京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『二つの山河』

2016年07月21日 | KIMURAの読書ノート
『二つの山河』
中村彰彦 作 文藝春秋 1997年

徳島県鳴門市の観光スポットに「ドイツ館」がある。ここは旧板野郡坂東町であり、第一次大戦時に日本軍の俘虜となったドイツ人の収容所(坂東俘虜収容所)があったところである。そして、そのドイツ人達により、今や日本の年末の風物詩となっているベートーベンの交響曲第九番、通称「第九」が初演された地でもある。

なぜ、ここで第九の初演が行われたのか。それは、ハーグ条約に基づき、収容所に集められた俘虜たちの人権が守られ、ドイツ人の伝統や習慣がここ坂東収容所では営まれたためである。また、ここでは、俘虜たちは収容所の外に出ることも許され、坂東町の人々との交流が盛んに行われ、西洋の技術や文化、スポーツなどの指導も受けている。今でいうところのグローバル交流の先駆けともいえるであろう。

しかし、このような収容所は日本各地であったものではなく、この坂東収容所はかなり稀有な存在であった。他の収容所は、多くの人が想像するような劣悪な状況下であったようである。それでは、なぜという疑問が改めて浮かんでくるだろう。そこでの存在が当時の収容所の所長、松江豊寿所長であった。本書はその松江豊寿所長の生涯を描いた作品である。

松江所長は会津藩士を祖に持ち、幼少時代から不遇な境遇であったようである。収容所の所長になった時、彼はこのような言葉を残している。「かれらも祖国のために戦ったのだから」。本書によると、この言葉の背景がまさに、会津藩士の境遇とドイツ兵の状況が重なったと綴っている。作品の中で知るドイツ兵の生活は本当に楽しそうである。例えば、四国のお遍路さんの第一番札所「霊三寺」の門前を中心として開かれた第1回「俘虜作品展示会」でドイツ兵が発した言葉の一つが、「日本人にとってもっとも興味深い展示物はわれわれドイツ人だった」というものだったとか。山を越えて、海水浴に連れ出したことについて、上層部から指導が入った松江所長は「足を洗いに行っているだけである」と返答。それを知ったドイツ兵たちは、海に行くときは、大きな声で「足を洗いに行くのだ」と言いながら、嬉しそうに海水パンツを持って出たというエピソード。間違いなく、そこにはユーモアを生み出すほどのゆとりと信頼関係が生まれていることが分かる。

松江所長への信頼関係はドイツ人に限ったことではなく、その後会津の若松市長になったときも同じような人情あふれる対応をとり、周囲の人々から信頼を得ている。しかし、このような彼の行いはここでも上層部には受け入れられず、失脚させられる。いつの時代も志ある人が不遇な運命に翻弄させられるということに、つい考えさせられる。それでも、彼からの恩恵を受けた人々が後に様々な場面で人と人、国と国との懸け橋となっている。昭和49年、鳴門市はドイツ人俘虜の多くの出身地であるリューネブルク市と姉妹都市盟約を結んでいる。

鳴門市は渦潮で有名であるが、本書を読んだ後、是非「ドイツ館」にも足を伸ばしてほしい。ここに保存されている調度品を見ると、一目で松江所長が俘虜たちを尽力で守り抜いたことがよく分かるであろう。そして人権とは何かということを改めて教えてくれる。本作品は、1994年直木賞受賞作品でもある。

                  (文責 木村綾子)
 

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KIMURAの読書ノート『2020年の大学入試問題』

2016年07月02日 | KIMURAの読書ノート
『2020年の大学入試問題』
石川一郎 著 講談社 2016年2月

2020年大学入試におけるセンター試験が廃止され、高校2年時に「高等学校基礎学力テスト(仮)」、高校3年時に「大学入学希望者学力評価テスト(仮)」が行われることとなった。とりわけ、高校3年時のテストにおいては、これまでと異なり知識を問われるものではなく、どのような問題が出題されるのか、2020年に高校3年生を迎える家庭はすでに不安になっている様子が私の周囲ではうかがえる。本書は、現在東京の私立中高一貫校の校長である著者が、2020年以降大学入試に出題されるであろう問題を紹介しつつ、なぜこのような入試改革になったのか、今後子ども達に必要な学びは何であるのかということが丁寧に記されている。

本書で分かることの一つに、実は2020年の高校3年生に行われる「大学入学希望者学力評価テスト(仮)」(以下「評価テスト」)は2020年に新たに始まるものではないということである。現在の医学部受験や国公立大学における一般推薦入学で行われている小論文などがそれに該当し、知識と知識を結びつける思考力を要求している。その例として、2015年の順天堂大学医学部で出題された小論文の問題がここでは提示されている。

≪キングス・クロス駅の写真です。あなたの感じるところを800字以内で述べなさい。≫

この問題は各方面の教育関係者ではかなり話題になったようである。キングス・クロス駅とは『ハリー・ポッター』シリーズの9と3/4番線でいちやく有名になったイギリスの駅である。写真の中央には、日本では見かけない地下鉄と思われる駅の長い階段が中央にあり、上の方には、下を向いた感じで長いコートを来た男性の後ろ姿がある。そして右下には手すりに結びつけられた赤い風船が二つ写っている。この写真を見て、感じたことを800字、つまり原稿用紙にして2枚にまとめるのである。しかも、ただまとめるだけではなく、ここには大切なファクターがある。これを出題したのは「医学部」であるということをまず考えなくてはならない。将来的には人との関わりや生き死にを肌で感じる職業に就くこととなる。この800字の中に写真で感じたことを踏まえつつも自分の人生観や死生観を盛り込まなくてはならないということなのである。そこまで、考えて受験者はこの問題に取り組むのである。

著者の学校から実際にこの問題を受験し、合格した生徒の解答が本書で披露されているが、それは想像以上に高度な内容となっている。そしてそこから分かることは、これまでのセンター試験や二次試験を否定するものではなく、そこで得た知識を総動員して自分の思考と関係づけるという、更にレベルの高い入試となっているということである。実際にこの入試改革が行わるようになると、「その知識から背景にある理論に勧める思考力そしてその理論を批判し新しい理論を想像するまでの思考力が問われるようになる」(p162)と著者は指摘している。

しかし、この入試には問題があるようにも思える。その一つが経済格差の問題。すでに学力格差と経済格差には相関関係があると指摘されている。このようなハイレベルな入試に太刀打ちできる生徒というのは、知識もさることながら、その文化的背景など多様な面で経験をしていくことになる。多くの文化や経験を幼いころから身に付けることが可能なのはある程度、家庭にゆとりがあるところであろう。知識だけであれば、現在様々な団体が、学力に差が出来ないように、生徒をサポートしているが、それ以上のことをどこまでサポートできるかというのは、難しいところではないだろうか。そして、もう一つ。「評価テスト」が目的通りの解釈となれば問題ないが、「ゆとり教育」の時のように、途中で解釈が間違ってあらぬ方向に進んでしまうことにはならないだろうか。仮にそうなってしまった場合の生徒や中等教育以下の教育機関をただ振り回すことになってしまうであろう。これらのことが正直危惧されるが、2020年文科省が入試改革を行うその理由と言うのが、明確に分かる1冊であり、是非この年以降に受験生を持つ家庭には目を通して欲しいと思う。   (文責 木村綾子)

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