京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『だから日本はずれている』

2015年04月15日 | KIMURAの読書ノート
『だから日本はずれている』
古市憲寿 著 新潮社 2014年4月

著者の古市氏は1985年生まれ。若手の社会学者の論客としてあちこちの紙媒体をはじめとしたメディアで引っ張りだとなっている。その著者が自分自身が思う「日本のズレ」について語ったのが本書である。この「ズレ」は世界と対比しての「ズレ」でもあり、著者や著者の周辺にいる「若者」が「何かがおかしい」と思っている主観的な「ズレ」も含まれている。

しかし、冒頭で著者は、自分自身が若者代表のように騒がれているが、それは自分が初めてのことではないと、釘を刺す。古くは、昨年末政界を引退した石原慎太郎氏もそうであったし、村上龍氏も然り。そして、大人は「若い人のことは分からない」というが、著者曰く、「大人の方がもっと分からない」。そして、更には「今の日本を仕切っている偉い人」はもっと謎に包まれていると一蹴する。このようなことを心に抱きながらも彼が綴った日本の「ズレ」を明らかにしている。

奇しくもこの読書ノートを書いている日が、統一地方選挙当日。誰もがこの混沌とした日本、いや日本と言わずとも自分が住んでいる地域くらいなら、何とか住みよいものにしてくれないであろうかいう希望をもち、「リーダー」となるべく人を投票する。しかし、最初の章で、彼は「リーダー」なんていらないと一蹴する。そもそも、「強いリーダー」が何とかしてくれると思うことに「ズレ」があると著者は語る。その例として挙げられているのが、iPhoneを発明したスティーブ・ジョブズ。確かに彼の発明のおかげで世界各国が身近になり、生活が大きく変わっている。そして何よりも彼が築いたアップル社が今はなくてはならない存在となっている。そのアップル社がここまで大きくなったのは、間違いなく優秀であったジョブズのトップダウンによる経営が大きく関わっている。しかし、ジョブズを語るときに、この成功事例だけを取り上げてしまうのは危険だと著者は言う。この影に隠れてしまっているが、ジョブズはここにたどり着くまでにいくつも会社をつぶしている。会社はつぶれても影響は限定的であるが、これが国だったらどうなのかと著者は疑問を投げかける。国は何回も潰すわけにはいかないし、ジョブズのような変人に任すにはリスクが大きいと彼は明言する。また、歴史的にも「強いリーダー」がもたらした悲劇を知っているはずであるとも綴っている。この第一章だけ読んでも、著者が冷静な目で日本の「ズレ」を暴いていることが分かる。他に今日(地方選)を軸に読み解いていくと、第3章の「ポエム」じゃ国はかえられないという視点も面白い。文科省が公立学校へ配布している道徳の副読本「心のノート」や憲法改正の草案が全て「ポエム」であると指摘しているのである。

後半はこの「ズレ」の中で若者がもがいている様子、そして最終章では、「ズレ」を放置したままにしていると、今後国はどうなっていくのか2040年の日本を予測している。ゆるくジョークをとばしながら書いているが、真面目に読むとこれが案外笑えない。「格差社会」はすでに前提になった上で、それぞれの階層の中で日本人は幸せに暮らしているだろうというのである。それを97歳の田原総一郎や90歳になった柄谷行人は非常に満足そうだったと揶揄する。

著者の予測は果たしていかがなものなのだろうか。本書の初版が1年前。それから年末での衆議院選ではその両氏の笑い声が聞こえたような気がしないでもない。果たして今回の選挙結果はどのようになっているのであろうか。

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KIMURAの読書ノート『貧困の中の子ども 希望って何ですか』

2015年04月02日 | KIMURAの読書ノート
『貧困の中の子ども 希望って何ですか』
下野新聞子どもの希望取材班 著 ポプラ社 2015年3月3日

『貧困の中の子ども 希望って何ですか』
下野新聞子どもの希望取材班 著 ポプラ社 2015年3月3日

この読書ノートでも「子どもの貧困」や「虐待」についての著書を幾つか取り上げている
。今回もまた「子どもの貧困」について書かれた本を紹介する。

本書は栃木県にある下野新聞社の取材班が県内における子どもの貧困について追いかけ、
連載記事にしたものを、更に修正加筆し1冊にまとめている。本書の特徴は先にも書いた
ように自分たちが住まう地域での出来事を取材したことにより、栃木県内の人にとっては
日本における「相対的貧困」というものが具体的に理解でき、より身近に感じることがで
きるということではないだろうか。

第1章ではそもそも「相対的貧困」というのはどのようなものなのかということを、用語
説明だけでなく、実際に児童養護施設で育った子ども(現在は成人している)の生の声で
綴っている。例えば、小学校や中学校における文房具品。一般家庭の子であれば、親と一
緒にお店に行って、自分のお気に入りのものを買ってもらうことができる。しかし、施設
にいるとそれは皆無で、事務的な緑色の同じ鉛筆が筆箱の中に納まり、他の筆記用具もま
た然りである。傘も支給された黄色い傘で、カラフルなものとは無縁の世界であると教し
えてくれる。もちろん、施設ではなく家庭にいながらも、相対的貧困世帯にいた子の事例
も取り上げている。

第2章、3章では教育についてまとめられている。高校に合格しても制服代が用意できず、
このような支援をしている人と出会い、用立てしてもらった例。親が身動きできず、働き
ながら学費と生活費の確保をしていて体を壊したり、奨学金といいながら今の日本ではこ
れはローンと同じなので、返せないから借りないという選択肢をする高校生。可視化され
にくい現状を目の当たりにすることになる。

第4章、5章では、その貧困家庭や児童に対して支援しているケースについて触れられてい
る。縦割り行政では差し伸べることのできない部分を民間やNPOが請け負っている事例
や、縦割り行政を超えて、行政内部だけでなく、民間やNPOが一つのチームとなって動
いているケースなどを紹介している。

第6章においては、なぜ「相対的貧困」が起こっているのか。本人の怠慢なのか。「母子
家庭 就労8割・貧困5割」をキーワードにそれをひも解いている。

第7章では、英国でのブレア宣言がどのように英国の貧困問題を解決に導き、かつ課題が
残ったのかということを分析し、8章においてこの子どもの希望取材班が取材して感じた
こと、分析したことを「5つの提言」としてまとめている。

同じような内容の著書でも、その地域性だったり、視点によって新たな発見が見つかる。
とりわけ、子どもの貧困が国内においてクローズアップされつつあるが、案外身近に感じ
ているという人は少ないのではないだろうか。

本書は栃木県という一つの県における事例である。
しかし、栃木県だけでも1冊にまとめられるほどの重たい現状がそこから浮き彫りになって
いることを考えれば、残り46都道府県同じようなことが起こっており、それをトータルする
と多くの子どもたちが貧困に苦しんでいることが想像できるのではないだろうか。
本書を手にする人は少なからず「相対的貧困」には当てはまる人ではないだろう。
せめて、読了後はサブタイトルにもなっている「希望って何ですか」に向き合い、応えら
れる人でありたい。

本書は、
2014年貧困ジャーナリズム大賞、
第14回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞
19回新聞労連ジャーナリズム大賞優秀賞受賞作品である。


          文責 木村綾子















































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