京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

『はだしのゲン わたしの遺書』

2013年01月17日 | KIMURAの読書ノート
2013年1月その2
『はだしのゲン わたしの遺書』(児童&一般書)
中沢啓治 著 朝日学生新聞社 (2012年12月20日)

『はだしのゲン』(汐文社 全10巻)の作者、中沢啓治さんの訃報が流れたのは昨年末の25日だった。報道によると亡くなったのは19日のことらしい。そこで話題になったのが、亡くなった翌日に刊行された本書のことである。亡くなった翌日に出版されるというのは偶然だったのか、それとも亡くなった直後に出すようにという彼の意志だったのか知る由もないが、「わたしの遺書」とあるからには、彼の渾身の思いを込めて書かれたということだけは想像することができる。

本書はこれまでの作者自身の生い立ちを綴ったものである。彼の描いた『はだしのゲン』はかつて画がリアルすぎると言った批判を浴びたこともあるようだが、原爆が投下されたあの日からの彼自身の周囲の様子を記した場面は、正直漫画『はだしのゲン』よりもリアルであった。それだけで作者の思いとその体験が読み手に重くのしかかってくる。『はだしのゲン』を描かなければならないと思い至ったきっかけは彼の母の死だったようだ。火葬場から出てきた母の遺骨はそこになく、全てもろく崩れて灰になっていたという。彼の言葉を借りると「原爆というやつは、大事な大事なおふくろの骨の髄まで奪っていきやがるのかと、はらわたが煮えくり返りました」(p15)。原爆投下21年後のことである。

『はだしのゲン』は原爆の悲惨さを訴えただけのものではない。本書にも記されているが、今や少年誌のトップを走り続ける「週刊少年ジャンプ」で連載されていた。『はだしのゲン』が掲載され始めたのは1973(昭和48)年のことであるが、その時期の人気連載漫画『ど根性ガエル』や『ハレンチ学園』など楽しく笑える作品と並んで掲載されていたということが画期的なことではないだろうか。そして、当時は「リアルすぎる」という非難も浴びながらも学校教育(学校図書館)にマンガが取り入れらたのも『はだしのゲン』が最初である。「原爆漫画」という枠を超えて漫画界に新たな1ページを記したのもこの作品であることに今更ながらに注目する。実際に「子ども達には今尚受け入れられており、学校図書館内の『はだしのゲン』はどの本、どの漫画よりも多くの子ども達が借りており、数年に1回は交換しなければならないほど、ボロボロになっているのを私は多くの小学校で目にしている。作者の思いが子ども達に確実に届き、生き続けている証である。

『はだしのゲン』は、おそらく作者が描き始めた頃の気持ちはともかく、彼のライフワークにもなっていたようである。第1部、2部あわせた10巻を読んでいる私としては、その後のゲンの行く末が気になっていた。残念なことに2008年に病気のため断筆され、残念ながらそれ以降が出版されることはなくなった。しかし、本書で知る限り、ゲンが成長して原発問題まで考えていく構想があったという。そして2011年の原発事故である。この部分をここで取り上げることはしないが、やはり本書ではこれに関しても作者は言及している。

本書最後の彼の言葉。
「『はだしのゲン』は、わたしの遺書です。わたしが伝えたいことは、すべてあの中にこめました。『はだしのゲン』がこれからも読みつがれていって、何かを感じてほしい。それだけが、わたしの願いです。」(p216)

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『2033年地図で読む未来世界』

2013年01月02日 | KIMURAの読書ノート
2013年1月 その1
『2033年地図で読む未来世界』(一般書)
ヴィルジニー・レッソン 著 田中裕子 訳 早川書房

新年明けましておめでとうございます。この読書ノートも今年で10年目を迎えることになりました(正確には9月スタートですが、その時には忘れている可能性が高いので今記しておきます)。
これも師匠からこのような場を与えて頂き、更に皆様が拙文を温かく見守って下さっているお陰です。
本当にありがとうございます。
今年も私の趣味全開の読書ノートをお届けいたしたいと思っておりますので、御笑覧頂ければ嬉しく存じます。

さて、本書。縦24cm×横26cm、オールカラーという形態。かなり贅沢に装丁されている。第1部は「人口を知ると世界が見えてくる」。第2部「世界の人口は本当に過剰なのか」、第3部「過剰消費の時代」という構成。各項目は更に細分化され、「食糧」「水」「エネルギー」「気候」など今世界で課題となっていることを中心に、様々な形のグラフィックとデータで表されている。もちろん、そこにはそれらを元にした著者が予測する30年後の地球も示されている(2033年最初のトピックスは「1月18日(火)レスリー・コルデロ・メンドーザ、アメリカ合衆国第48代大統領に就任する」とある。p183)それでも、著者はプロローグで「未来はまだ描かれていない」と指摘し、「未来は予言できない」「未来をつくるのはわれわれ人間である」と言い切っている。なぜなら、「綿密な調査を行っても歴史が急変するような出来事や前代未聞の事態がいつどこで起こらないとも限らない」(p15)からである。本書に取り上げられている項目だけでも、縦糸と横糸、1つ1つのトピックスが単独で展開されているわけではないことがよく分かり、正直眩暈がしそうである。

その中に「日本」が大きく取り上げられている話題がある。それが第1部の中の「人口減少で冬の時代へ」というテーマであり、ここではドイツと日本の人口減少について論じられている。が、本書を読む限り、日本はドイツ以上に深刻な状況であることが一目瞭然となる。しかも、今行われている日本の対策に関しては限界があるとまで言及している。更にこれとは別のところに、こっそりと、しかしはっきりと「世界の勢力図において、もはや欧州と日本の出番はない」と切り捨てられている。

本書において大切なことは、日本が、世界が今後どのようになっていくのかというのではなく、日本がどのように海外から見られているかということだと思う。しかも著者はフランス人であり、アメリカやイギリスの経済学者が日本について発信しているのを見聞きする場面は多いが、フランスの人がどのように日本をデータから読み取っているかということを知る機会というのはなかなかないように思える。そのような意味においても日本人として本書を手にすることは貴重な機会であろう。

先に、日本に関して悲観的なことを挙げたが、そればかりではない。人口密度が高いのに生活水準が高い日本を見てみると、人口密度が生活条件や環境に悪影響を与えているとは考えづらいということも述べてもいる。あくまでも、これまでの世界各国のデータを分析した結果をフランス人の目を通して描いた世界の未来地図である。いい所、悪い所指摘されているのは日本だけではない。

それでも、日本に関して最も残念な箇所を見つけてしまった。災害に対してリスクの高い日本は「人的被害や物的被害が最小限に抑えられている」(p171)と書かれているのだが、これがフランスで出版されたのは2010年のことである。その後東日本大震災が起こり、さすがに「最小限」とは言いがたいところがある。プロローグで記されていた「歴史が急変するような出来事」がこれに当たるのであろう。

年末、日本では選挙が行われ、再び首相が交代した。あまりにもの早いサイクルで毎回首相が変わることにすでに慣れてしまった感もある。それは私たち国民もそうであるが、当の政治家達も同じではないだろうか。そうなると、政治が「長期ビジョン」として展開されなくなる。2033年と言えば、さほど遠い未来ではない。わずか20年先である。計画や予定は長期なものからそれを細分化して短期的に何をするべきかということを洗い出すと私はかつて学んだ記憶がある。著者が述べるように「急変する出来事」もあるだろう。それでも、「長期ビジョン」を本書のように日本の政治家にも語ってもらいたいものである。

2013年がスタートした。20年後の2033年。日本はどのような国になっているのであろうか。できれば、いい方向で「未来をつくり」たいものである。少なからず世界から切り捨てられることだけは避けたいを私は願う。

「いま行動すれば、未来はまだ変えられる。」新年の幕開けに心に刻んでおきたい言葉である。

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