に弁護士を探すことから始まる。しかし、弁護士にも専門分野があり、ネット環境に明るい弁護士というのを見つけるまでに一苦労する。いざ、情報開示請求をしても、ブログ運営会社はそれに応じないため、東京地方裁判所にアンチブログの投稿記事削除の申し立てを行う。と同時に、関係者に弁護士立ち合いの下、聴取を行い、アンチブログの書き込みの事実確認を行う。それを基に報告書を作成、地裁に提出する。このようにひとつひとつの段階を押さえながら、最終的に発信者が行ったことは違法行為であるという判決に結実する。裁判することを決めてからここに至るまでの期間、2年5ヶ月にも及ぶ。

今やネットの誹謗中傷は簡単に人を死に追い込むものとなっている。見えない相手との戦いは金銭的にも精神的にもかなりきついものである。そして、勝訴してもその後遺症というのはのちのちまで響く。そのような状況の中、著者はこの裏のネット社会と「戦う」という選択を視覚化して本書に表してくれている。本書は今後我が身にも起こりうるネットトラブルの一助になるのではないだろうか。最後に結審時の裁判所の言葉をここに引用する。

「アンチブログは電波力のあるサイトであり原告の社会的評価を低下させるものである。その内容は自閉症およびその育児に対する差別や偏見を助長しかねず、原告の今後の仕事にも影響を及ぼしかねない。本件各投稿は原告の名誉権を侵害する違法行為である」(p180~181)
     文責 木村綾子


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KIMURAの読書のーと『恐竜研究の最前線』

2022年03月02日 | KIMURAの読書ノート


『恐竜研究の最前線』
マイケル・J・ベントン 著 久保田克博/千葉謙太郎/田中康平 監訳 喜多直子 訳
創元社 日本実業出版 2021年6月

昨年12月の頭にとある1冊の本に出合った。それは現在恐竜学者として活躍する田中康平氏が書いた『恐竜学者は止まらない!』(創元社 2021年8月)である。これは彼の研究領域を伝えたものであった。そこから、私が幼い頃に身に付けた恐竜の知識が全く役に立たなくなっていることを知った。今では恐竜の子孫が鳥類であるのが定説だという。しかも、恐竜には「羽毛」があるという。昨年最大の驚きであった。そこからである。頭から恐竜のことが離れなくなり、ひたすら恐竜関係の本を読み漁った。その数、十数冊。そして、今回取り上げる本はその集大成となる本である。

本書は恐竜研究の歴史から各論に至るまで、たくさんの図説や画像を掲載し説明している。現在も恐竜研究は日々進んでおり、それはコンピューターの発達、各種機器の発展によるものが大きい。しかしながら、それだけではなく、今も尚、フィールドに出て、地道に発掘作業を続ける研究者の努力がこれらの文明の利器と相まって、この研究分野を押し上げていることが分かる。各論は「起源」「分類方法」「発掘方法」「遺伝子」「食生活」「移動様式」「大量絶滅」と多岐に渡り、どれも興味深いものばかりである。

この中で私はとりわけ興味深く感じたのは、「遺伝子」についてである。この論では、かつて話題となった小説(後に映画化)『ジュラシック・パーク』(マイクル・クライトン 著 酒井昭伸 訳 早川書房 1993年)を引き合いに出し、恐竜のクローンが可能かどうか、つまり現代に恐竜を蘇らせることが出来るのかということにまで話は広がっている。そして、現在の研究においてその方法は理論的にはすでに分かっているとのこと。また、恐竜のDNAも抽出に成功しているという。しかしながら、そこから先にはまだまだクリアしていかなければならない課題(倫理的なものだけでなく、科学的に)が多くあり、今の科学ではまだ不可能のようである。しかしそこにはロマンがあり、希望があり、未来を感じる。著者はこのように語っている。「恐竜が蘇る日が来るかどうかはわからない。~略~ 古生物学の醍醐味は、分子生物学、遺伝子学、有機化学など、学問の垣根を超えた共闘にある(p165)」

本書をカテゴライズすると恐らく「学術書」の分類になるであろう。正直、今の恐竜の世界を知りたいからと言って、本書をいきなり読むのは少々酷かも知れない。しかし、現代の恐竜事情を少しでも知っているなら、是非手にして欲しい。なぜなら、他の一般書と異なり、そこに至るまでの過程(歴史的背景)となぜそのような結論になったのかという分析結果が詳細に、つまり計算式に至るまで記載されており、恐竜研究がいかに「科学的」に行われているのかということは分かるからである。かつて、恐竜研究は「発掘」されたものから「推測」して結論を導き出すものであった。しかし、現在では「科学的知見」によって検証されたものであることが手に取るように分かるからである。つまり、私が子どもの頃見ていた恐竜図鑑はまだ「推論」で補っているところが大きかったという訳である。本書はその「科学的知見」がどのようなものであるのかということも並行して知ることができる。著者はあとがきに科学専門誌の元編集者の言葉を引用しながら、次のように本書を結んでいる「(元編集者は)科学には発見すべきものが多く残されており、新たな発見から新しい疑問が生まれると明言した。古生物学や恐竜学にも同じことが言える。新たな世代の頼もしい考えによって、新たな謎がもたらされる日を心待ちにしている(p308)」。私も再び子どもの頃のわくわく感を持って、今後恐竜の新たな謎が解明されるのか、はるか太古の時代に思いを馳せながら楽しみにしている。


====文責 木村綾子


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KIMURA の読書ノート 『プロ野球「経営」全史』

2022年02月16日 | KIMURAの読書ノート

 

『プロ野球「経営」全史』

中川右介 著 日本実業出版 202110

 

球春到来。現在各チームは春季キャンプの真っ最中である。しかし今シーズンも昨シーズン同様、各チーム他球団のことよりもコロナウイルスの動向に目が離せない状態であろう。それでも、ペナントレースに向けて一心不乱にバットを振る姿をスポーツニュースから観ていると、ただただ怪我なく、病気なくキャンプを完走して欲しいと願うのみである。それでも、まだまだファンとしては野球濃度が低いこの時期、どうしても関連本で心の穴を埋めてしまう。本書がその一つである。

本書は確かに野球関連本であるのだが、野球に直球の内容ではない。現在、いや過去においてもプロ野球の球団のほとんどが親会社を持っている。その親会社に焦点を絞ったものである。しかも、現在は姿を消しているチームにまで言及しており、その数55社。おかげでページ数も446ページとなかなかに読みごたえのあるプロ野球史である。

 

この歴史は日本に最初の野球チームを作った平岡熈(ひらおかひろし)のことから始まる。そして後にプロ野球球団を創設することになる阪神電鉄と阪神急行電鉄(阪急)の攻防戦に話は移っていく。更には現在最多優勝を誇る読売巨人軍の親会社、読売新聞をはじめとする新聞社の戦いに転じる。これらは無論、戦前の話である。ここから、1リーグ制の誕生、戦時下における各会社の動向。戦後の2リーグ制に移行する各会社の思惑など、現在に至るまでの企業の動きが詳細に記録されている。

 

戦前の親会社の主な業種は「鉄道会社」と「新聞社」であった。なぜこの業種が「野球」に目をつけたのか。それは「野球」そのものに興味があったのではなく、「野球」チームを作ることで、自社の利益があがると算段したためである。鉄道会社であれば、自身の鉄道沿線に球場を作ることで、乗客数が増える。新聞社であれば、自分のチームを記事にすることで発行部数を伸ばせるという訳である。ここには戦前、鉄道会社と新聞社が国内において力を持った企業であることも浮き彫りになる。また戦後は映画会社が力をつけていく模様とその衰退、食品業界の参入、そして、現在ではIT企業の進出と目まぐるしく合わっていく業界とチーム編成は時代を反映させていることをつくづく感じる。

 

 意外だったのが、「プロ野球の父」と呼ばれている正力松太郎のことである。よくも悪くもプロ野球に影響を及ぼした人物であるが、彼は一切「野球」に興味がなかったという。彼は自身が所属する新聞社が儲けるにはどうしたらいいかということのみを思案。今でも野球史に名を残すペーブルースを日本に招聘しながらも、彼が何者か知らなかったらしい。ただ「世界一の野球選手」ということだけを聞き、自社主催で呼んだのである。著者は彼の思惑についてこのように言及している。「正力は『プロ野球は儲からなくていい』と慈善偉業であるかのように語っているが、それは表向きで、裏では読売新聞社は儲けていた。読売新聞は巨人戦を中心としたプロ野球を報じることで売上を伸ばしていったので、トータルでは儲かる。だが、他の球団はそうもいかない。後に多くの球団が慢性的な赤字体質になるのは、出発点での正力の姿勢に問題があった(p91)」

 

さて、私の推しチーム、広島東洋カープに関してはどのように本書では紐解かれているのか、実はまずそこに興味があった。しかし、他の球団と全く異なる成り立ちを持つチームであるためかなり無理があったようである。ある時は新聞社として、ある時は自動車会社を親会社とするようなカウントの仕方をしている。それでも最後には「(市民球団)」として補足をしていた。広島の各企業と市民が寄付をして、現在まで親会社を持っていない球団。親会社を持つ球団としての「ビジネスモデル」にはならないが、球団経営の「ビジネスモデル」の一つとして今後も継続してくれることをとみに願う。

     文責 木村綾子


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