京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIIMURAの読書ノート 工学部ヒラノ教授の介護日誌

2018年02月21日 | KIMURAの読書ノート

『工学部ヒラノ教授の介護日誌』
今野浩 著 青土社 2016年

 元東京工業大学教授の著者は、自身のことを「ヒラノ教授」と呼び、様々な角度から自身の周辺で起こった出来事をシリーズとして出版しています。その中の1冊が本書です。

タイトル通り本書はヒラノ教授が約19年間、妻である道子さんを介護した記録です。道子さんはヒラノ教授が51歳の時、悪性の不整脈と言われる「心室頻拍」を発症。その後、小脳が委縮して、運動機能が徐々に失われていく、「脊髄小脳変性症」という一万人に1人の難病を抱えます。ヒラノ教授の説明によると、この病気は発症後10年ほどで、嚥下機能に障害が出て、誤嚥性肺炎で亡くなることが多いそうで、実際、道子さんの最期のきっかけは誤嚥性肺炎によるものでした。

道子さんが発症してから、9年後にヒラノ教授は東工大を退官、その後の10年間は中央大学の教授として勤めておりますが、その生活は決して緩やかなものではありませんでした。しかしながら、ヒラノ教授の言葉を借りるならば、「大学という、時間に縛られることが少ない職場に勤めていたことである。大学教授は(少なくともこれまでは)、ある程度の研究成果を上げ、何科目かの講義を担当し、会議に出席し、ある程度の雑用をこなし、“悪事に手を染めなければ”、それ以外の時間は自由に過ごすことができたP215)」からとのこと。実際に、仕事を継続するために、ヒラノ教授は自宅での介護が困難になってくると、二人で介護つき有料老人ホームに入ります。それでも、道子さんの状態が悪いため、そのホ
ームでヒラノ教授は介護をしていきます。

道子さんの「脊髄小脳変性症」は遺伝性の病気で、道子さんのお母様もそれが原因で亡くなっていますが、ヒラノ教授と道子さんの娘さんも、道子さんが患ってまもなく発症します。実は娘さんが3人の中では、いちばん発症年齢としては早く、それが元で離婚となっているばかりか、離婚前には当時の夫から暴力を受けることになります。介護をする過程で起こってしまうDVにもヒラノ教授は本書で言及しています。そしてそれは娘さんの夫のことだけでなく、自分自身も道子さんに暴力を振るってしまったことも正直に書いています。

ヒラノ教授は19年に及ぶ介護をしていますが、実際には道子さんだけでなく、娘さんに関してもほぼ同時に介護をせざる得ない状況に追い込まれています。しかし、娘さんに関しては、ケアワーカーのはからいにより、かなり快適に過ごせる障害を持つ人の入所施設に入居でき、月に何回かの訪問でそのハードな介護生活を乗り切っています。

本書以前のシリーズには、大学を去った後は、「工学部の語り部」として本を出しながら余生を過ごすという趣旨のことを書かれていたのですが、実際には、娘さんの介護費用のためというのも、理由の一つであったことを本書で知ることになりました(道子さんは、ヒラノ教授が中央大学退職3日後に逝去)。ヒラノ教授には他に2人の息子さんがいらっしゃいますが、それぞれの生活があり、遠方にも住んでいるため、協力を求めるのは現実的ではないということも書かれてありました。

ヒラノ教授は介護生活を振り返りながら、まだ自分は幸運だったと綴っていますが、金銭的なこと、介護施設に入居しても自分自身がそこで介護しなければならない現実、遺伝性の病気で家族が同時に発症するケースなど、ヒラノ教授が経験したことは読んでいるだけで身につまされます。そして、これが日本の介護の現状なのだとひしひしと伝わってきます。それでも、本書は、ヒラノ教授自身が関わったデータ(具体的な金額など)も踏まえていますので、今後介護にかかわる場合の参考の一つにもなるかと感じました。

文責 木村綾子



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KIMURAの読書ノート『僕には世界がふたつある』

2018年02月02日 | 大原の里だより

『僕には世界がふたつある』
ニール・シャスタマン 作 金原瑞人 西田佳子 訳 集英社 2017年
 
この物語は二つ舞台から始まる。主人公は15歳のケイダン。誰かがケイダンを殺そうとする家や学校と、ケイダン自身が乗って深海に向かう海賊船の中。これら舞台が半ページ、長くても3、4ページで入れ代わり、読者は何が物語の中で起こっているのか混乱してくる。舞台はそれぞれ独立して読んでいてもそれだけで十分の物語として成立している。それなのに、更に中盤に進むと、1つ目の舞台「家」が「病院」に移ってくる。ここまで踏ん張って読み進めるとケイダンの中で何が起こっているのか理解できるようになるが、それに至るまでに読み手がお手上げになるかもしれない。それを阻止するためにも、あえて予備知識をここに記しておく。本書の袖にもそれが書かれているので、隠す必要もないと勝手に
私が解釈することを許して欲しい。ケイダンは精神疾患を持った少年である。「家」は現実であり、「海賊船」は彼の脳の中の世界である。しかし、ケイダンにとっては共に現実の世界である。
 
この作品はフィクションであるが、作者の息子の実体験がもとになっている。彼に協力を得て、彼の持った病院の印象、恐怖、被害妄想、強迫観念、抑鬱の感覚、更には治療過程を丁寧に描写している。
 
例えば、ケイダンが家のベッドで横になっている場面、「『ふたりは、本当におまえの親なのか?』『やつらは偽物だ。本当の良心はサイに食われちまった』そんな声がきこえる。けどそれは、『おばけ桃が行く』(ロアルド・ダール作の童話)の科白だ。小さいころ、あの本がすごく好きだった。けど、もう頭のなかがぐちゃぐちゃだし、きこえる声にはすごく説得力があるから、なにが現実でなにが妄想なのか、わからなくなってしまう。その声をきいているのは耳じゃないし、頭でもない。その声は、たまたまのぞいてしまった別世界からの呼びかけなのだ。携帯電話が混線して、知らない外国語がきこえてくるみたいなもの。なのに、なぜかその意味が理解できてしまう」(p147)。病院でのケイダンはこのよ
うなことをつぶやいている。「部屋の奥に電気のスイッチがある。電気を消そう。それならできる。だけどできない。なぜなら、フルーツゼリーのなかのパイナップルのかけらになってしまったから。ゼリーから出ていこうという気にもなれない」(p187)。海賊船でのとある場面では、「僕の脳みそが左の鼻の穴から抜け出して、野生化した」(p225)
 
これらのケイダンの言葉を読者は彼が精神疾患を持っているからの言葉であることを知っているからこそ受け入れて読むことができるが、当事者はただただそれが現実であると思っているため、その恐怖というのは、想像を絶するものであろう。それと同時に彼の脳の中の世界、すなわち「海賊船」での世界、決してこれも彼にとっては愉快な世界ではない。常に追い詰められ、逃げまどい、混乱していく。それでも、その世界だけを抜き取ると一人の人間の別世界が豊かに展開されているということに気が付く。人はここまで世界を広げていくことができるかということに圧倒される。だからこそ、現実と脳の中の世界が交錯して精神疾患を持つ人は行き場を失うのであろうということが少しだけ想像できる。そし
て、逆に何を手掛かりに彼らはその世界から一筋の光を見つけるのか。作者はあとがきにこのように言葉を添えている。「精神疾患の暗くて予測不能な海を航海する人の気持ちがどういうものなのか、この本を読んで理解してほしいのです」(p353)
 
2015年度全米図書賞児童文学部門受賞作品。また現在、映画化も作者の脚本で進行中である。

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文責. 木村綾子






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