『工学部ヒラノ教授の介護日誌』
今野浩 著 青土社 2016年
元東京工業大学教授の著者は、自身のことを「ヒラノ教授」と呼び、様々な角度から自身の周辺で起こった出来事をシリーズとして出版しています。その中の1冊が本書です。
タイトル通り本書はヒラノ教授が約19年間、妻である道子さんを介護した記録です。道子さんはヒラノ教授が51歳の時、悪性の不整脈と言われる「心室頻拍」を発症。その後、小脳が委縮して、運動機能が徐々に失われていく、「脊髄小脳変性症」という一万人に1人の難病を抱えます。ヒラノ教授の説明によると、この病気は発症後10年ほどで、嚥下機能に障害が出て、誤嚥性肺炎で亡くなることが多いそうで、実際、道子さんの最期のきっかけは誤嚥性肺炎によるものでした。
道子さんが発症してから、9年後にヒラノ教授は東工大を退官、その後の10年間は中央大学の教授として勤めておりますが、その生活は決して緩やかなものではありませんでした。しかしながら、ヒラノ教授の言葉を借りるならば、「大学という、時間に縛られることが少ない職場に勤めていたことである。大学教授は(少なくともこれまでは)、ある程度の研究成果を上げ、何科目かの講義を担当し、会議に出席し、ある程度の雑用をこなし、“悪事に手を染めなければ”、それ以外の時間は自由に過ごすことができたP215)」からとのこと。実際に、仕事を継続するために、ヒラノ教授は自宅での介護が困難になってくると、二人で介護つき有料老人ホームに入ります。それでも、道子さんの状態が悪いため、そのホ
ームでヒラノ教授は介護をしていきます。
道子さんの「脊髄小脳変性症」は遺伝性の病気で、道子さんのお母様もそれが原因で亡くなっていますが、ヒラノ教授と道子さんの娘さんも、道子さんが患ってまもなく発症します。実は娘さんが3人の中では、いちばん発症年齢としては早く、それが元で離婚となっているばかりか、離婚前には当時の夫から暴力を受けることになります。介護をする過程で起こってしまうDVにもヒラノ教授は本書で言及しています。そしてそれは娘さんの夫のことだけでなく、自分自身も道子さんに暴力を振るってしまったことも正直に書いています。
ヒラノ教授は19年に及ぶ介護をしていますが、実際には道子さんだけでなく、娘さんに関してもほぼ同時に介護をせざる得ない状況に追い込まれています。しかし、娘さんに関しては、ケアワーカーのはからいにより、かなり快適に過ごせる障害を持つ人の入所施設に入居でき、月に何回かの訪問でそのハードな介護生活を乗り切っています。
本書以前のシリーズには、大学を去った後は、「工学部の語り部」として本を出しながら余生を過ごすという趣旨のことを書かれていたのですが、実際には、娘さんの介護費用のためというのも、理由の一つであったことを本書で知ることになりました(道子さんは、ヒラノ教授が中央大学退職3日後に逝去)。ヒラノ教授には他に2人の息子さんがいらっしゃいますが、それぞれの生活があり、遠方にも住んでいるため、協力を求めるのは現実的ではないということも書かれてありました。
ヒラノ教授は介護生活を振り返りながら、まだ自分は幸運だったと綴っていますが、金銭的なこと、介護施設に入居しても自分自身がそこで介護しなければならない現実、遺伝性の病気で家族が同時に発症するケースなど、ヒラノ教授が経験したことは読んでいるだけで身につまされます。そして、これが日本の介護の現状なのだとひしひしと伝わってきます。それでも、本書は、ヒラノ教授自身が関わったデータ(具体的な金額など)も踏まえていますので、今後介護にかかわる場合の参考の一つにもなるかと感じました。
文責 木村綾子