京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『五色の虹』

2024年08月04日 | KIMURAの読書ノート

『五色の虹』
三浦英之 著 集英社 2015年

今回も三浦氏の著書をお届けする。前回取り上げた著書の内容について全く知らず、自分の無知さを痛感したのだが、今回もまた同様である。

1932(昭和7)年、日本は満州事変をきっかけに満州国を建国する。この時期の満州はすでに、漢民族、満州族、朝鮮族、モンゴル族など民族が入り混じり暮らしており、日本人は総人口の2%であった。そのため、政府は圧倒的に多民族が多いこの国で、日本人が創設したとは言え、日本人がこの国を支配することは困難であると判断し、新しい国づくりが必要と実践したのが「五族協和」であった。その一環として設立されたのが満州国最高学府「建国大学」である。ここでは、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族から選び抜かれた学生が6年間共同生活をしながら学ぶ、日本初の「国際大学」であった。実際、戦況下でありながら、学内では言論の自由が保障され、学生たちは昼夜問わず、議論を重ねていた。事実、日本政府を公然と批判することも認めていたり、日本では発禁本となっている本も閲覧が許可されていた。しかし、本書の言葉を借りれば「同世代の若者同士が一定期間、対等な立場で生活を送れば、民族の間に優劣の差などないことは誰もが簡単に見抜けてしまう。彼らは、日本は優越民族の国であるという選民思想に踊らされていた当時の大多数の日本人のなかで、政府が掲げる理想がいかに矛盾に満ちたものであるのかを身をもって知り抜いていた、きわめて稀有な日本人でもあった(p23)」。この大学は1945(昭和20)年満州国崩壊(つまり、日本敗戦)と共に閉校となる(実際は、なし崩しになくなる)。そして同時に日本政府はこの大学に関する資料のほとんどを焼却してしまう。

この建国大学のことを知った著者は、卒業生の足取りを調査したものが本書である。国際大学だっただけに、その調査は国内だけでなく、中国(大連、長春)、モンゴル、韓国、台湾、カザフスタンと広い。ここで分かったことは、卒業生の出身国によって、自国に戻っていった時の扱いが様々であったということである。多くの国では敵国の日本が創立した大学で学んだということで「日本帝国主義への協力者」とみなされ、自国の政府から厳しい糾弾や弾圧を受け、不遇な生活を送ることとなっていた。とりわけ、中国においてはこの調査が行われた時点でも、様々な妨害により、直前に取材がキャンセルになっている。その中で唯一卒業生ということで寛大な扱いで国家の中枢に組み込んだのが韓国であった。また日本人であっても、敗戦時にどこにいたかということで、その後の運命が大きく変わっていることが本章では記されている。

この記録を読んで、もし「建国大学」の創立が戦時中でなかったらと思わずにはいられないし、あの満州国だったからこそ、現代であれば誰もがうらやむような国際大学が創立したと思うととても皮肉なことだとも感じる。

本書は著者の個人的企画であったにも関わらず彼の上司が海外出張を許可してくれるようにあちこちに便宜をはかってくれている。それは「この手の話はあと5年で聞けなくなる」という理由であった。敗戦時に焼却された資料に及ばないまでも、「建国大学」という最高学府があったという記録を少しでも復元した本書を次の世代にも繋いで欲しいと切に願った。今年あれから79回目の夏を迎えた。

=====文責 木村綾子


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