『武器より一冊の本をください~少女マララ・ユスフザイの祈り~』
ヴィヴィアナ・マッツァ 著 横山千里 訳 金の星社 2013年
今年のノーベル平和賞を受賞したのが、17歳の少女であったことで驚いた人も多かったのではないだろうか。もしかしたら、この時初めて彼女の存在を知ったという人もいるかもしれない。しかし、昨年の夏、国連本部に招かれスピーチをしたことを知っている人は、この結果に特に驚きを持つことはなかったのではないだろうか。そして、その秋には、彼女が凶弾に倒れる前後が綴られた本書が児童書という形で日本でも邦訳、刊行されている。平和賞受賞以降、重版がかかっているようであるが、平和賞を受賞したから本が出版されたのではないことを、まずは付記しておきたい。
それでは、なぜ、彼女のことを記した本が早い段階で出版されていたのであろうか。また、なぜ彼女が凶弾に倒れたというだけの理由で国連に招かれたのだろうかという疑問が、日本人なら少なからず生まれるであろう。本書によってそれを知ることとなるが、彼女の父親が教育者ということもあり、彼女の家庭はイギリスのメディア関係者とパイプがあったため、彼女は2009年(当時11歳)の段階から、自分の近辺の様子をハンドルネームを使い、BBCのブログに記事をアップしていたためである。パキスタン国内はもとより、イギリスでも多くの読者がいたようである。また、ブログだけでなく、当時より海外からの取材を受けていたことも本書から分かる。つまり、彼女は昨年のスピーチで注目されたのではなく、もっと以前から関心が寄せられている少女であったのである。実際に昨年も平和賞の候補に上がっていたという。
彼女の受賞には政治的背景があるとして、賛否両論であるが、受賞によって、日本では本書が話題となり、あまり知ることのできなかったパキスタンの市民生活、タリバンの振る舞いについて白日にさらされたというのは、同じアジアに住む人間として無知でいるよりはありがたいことである。本書では、彼女が凶弾に倒れる以前の2009年から2012年までの出来事について大きくページを割いている。そこには、どこの国でも内戦が起こると歴史上しばし起こることではあるが、タリバンもまた例にもれず、文化的なものを廃止し、教育やそれに携わる人から攻撃を始めている。わずか当時11歳のマララをはじめ、子どもたちがそれらに対する違和感を持ち、迫りくる恐怖を敏感に感じ取りながらも、時には大人以上に気丈に振る舞う姿に胸を詰まらせてしまう。
彼女は演説の中でこのように語っている(本書でも取り上げられている)。
「わたしの役割は、自分の権利を主張することではなく、声なき人々の声を伝えることにあります。それは自分たちの権利、つまり平和に暮らす権利、尊厳のある取り扱いを受ける権利、均等な機会を得る権利、教育を受ける権利を求めて闘ってきた人々に他なりません」
子どもの権利条約が1989年に採択され、1990年に発効されているが、パキスタンはそれと同時に批准国として名をあげている。日本が遅れること1994年に批准したことを鑑みると、もともと発展的な国であると思われる。その国の子どもが、再度子どもの権利を求めてスピーチしなければならない現状。それは、パキスタンだけの責任なのだろうか。 筆者 木村綾子
ヴィヴィアナ・マッツァ 著 横山千里 訳 金の星社 2013年
今年のノーベル平和賞を受賞したのが、17歳の少女であったことで驚いた人も多かったのではないだろうか。もしかしたら、この時初めて彼女の存在を知ったという人もいるかもしれない。しかし、昨年の夏、国連本部に招かれスピーチをしたことを知っている人は、この結果に特に驚きを持つことはなかったのではないだろうか。そして、その秋には、彼女が凶弾に倒れる前後が綴られた本書が児童書という形で日本でも邦訳、刊行されている。平和賞受賞以降、重版がかかっているようであるが、平和賞を受賞したから本が出版されたのではないことを、まずは付記しておきたい。
それでは、なぜ、彼女のことを記した本が早い段階で出版されていたのであろうか。また、なぜ彼女が凶弾に倒れたというだけの理由で国連に招かれたのだろうかという疑問が、日本人なら少なからず生まれるであろう。本書によってそれを知ることとなるが、彼女の父親が教育者ということもあり、彼女の家庭はイギリスのメディア関係者とパイプがあったため、彼女は2009年(当時11歳)の段階から、自分の近辺の様子をハンドルネームを使い、BBCのブログに記事をアップしていたためである。パキスタン国内はもとより、イギリスでも多くの読者がいたようである。また、ブログだけでなく、当時より海外からの取材を受けていたことも本書から分かる。つまり、彼女は昨年のスピーチで注目されたのではなく、もっと以前から関心が寄せられている少女であったのである。実際に昨年も平和賞の候補に上がっていたという。
彼女の受賞には政治的背景があるとして、賛否両論であるが、受賞によって、日本では本書が話題となり、あまり知ることのできなかったパキスタンの市民生活、タリバンの振る舞いについて白日にさらされたというのは、同じアジアに住む人間として無知でいるよりはありがたいことである。本書では、彼女が凶弾に倒れる以前の2009年から2012年までの出来事について大きくページを割いている。そこには、どこの国でも内戦が起こると歴史上しばし起こることではあるが、タリバンもまた例にもれず、文化的なものを廃止し、教育やそれに携わる人から攻撃を始めている。わずか当時11歳のマララをはじめ、子どもたちがそれらに対する違和感を持ち、迫りくる恐怖を敏感に感じ取りながらも、時には大人以上に気丈に振る舞う姿に胸を詰まらせてしまう。
彼女は演説の中でこのように語っている(本書でも取り上げられている)。
「わたしの役割は、自分の権利を主張することではなく、声なき人々の声を伝えることにあります。それは自分たちの権利、つまり平和に暮らす権利、尊厳のある取り扱いを受ける権利、均等な機会を得る権利、教育を受ける権利を求めて闘ってきた人々に他なりません」
子どもの権利条約が1989年に採択され、1990年に発効されているが、パキスタンはそれと同時に批准国として名をあげている。日本が遅れること1994年に批准したことを鑑みると、もともと発展的な国であると思われる。その国の子どもが、再度子どもの権利を求めてスピーチしなければならない現状。それは、パキスタンだけの責任なのだろうか。 筆者 木村綾子