『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』
五十嵐大 著 幻冬舎 2021年2月
2020年4月の読書ノートで、ろう者の両親から生まれた聴者である子ども(コーダ)が主人公となっている(実際にはすでに「子ども」ではなく「大人」になっているが)『デフヴォイス』(文藝春秋 2015年)を取り上げた。これはあくまでもフィクションであったが、今回紹介するのはコーダである著者がその境遇について赤裸々に語ったノンフィクションである。
まず「まえがき」を読んで衝撃だったのは、自分自身が「コーダ」と知ったのは大人になってからだということ。それまで、聴こえない親に育てられているのは自分くらいだと思っていたというのだ。更に聴こえない親のことが「嫌い」だったとも綴ってある。それでも、こうして自分自身や家族のことを記して本を上梓したということ、そこに至るまでの心の動きがどのように変化していったのか、かなり気になりページをめくっていた。
その中で分かったことは、決して最初から彼は親が嫌いだったわけではないということ。両親がろう者であっても、それが「普通」であり、当たり前の日常として彼は物心ついた時は過ごしている。しかし、小学校に入ってから彼に心境の変化が生まれる。それは、彼が同級生と自分の家で遊んでいた時、母親の話し方がおかしいと同級生に指摘されたことが発端になったようである。その後、小学校のクラブ活動で彼は「手話クラブ」の発起人となって活動するのだが、そこでも同級生から手話クラブに対して「なにそれ、変なの」という言葉を投げかけられる。そして近所でも全く身に覚えがないにも関わらず、親が障害者だからという理由だけで、犯人扱いにされてしまう。つまり、彼が両親を嫌いになったのは、周囲からの差別的発言を受けたことによるものなのである。これが大人であれば、何とかやり過ごすことや、もっと理論的に反論することができたかもしれないが、何分にも小学生である。それらの言葉を否定するだけの知識や術を持ち合わせているはずがない。ただただ、それを正面で受け止めてしまい、それが両親への嫌悪感につながってしまったのである。彼に向けて言葉を発した人は、軽く口にしたのかもしれないが、そのため彼は10年以上も両親に対してマイナスのイメージだけが付きまとってしまうことになったのである。
それが氷解するのは、彼が仕事で上京し、誘いを受けた手話サークルで、「コーダ」という言葉を教えてもらったことにある。そこで、初めて著者は自分と同じ境遇の人が世の中にはたくさんいるということを知り安堵感が生まれたと記してある。彼は上京するまで宮城県に住んでいた。どうしても、地方と都心とでは地域格差、情報格差が生まれてくる。彼がもし、最初から東京に住んでいたら、差別的発言を受けても、親に嫌悪感を抱かなかったのかも知れないとも考えた。
また本書では、優生保護法のことにも触れている。彼の母親はその被害者にはならなかったものの、それでも子どもを産むことを周囲からは反対され、彼を身ごもるまでに結婚してから10年の歳月を必要としている。
『デフヴォイス』で主人公の荒井は、自分の過去を振り返り、マイナスの思い出しかないことを作中で語っていたが、まさに本書の五十嵐はそれを現実のものとして体現している。決して物語中の荒井の過去は大げさなものではないどころか、まだまだオブラードに包まれていたことすら分かる。そのような中で荒井は「法の下の平等」を願い、コーダとして手話通訳士をしているが、本書の五十嵐はコーダのライターとして文章で世界を変えていくと綴っている。フィクションとノンフィクションと異なる世界の二人の思いがつながっていく一瞬であった。そして、著者の今後の活躍を期待しないわけにはいかない。この2冊、是非併せて読んでいただきたい。
文責 木村綾子