京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『神の島のこどもたち』

2022年09月16日 | KIMURAの読書ノート

『神の島のこどもたち』
中脇初枝 作 講談社 2019年1月16日

前回の読書ノートで戦争に関する本を今年は例年以上に引き当ててしまっているということを記しましたが、また引き当ててしまいました。次回は万が一引き当てても別のテーマの本を取り上げることにしたいと思いますが、今一度お付き合いください。

読み始めてすぐにこのフレーズ「アメリカに占領されたこの島に暮らす私たちは(p5)」に一瞬思考が停止しそうになった。ここの「この島」とは沖永良部島のことである。「沖永良部島」って沖縄だったっけ?すぐにスマホで調べてみると、私の記憶は間違いなく、そこは「鹿児島県」であった。更に沖永良部島について書かれてある文章を続けて読んでみる。そこには「第二次世界大戦後、連合軍総司令部の昭和21年2.2宣言により周辺の奄美群島と共に同年3月から祖国日本から行政分離されアメリカの軍政下に入る(ウキペディアより)」とあるではないか。私の人生で優に100冊は軽く超える戦争に関する本に出くわしているが、鹿児島県である沖永良部島を含む奄美群島がアメリカに統治されていたという事実に関する本は私からかすめていたのである。今回初めてこの史実をこの作品から教えてもらうことになった。それだけで驚愕である。この作品は戦後7年経った沖永良部島が舞台であり、高校2年生のカミの目を通してこの島で起こった戦後の傷痕と統治下での生活、本土復帰への出来事を淡々と描いた作品である。

物語でありながら、統治下での生活の描写がとても詳細に綴られている。例えば、大学に進学するには琉球政府に唯一できた琉球大学に行くしか方法はなく、本土の大学に行くとなると奄美群島の中から選ばれた学生が留学するか、そうでなければ密航するしかないとか、そもそも、高校への進学率も本土から比較すると果てしなく低いということ。もっと言えば教科書がひとりひとりに配られることなく、1冊をみんなで書き写しているなど。また、もともと戦前は本土に住んでいながら、何かしらの理由で沖永良部島に引っ越してきた人たちが本土に戻ろうとしてもその手段は密航しかないなど。そうして、多くの人がその密航中に海に投げ出されて帰らぬ人となっているということ。更には、鹿児島県である奄美群島がアメリカの統治になったのは、奄美群島の人間の人手が欲しいがために琉球政府にしたのではないかという風にも思っていたようである。

日本への復帰運動は当然高校生であるカミたちも巻き込まれていく。アメリカが嫌がるからという理由で島ぐるみの「断食」が強行されたり、復帰集会では沖永良部島は沖縄とは異なり戦地にはなっていないのだから返還してもいいはずであるとか、沖縄人に比べたら奄美群島の人間は蒙古斑があるので、古くから日本人の証拠を持っているなど、同じように統治されている沖縄を引き合いに出し差別化を図り、本土復帰を目指そうとする大人たち。戦争が人々の命・領土だけでなく、こうして心や理性までも奪ってしまうこと、今さらながらに切なくなってしまう。

沖永良部島を含めた奄美群島は沖縄よりも早く1953年に本土へ返還されている。このこと自体喜ばしいことは間違いないのであるが、どこかすっきりとしないものが心に残ってしまう。それが「戦争」なんだということをこれまでとは異なった角度から学んだ作品となった。

====== 文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『パンに書かれた言葉』

2022年09月04日 | KIMURAの読書ノート

『パンに書かれた言葉』
朽木祥 作 小学館 2022年6月

中学生のエリーの本名は青木光・S・エレオノーラと言う。イタリア人の母親がイタリア名を二つ付けたためこのように名前が長くなっている。間のSはエリーによると日本語にするととても大げさな名前のため内緒にしている。2011年3月11日、エリーが住んでいる鎌倉に大きな揺れが襲う。東日本大震災であった。しかしエリーは自身が体験した揺れよりも福島原発の爆発を映像で目にして胸を痛め、そのことが常に頭から離れなくなる。この春休みは家族全員で母親の故郷イタリアに行くことになっていたが、仕事を持っていた両親は震災の影響でそれが不可能となり、エリーだけがイタリアに行くことになる。イタリアでは初日から親戚たちによる歓迎を受け温かい気持ちを抱いたまま、かつて母が使っていた部屋で横たわる。そこでそれまで目に焼き付いてしまった震災の光景が薄まっていることに気が付く。それは距離的なものなのか、時間的なものなのか。これらのことがいつか消えてしまうことでいいのだろうか。エリーは考え込みながらも、自分が横たわっている部屋は母が幼い時から何も変わっていないことにも気が付く。そこで、家全体を探検してみることにした。そして、勝手に入っていたずらをしてはダメとかつて母親から言われていた「祈りの部屋」へ入ることとなる。そこには白バラの入った花瓶や写真がたくさんあり、そしてサテンの布地にくるまれた硬くなったパンを見つける。そして、そのパンの表面にはくすんだ茶色の文字が書かれていることを発見する。次の日祖母とお墓参りに行った際、エリーは祈りの部屋での出来事を祖母に伝えると、祖母はかつての第2次世界大戦での出来事を話し始める。イタリアから戻った年の夏休み、今度は父方の祖父母が住む広島に遊びに行くこととなった。祖父の誘いにより、従兄弟たちと平和記念資料館に行くこととなったエリー。そこで目にしたものはイタリアで祖母から語られたそれとそして震災のこととがエリーの中でつながっていく。そして、エリーが過去から受け取った言葉、それが自分のもう一つの名前「S」であることに気が付く。

「戦争」というものに対して無意識にはなれないにしても、意図的にそのような作品ばかりを目指して読書をしている訳ではない。しかし、今年は不思議なくらいにこれをテーマにした本を引き当てている。この「読書ノート」に関していうと、例年8月だけはあえて「戦争」を取り上げているが、今年はそのような訳で、それが7月から始まり、9月になった今回まで続いている(次回はどうかは分からないが)。そしてこのことに私自身驚いている。

この作品は、イタリアと広島をつなぐ一つのラインがそこにあることを示してくれている。広島に関しては、幾度となく私も関連する本を取り上げているが、イタリアと広島がどこでつながるのか、そもそもイタリアがあの第2次世界大戦時どのような状況だったのかということはこの作品を読むまで知らなかった。せいぜい教科書で学んだドイツ・イタリア・日本の「三国同盟」という単語のみである。エリーの言葉を借りれば「第二次大戦のとき、イタリアはずっとドイツや日本といっしょに連合国と戦っていたとばかりおもいこんでいたんだけど(p103)」。まさにそれである。しかし、それは史実の一部でしかなかったのである。また、ローマは広島と長崎の原爆の日に際し「原爆忌」で追悼式が開かれているという。2011年の時点で10年以上ということなので、すでに今では20年以上ということになる。ここでも、エリーの父親の言葉を借りれば「遠いイタリアでも原爆の犠牲者たちを痛み、二度と同じことが起こらないように祈ってくれている人たちがいるわけだ(p108)」。祈りにはイタリアで起きた過去の出来事と広島と長崎の出来事と同じ意味があるということもエリーの父親は語っている。

あとがきで作者は、この作品が入稿直後にウクライナ侵攻のニュースが入ってきたことにやりきれない思いを抱いたと綴っている。そして、ここで再び私が知った事実。ロシアが空爆を起こした場所。それが今回の作品の肝ともなるような場所だったということ。これは極めて象徴的な攻撃であり、もはや未来に二度と同じ過ちをおこさないどころか、公然と過ちを繰り返すと宣言してしまったことになると続いている。前回私が取り上げた本で著者が平和教育とは「政治への関心」ではないかということを指摘していたが、もしかしたらそれは日本だけではなく、世界的に各国の国民各々が考えていかなければならないことなのかも知れないと思い至った。しかし、それは大きな課題でもあることは疑いようのない事実でもある。

=======  文責 木村綾子


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