『護られなかった者たちへ』
中山七里 作 宝島社 2021年8月
仙台市の入居者のいない廃墟化したアパートの一室から一人の男性の他殺死体が見つかる。死体の手足はガムテープで何十にも巻かれ、口も同様にガムテープで塞がれていたが、辛うじて鼻だけは息ができるようになっていた。死因は餓死。飢えと喉の渇きにじわじわと苦しみながら死んでいったようである。この男性は仙台市の福祉保険事務所の課長で、周囲からの評価は高く、「善人」という言葉はこの人のためにあるようなものだとも言われていた。この事件を捜査することになった笘篠は怨恨の線で犯人を追うが全く犯人が浮かばない。そうしているうちに、最初の事件と全く同様の手口での他殺死体が見つかる。この被害者は県議会議員で「人格者」と呼ばれている男性であった。笘篠は同一犯とにらんで、更に捜査を進めていったところ、一人の男性が容疑者として浮かんでくる。
この作品は、今年10月1日に公開された同名の映画の原作である。なぜ犯人は被害者を「餓死」という残酷な方法で死に追いやったのかというのが、焦点となっていくが、そこには東日本大震災と切っても切れない繋がりがある。仙台市は東北最大の都市であることから比較的早く東日本大震災から復興したように見えた都市である。そのため、他の地域で被災した人がここに押し寄せ、とりわけ仙台の福祉行政はパンク状態となった。そこから生まれたのが今回の作品である。これを読んで重なったのが、前回の読書ノート『氷柱の声』とそこに記載したNHKの『おかえり、モネ』である。この2作品は「被災者」とそうでなかった者の苦悩や葛藤を描いているが、本作品のタイトルの一部になっている「護られなかった者」は、それらと同義語である。本中で容疑者となった男性がこのように語っている。「護られなかった者たちとそうでなかった者たちの境界線はいったいどこにあったのだろうか(p424)」。『氷柱の声』と『おかえり、モネ』には殺人事件は起こっていないが、それは物語の性質上の問題であり、東日本大震災が人に与えた苦悩と葛藤は決してこれらの作品のように殺人事件を起こさないとは限らない。少なからず物語上であるにしろ、その傷跡から殺人事件が起こってしまっている。それを読者は深く受け止める必要があると考えさせられた。と同時に、この東日本大震災はこれまで以上に、人々の行動や気持ちをより複雑化させたということも分かってくる。しかし、巻末の作者と(映画)監督の対談で監督はこのように話している。「震災という理不尽さと、社会構造の理不尽さを並行して描こうと考え、最終的にそれを人間と人間の関係で乗り越えていこうというテーマにもっていきました(p475)」。複雑化した社会や人間関係を乗り越えるのもやはり「人との関係性」であるというのが、3作品の共通テーマでもある。
実は今回に関して、映画は未鑑賞である。どうしても観たくてぎりぎりまで何とかスケジュールを合わせようとしたが、どうにもならず。なぜ、そこまでして観たかったのか。実はこの映画に『おかえり、モネ』の主人公を演じた清原果耶が出演していたからである。同じ東日本大震災を描く作品に同時期に相反する役で出演した彼女の演技。少なからずメディアでは高評価のようである。彼女はこの2作品をどのようにかみ砕き、自分の中に落とし込んで演じていたのだろうか。それだけが心残りである。
と言うことで、2021年も無事に読書ノートを完走いたしました。今年は東日本大震災より10年ということもあり、それに関連した作品をドラマから書籍と言う連続性の中で巡り会うこととなりました。そして、10年が決してそれを区切りとするものではないということをしみじみと感じた1年でした。さて、2022年はどのような本との出会いがあるのでしょうか。とてもわくわくしますが、これまで以上に本より大きな課題を与えられそうで、少々ドキドキもしている年末です。それでは皆様よいお年をお迎えください。
文責 木村綾子
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