京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『三毛猫ホームズの遠眼鏡』

2016年08月19日 | KIMURAの読書ノート
『三毛猫ホームズの遠眼鏡』
赤川次郎 著 岩波書店 2015年

教養人というのは、このような人のことを言うのではないかと彼のエッセイを読んで気が付いた。著者である赤川次郎さんは言わずと知れたミステリー作家である。私自身小学生の時に彼の作品に出会い、どっぷりハマった時期がある。しかし、いつしか別の作者のミステリーへと移行し、彼の作品を読むことは少なくなった。そして、何年か前のことである。書店のカウンターに置いてある「ご自由にお取りください」というフリー冊子(厳密に言えば無料ではないのだが、書店ではたいてい無料で扱われている)『図書』。それを手にした時、彼の文章が目に入った。私が知っている彼の書く物はミステリーのはずであるが、そこにあったのは、エッセイであった。それは私にとってはミステリー以外の初めての文章の出会いであった。それをまとめたものが本書である。

ここには、彼が足しげく通うお芝居や音楽界のことが余すことなく書かれてある。その幅はかなり広い。ベートーヴェンについて語っていたかとおもうと、ギリシャの映画監督の話もある。かと思えば、文楽について綴られ、フランス文学についても言及している。ベストセラー作家に君臨し何十年も経つのに、どうやって時間をこしらえ、DVDを鑑賞したり、劇場に足を運ぶのか謎である。しかし、これらのことを嗜むということで私は教養人と記したのではない。多くのエッセイの冒頭はどれも彼が親しんだこれらの芸術文化についてのはずなのに、気が付いたら今の時事問題について鋭く指摘しているのである。

例えば、「非情の町、非情の国」と題した文章。話のスタートは深夜の息抜きにつけたテレビで流れていた音楽。それが1962年に公開された『非情の町』という映画の主題歌だったことを思い出したということが綴られている。そこからこの映画の内容をかいつまんで説明しているのだが、気が付くと安倍首相が通そうとしている「特定秘密保護法案」のことになっているのだ(この随筆は2013年に書かれたものなので、まだ法案が通る前。結局その後通ってしまったのだが)。そして、その矛先はこのことだけでなく、今の日本のジャーナリストにまで向けている。また逆に今の日本の出来事から一つの作品を例に出しているエッセイもある。その書き方は様々であるが、文化と芸術、そして政治や経済は決して切り離せないことを彼は教えてくれている。一つの流れの中にこれらが混在してこそ人の営みが生まれているのである。

彼がこのようなエッセイを書き始めたのには理由がある。もともとは自分の趣味のこれらの文化芸術だけのエッセイを連載していた。理由を書いているのは、本書の前に刊行された『三毛猫ホームズのあの日まで・その日から』(光文社 2013年12月20日)。「あの日・その日」とは東日本大震災のことである。あの日を経験したことにより、赤川次郎さんは「今連載コラムを持っている意味」を考えたそうだ。「あの日」の衝撃と恐怖を忘れないために。そして、続けてこのようにも書いている「いつやって来るかもしれない次の大地震への備えを忘れて、オリンピックのための大競技場を作ろうとする今の日本を、世界はどんな目で見ているのか」。

奇しくも今、リオオリンピックで日本は盛り上がっている。赤川次郎さんが危惧していることは何なのか。文化と芸術はその時の世情を示している。本当の教養人とはそこから何を学ぶのかということである。今の日本の政治家に彼以上の教養人がいるのか、私にははなはだ疑問である。
           (文責 木村綾子)

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KIMURAの読書ノート『臆病者と呼ばれても』

2016年08月05日 | KIMURAの読書ノート
『臆病者と呼ばれても』
マーカス・セジウィック 作 金原瑞人・天川佳代子 訳
あかね書房 2004年

前回の読書ノートでは、日本国内における第1次世界大戦の一端が記された作品を紹介した。今回は時を同じくしたイギリスでの第1次世界大戦の状況の片鱗を知る作品を取り上げる。

この作品のサブタイトルは「良心的兵役拒否者たちの戦い」となっている。「良心的兵役拒否者」というのは、良心や宗教の教えなどから軍隊に入ることを拒否する人のことである。第一次大戦中のその数は1万6500人を上ったそうである。ちなみに、第二次世界大戦時には、この良心的兵役拒否者として登録した人数は6万人以上にのぼったという。これには、この物語の中心となるハワード・マーテンとアルフレッド・エヴァンズ、及び徴兵反対同盟の尽力によるものである。実際に良心的兵役拒否者として登録したからと言って、おいそれと戦場に行かなくていいというものではない。そこに待ち受けるのは、どの国でもあるように、周りから白眼視され、自由を奪われ、拷問にかけられ、その先にあるのは「死」のみである。それでも、確固たる意志をもって兵役を拒否した彼らの思いと戦争に対する問いをこの物語は読み手に投げかける。

第1章は衝撃的なタイトルで始まる。「すばらしき戦争」。「大戦」を英訳すると、いや、本来ならというべきであろうか、「great war」になる。第一次世界大戦の主戦場は、ヨーロッパである。その地域で「すばらしき戦争」と言われていたのである。何が素晴らしかったのか。作者は物語の中でこのように綴っている。

「戦争を引き起こすことになったそもそもの原因は、ヨーロッパの中でも力を持った国々が、長い間争いをくりかえしていたことにあった。しかし、こうした世界情勢を理解している人は当時ほとんどいなかった。人々は輝かしい勝利を思いえがき、興奮しきっていたのだ。そして、待ってましたとばかりに戦争が始まった」(p17)

このため、イギリスでは、国民のほとんどが参戦を祝ったという。これが「great war」と言われる所以である。今でこそ、テレビがあり、情報網が発達して戦争がどのようなものであるかということが、肌で実感できるが、当時は兵隊に行く人にも、戦場がどのようなものかということを知らされずに戦場に送られたという。その中でただひたすら、「人を殺すのは嫌だ」という一点の理由で兵役を拒否したこの人たちの信念と言うのは、計り知れないものがある。この物語は、その揺るぎのない信念をたどる旅でもある。

それと同時に、イギリスがこの時期、国民を徴兵に借り出す過程も明確に記されている。ぞっとするのが、その過程が今の日本に通されていく法案によく似ているということである。本書は2004年に日本で刊行されてた。巻末の訳者のあとがきには、ニューヨークのテロ事件に触れ、自衛隊の海外派遣について言及している。そして、続けて、「もしかしたら、日本でもふたたび徴兵制がしかれるかもしれない」という不安を綴っている。が、しかしである。それから12年後の今の日本。訳者が想像するよりも展開が早くなっているような気がする。作者の父と母方祖父は良心的兵役拒否者だったという。作者がなぜこの作品を書いたのか、手にした人なら素直にうなずけるであろう。   (文責 木村綾子)

 


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