『エモい古語辞典』
堀越英美 著 朝日出版社 2022年7月
「古語辞典」と聞くと一般的には古典の受験勉強をする時にひたすらめくった分厚い、いわゆる辞書をイメージする。辞書なので体言も用言も古語に必要な言葉を一緒くたに五十音順で並んでいる。しかし、本書は少し趣が異なる。まえがきによると、この本の企画のスタートはマンガ好きの中学生から「好きなキャラをエモく表現するために感受性を爆上げしたいから、爆エモな語彙を知りたい」と頼まれたことにあるという。そもそも今、若い人たちに浸透している「エモい」という言葉。これもまたまえがきに書かれていることであるが、この「エモい」は古語の「あはれ」とほぼ同じ用法であるということである。つまり、「感動を覚えて自然に発する叫びから生まれた語」なわけで、それなら「エモい表現」の宝庫である古語を活用しない手はないと著者は思ったようである。そのため、この辞典は現代言葉に組み合わせやすいように「体言」のみで構成されている。また本書は五十音順ではなく、第一部は「天文」、第二部は「自然」のように現象によってカテゴライズされている。更に「天文」の中でも「時間」「季節」など更に細かく分かれている。
前回の読書ノートで取り上げた『平安女子は、みんな必死で恋してた』の中で、著者が古典にはまっていった理由の1つに「この時代の物語に出てくる単語が圧倒的に男女関係にまつわるものが多く、一つひとつの持つ意味合いが細かく定義されているため」というのを思い出した。実際、本書では第三部の「人生」の中の「感情」という区分に「恋」に関する語彙だけを集めたページがある。現代では使わない語彙がここだけでもてんこ盛りである。その中には現代でも使われている言葉がないわけではないが、逆にそれは昔から使われていた言葉が現代にも引き継がれているということに驚きを感じた。この中には今では全く連想できない言葉もあった。その1つが「蜘蛛の振る舞い」。蜘蛛と「恋」はどこでつながるのかとその意味を読んでみると「クモが巣をつくる動作。恋人が来る前兆とされた」とある。つまり、1000年近く前の人たちはクモが巣をつくるのを見ると恋人が来ると思い浮足立っていたということなのだろうか。面白くもあり、今とは異なる感覚で不思議な感じもする。しかし、「恋」という区分を離れても、本書全体を見渡せば、「恋」や「男女に関係する」言葉が散在している。例えば、「第一部・天文:朝」に区分されている「後朝(きぬぎぬ)」という言葉。これは「男女がお互いの着物を重ねかけて共寝した翌朝、起きて着るそれぞれの衣服。朝の別れの象徴。または男女が一夜をともにした翌朝」の意味らしい。また「第二部・自然:哺乳類」にある「うかれ猫」。「恋に無釉になって鳴きながら浮かれ歩くネコ」とある。同じく猫に関しては「恋猫」というのもある。こちらは「恋に夢中なネコ」と単語そのままの意である。確かに発情期の猫が外で鳴いているのを目にすることはあるが、それを現代人は「恋」と連想することはほぼないであろう。「第五部:言葉」は「ことわざ・故事」そして「熟語」を集めたものであるが、ここでも「愛」に関して単独で四字熟語を集めている。この1冊を見渡すだけでも、イザベラが語ったように、確かに「恋」や「男女関係」に関する言葉が多いということがよく分かる。
また、「恋」とは離れて興味深かったのは、熟語に関してである。受験に話は戻るが、私自身受験対策としてかなりの二字・四字熟語を覚えたつもりである。しかしそこには私の知っている熟語、つまり受験対策用の熟語というのが皆無であった。「神韻縹渺」、「自分の語彙では言い表せないほどに神レベルに優れた作品の趣」という意味だそうだが、熟語以前に使われている漢字自体初めましてである。
この1冊に表されている語彙だけでも、私たちの祖先は自分の些細な気持ちをいかにして文字で表そうとしていたのかということが垣間見ることができる。それは可能な限り、気持ちの行き違いのないようにしたいという努力なのかもしれない。今、コミュニケーション能力を問われているが、それは新たに獲得する能力ではなく、本来私たちが持っている能力であり、それがなぜ衰退したのか、もう一度先人たちから学ぶべきものではないのかと気づかされた。
========文責 木村綾子