京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート 国境なき医師団を見に行く

2018年07月17日 | KIMURAの読書ノート

『「国境なき医師団」を見に行く』
いとうせいこう 著 講談社 2017年11月

 「国境なき医師団(以下:MSF)」に知人を通して個人的に寄付をしていたところ、MSF広報より取材を受けることになった著者。その縁がきっかけで逆取材を申し込み、作家としてMSFの活動を記録したルポタージュである。

本書は、ハイチ・ギリシャ・フィリピン・ウガンダの四か国での活動が記されている。MSFの活動と言えば、途上国での診療活動のイメージがあるが、それは活動の一部であり、実際は多岐に渡るようである。著者自身、MSFから取材を受けたことでこのことを知り、自分でも現場で取材をし、原稿を書くことによってこのことを伝えたいという気持ちになったという。言葉の通り、診療活動に関しては、最後のウガンダで大きく触れられているが、他国ではそれ以外の活動を主軸に置いている。本書の中だけでも、ハイチの産科救急センター、性暴力被害者専門クリニック、コレラ緊急対策センター、ギリシャのVoV(暴力や拷問を受けた人びとを対象としたプロジェクト)、フィリピンのリプロダクティブ・ヘルス
(性と生殖に関する健康)などがある。

更には、医療従事者だけがMSFではなく、そこでは医療器具を管理するエンジニアであったり、ドライバー、そして文化的仲介者というスタッフの存在も紹介している。ここで、インタビューした文化的仲介者は難民として母国から逃れてきた青年であったが、母国に戻らずにそのまま他国で身を寄せる選択をしたという。そして、彼の仕事は主に難民をサポートするものであるが、具体的には、言葉を通訳し、それぞれの慣習を医師に説明し、また患者にこちらの支援方針や内容を理解してもらうことを担っている。

日本人のMSFスタッフが著者に語ったところによると、例えばアフリカの活動地では、ヨーロッパ系やアフリカ系のスタッフのみだと自己主張が激しくなるため、日本人スタッフは調整機能として、チームに1人組み込むのだそうだ。その方が実際に上手く働けているという。また日本が平和を重んじて外に軍隊を出さないというのも、国際社会で日本人が小性的な役割を果たすのに大きく役立っているという。しかし、残念なことにこれを聞いた直後に南スーダンへの駐屯が海外でも話題になり、他国のスタッフからも惜しいという声が聞こえたという。話は飛ぶが、現在西日本の災害で被災地は大変な状況になっている。政府は果たして現場の声を聞いているのだろうか。決してMSFが活動している海外でのことで
はない。国内のことである。空白の66時間。一体何をしていたのか。本書を読みながら、そのようなことも思ってしまった。

作家という文章を紡ぐ仕事をしている著者であるが、MSFをほぼ何も知らない読者と変わらない目線でのスタッフへの問いかけは素人さながらで、MSFのスタッフからの突っ込まれた返答に何も答えられずに赤面するという様子も綴られている。だからこそ、読者に分かる事実というのが、本書にはいたるところに転がっていて、安心して読める1冊でもある。


文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート[母の家がごみ屋敷]

2018年07月02日 | KIMURAの読書ノート


『母の家がごみ屋敷』
工藤哲 著 毎日新聞出版 2018年2月
 
本書は毎日新聞の連載記事をまとめ、更に加筆して一冊にまとめたものである。「ごみ屋敷」と聞けば、家の中だけでなく、それに続くようにごみが外にまで散乱し、近所の人たちが迷惑をしているという映像をテレビなどで誰もが一度は目にしたことはあるのではないだろうか。「ごみ屋敷」が全てではないが、このように自分の身辺についての放任や放棄を「セルフネグレクト」と言う。私たちが映像で目にする「ごみ屋敷」の当事者はこれらのごみに関して「ごみではない」と口に、視聴者も思わず「どうしようもない人」と烙印を押してしまいがちであるが、本書から見える姿、それは当事者の本心ではないことが分かってくる。
 
第1章ではいわゆる「ごみ屋敷」と言われた事例を新聞記事から紹介し、第2章では実際に著者が「ごみ屋敷」の現場を取材し、なぜこのような状況に陥ったのか原因を探っている。このような現状の中で、行政の対応を伝えているのが第3章。そして、医療や医師の役割について考察が第4章。章立ての最後はこれらのことについて専門家からの意見が記され、巻末資料として「セルフネグレクト」に関する主な研究が添付されている。
 
読後に思ったのは、テレビで写し出された「ごみ屋敷」が決して他人事ではなく、自分自身にも当事者として起こり得ることだということ。著者は「はじめに」で日本のごみ出し作業について言及している。最近では、24時間いつでもごみを捨てられる集合住宅が増えてきているが、まだまだ多くが分別して、さらに決まった曜日の時間に指定のごみ集積所まで自分自身で出しに行かなくてはならない。若い(と言っても40代)著者ですら、病気になったり、動くのがおっくうな時は、この分別・ごみ出し作業がめんどうになるのに、高齢となりまさに体が動かしにくくなった時、これら一連の作業は大きな負担ではないのだろうかと。ましてや、高齢者は「人に何かを頼む」ということを好ましく思わない。「ごみ
を代わりに出してきて欲しい」と他人に頼むことはなかなか難しいだろう。もちろん、自治体によっては、この「ごみ出し」に対しての支援を行っているところもある。例えば、所沢市ではごみを集積所まで捨てに行けない高齢者を対象とした「ふれあい収集」を行っており、この10年で利用者は増加傾向であるが、それでも先に記したように「人に迷惑をかけられない」という理由で支援を受けることに消極的な高齢者がまだまだ多いというのが現状である。一般社団法人産業管理協会のHPによると、ごみの分別の理由は、「ごみの中には、もう一度試験後資源として使えるものがあり、これを分別してごみ出しをすることでリサイクルルートに乗せることができる。」とあり、実際私たちも現在その理由により行政
からの指導を受け、分別・ゴミ出しを行っている。しかし、こうすることにより、負の部分を生み出す一端になっているということに気づかされる。だからと言って、現在のごみ出しの方法を大幅に変えていくというのは、現実的ではないだろう。
 
ルポタージュとしては、決して多くないページ数であるが、なかなか踏み込むことのできない弱者の生活に足しげく通い、時間をかけて丁寧に言葉を積み上げている本書は、特異な人が行っていると思っていた「ごみ屋敷」が、実はとても身近な課題であるという事を身に染みて感じさせるものであり、これから更に進んでいく高齢化社会の課題をまた一つ浮き彫りにさせた一冊である。

 文責 木村綾子

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